収められてる本を見れば大体その人となりがわかる。あたしみたいな節操のない本読みは別としてだが でも800冊近い本のかなりの部分が何らかの意味で京都がらみなので ああこういう人か・・と思うだろう。あたしが死んだ後で絶対言われるのが 同じ本何冊も買いやがって・・だろうw さて今京都の人の本棚を丸々買おうとしてる。きっかけは先にも書いた京都の大路小路を買ったことだが その娘さんが実家を建て替えるのと本が読めない体になっちゃったからというわけ。出てくる本はその娘さんのお父様の本棚なんだが 京都だけあって京都新聞出版センターの本がやたら多い。あと展覧会のカタログだ。もう売れなきゃBOOKOFF持ち込むなんて言われると 紙くず同然の値段で買われるくらいなら あたしが全部引き受けます・・みたいな話になってへそくり吐き出しながら買ってる。本棚全部を見れるので 読んでた人の人柄まで見えるので もう無理してでもいらん本でもと思う。薫る公家文化も三十六歌仙も京都市電もそのために借りた。今の若い人は活字離れが激しい・・と言われるが 今の本に面白いものが無いから当然だろう。友人からkindleを安くで買ったが電子にはなじまないし 読みたい古い本は電子にはない。あたしは本棚を見て人を判断するのと ご飯たべたりお酒呑んだりして判断するので 本を持ってない人(最近のベストセラーやコミックスは本ではない)の気持ちが半分くらいしかわからん。本を読むのが偉いとは言わんが スマホばかりに張り付いてるといい繋がりはできないんじゃないかな?と思う今日この頃。
と話のある京都新聞社刊の三十六歌仙の舞台 樋口茂子著が準備できました・・になったので取りに行きがてら 先に書いた薫る公家文化と京都市電物語を返しに行くついでに京都の大路小路も返して来た。先の2冊は買うかどうか内容を見たかったので少し借りてただけだが 京都の大路小路は延長してほぼ一か月借りてた。通常は3週間だが待ってる人がいなければ 2週間の延長ができる。台風来てるんでまだ猶予はあるのだが返して来た。で この京都の大路小路だけど愛読書で 程度のいいのが安く出れば何も考えずに買う・・というアホな買い方をしてるので 既に同じ本が何冊もある。持ってるならそれ読めば借りてこなくていいじゃん?とか思うだろうが 背表紙に書庫・・のシールが貼ってあるので 除籍されないために定期的に借り出して積んであるw 誰も借りなくなってある程度の年月が経つと入口の除菌スプレーの脇にある 除籍本 ご自由にお持ちください・・に並べられるからである。現に持ってるうちの一冊は岡山市図書館の蔵書印のある除籍本だ。こんないい本除籍されてたまるか・・と思うので年の半分くらいはあたしが借りてるw この本は京都で暮らす人には必読の本で建都1200年の記念出版だから増刷されることはない。初版で刷った分が世界中の全てだ。もう何十回読んだかわからないけどそれでも読むたびに新しい発見がある。京都の通りを覚えるのに有名な まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せきだ ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう しち(ひっ) という数え歌がある。一度は聴いたことがあるだろう。京の数えうた・・て本で京都新聞社出版センターから出てる。これも持ってるが・・てどれだけ京都好きなんだよ?と言われそうだが 実は観光地には全く興味がない。町角のお地蔵さんとか8時過ぎると誰も歩いてない通りとか美味しい豆腐屋さんとかお餅屋さんとか 暮らす京都が好きなのだ。借り出して来た三十六歌仙の本も京都繋がりだし 大体生活の4割くらいは京都がらみだ。大病して人より20年は寿命が短い‥と言われてるし 仕事も失ってるし 東京嫌いだしw じゃあなんで東京いるの?と言われたら 部屋買ったし 今のところは学園都市で高層建造物が無く緑が多いし 大事な友人もいるし・なのだが 着々と京都移住の計画は進行している。最終目標が京都の土に還る・・だから お骨になるまで東京から離れられんかも知れんが それもまあいいか・・と思う。さて難解だが 三十六歌仙でも読むか
京都新聞社著 京都新聞社企画事業部刊 214p 2008年初版 既に絶版なので古書だと1000~6000円近いのまである。元々は昭和53年9月に出た同名の本をそのまま復刻したもの。図書館から借り出して来たのは復刻された2刷だ。それでも 裏表紙はぼろぼろでもう後ろから分解しそうな勢い。昭和の終わり以降に生まれた人は京都に市電が走ってたことすら知らないだろう。あたしは 子供の頃奈良にいたこともあったので京都にも行ったのでうっすら記憶にあるくらいだが それでも懐かしい。今京都の交通は2本の地下鉄と網の目のように張り巡らされた 系統番号で呼ぶ市バスだが 当時は大路のあちこちでレールを軋ませながら トロトロ走ってた記憶がある。交差点を曲がるときなんか盛大に音がするのだが これもなかなか良い。油引きの木の床に狭い車内だが 不思議と京都の町にあう。モーターリゼーションの波に押されて 軌道内に車が入ってくるともう警笛鳴らしぃ・・ので 騒々しいのだがそれも良し。車より遅くバスよりも遅いがなぜか落ち着くのだ。京都は2m掘れば遺跡が出る・・という土地だから 代替えの地下鉄建設案は随分昔からあったようだが 南北線の烏丸線の工期も建設費も当初予算の何倍にもなったそうな。で 収益上がってるかと言えば赤字・・て笑えない話もある。東西線が追加されて少しはマシにはなったみたいだが やっぱり市民の足は市バス。あたしが京都にいたころは 七本松通を52系統が走ってたのだが 路線の統廃合で今はもうない。600円だった一日乗車券も10月からは100円上がるみたいだし 敬老乗車券も年齢引き上げとか聞く。京都市内ですらそれである。昨今 高齢者(ご老人と言ってはいけないそうだが)のブレーキ踏み間違いからくる事故が多発してるが 地方にいくと 車一択にならざる得ない。採算の取れないバス路線なんか一日朝昼夕に1本ずつなんて どうやったら使えるのか?みたいな時刻表だし 鉄道も国鉄からJRに移行してから不採算路線はどんどん切り離してそれを引き受けた会社もどんどん廃線にしていく。東京都内まあ奥多摩とかそういうところ以外はJRと私鉄が1時間に何本も運航してるので正直車のメリットは無く 自転車かカブがあれば用が足りちゃうので交通問題てそんなに言われないのだが 地方に行けば もう生活の足だから大根1本買いに行くのも(まあ農家さんなら自家用があるだろうが)車。だから高齢になったからといって車を降りれなくて90近い高齢者が軽を走らせてるわけだ。池袋の事故でも杖があってもまともに歩けない人が運転してるわけだから怖いな・・と思う。まああたしはバイク乗りなんだが 大病して体力が半分になっちゃったから大型バイクはもう無理。みんなどこかで いろんなものを手放していくのが時代なのだけれど 京都の市電て本当に捨てて良かったのか 今でも疑問に思う。カーボンニュートラルが叫ばれ2050年までにCO2排出量50%削減なんて言われてるが じゃ 代替えエネルギーはどうするのか?って話である。昨日野党の党首討論聞いてたが みんな脱原発で5割を再生可能エネルギーに置き換えると言ってる。あたしは仕事で原発の制御プログラム(補器だけど)を書いてたから絶対安全とは言わないまでも かなり安全でクリーン・・というと使用済み核燃料はどうするのか?という話も出てくるだろうが これは六ケ所の再処理工場がちゃんと稼働してプルサーマル(プルトニウムも混ぜて燃やす燃料)が軌道にのればある程度解消できる問題だ。六ケ所の再処理の制御にも関わってたからある程度実情を知ってるから言える話で まあ石炭火力の全廃はいいが 原発を全廃して その分のエネルギー みんな再生可能エネルギー・・というが そんなもん現在は雀の涙しかないのだ。車が電動化されれば 更にその分の積み増しがいる。今再生可能エネルギーの総量がこれだけで 対して原発と石炭火力を止めて車が全部電動化になっても これだけ余る・・というならそりゃ廃止もあるだろうが 再生可能エネルギーって絵にかいた餅なのだ。代替えできるようなものは今現在無いのだ。野党もアホだが与党もアホ。日本はいい国だが 政治力の貧困さだけはどうしても埋められないのが残念である。
大型本だ。川辺光男著 京都新聞社企画事業部刊 2008年度初版 まだ新本が買えるので2515円。これを買わないかどうか判定するのに どこにも書評が無いので困っていたのだが 図書館検索したらあったので借り出してきた。表紙の分厚さと言い紙質といい豪華本の部類に入る。が amazonのマケプレで良い・・が200円から買えるので??だったわけ。借り出して来たら まあ近衛家って天皇のお側に仕えてた家だから 重文やら国宝がごろごろ載ってる。印刷も発色もきれいなのだが 125pしかない。半分はお品の解説なので 写真はその半分。で いきなり藤原道長の自筆の・・に始まって 天皇の自筆の色紙とか表装した軸やら屏風がでてきて おおっ・・と思うのだが 草書体で何書いてあるかわからんw 解説には口語訳も載ってるのだが 現物は草書体?なんでみみずがのたくってるような代物だ。屏風なんか素晴らしいものもあるのだけれど ただそれだけ。200円から古本があるのがすんなり理解できる。装丁の豪華さに期待すると 絶品のオードブルが出てきて さてメインに期待するとオードブルだけで終わり・・みたいな すさまじく物足りない本だ。まあ こういうのがお好きな人ならいいのだろうけど あたしはただの京都好きなんで 残念・・で終わった。一応先方には市価を伝えてあるので ある程度安く出るとは思うのだが欲しいか?と言われるとうーん・・なのだ。こういう時図書館はありがたいのである。