今日は朝からドック検診に行ってきました。
胃レントンゲンのためにバリウムを飲み、当然ながら下剤も飲んでます。
しか~し、せっかく午前中に終わったので、ロードバイクに乗らない手はない…
という訳で、奈良盆地の東部を南北に走る上街道(上ツ道)を走ります。
今日私が走るのは、天理市の櫟本(いちのもと)~柳本間です。
堺から大和川沿いに走り、奈良県浄化センターからは北東へ。
櫟本へは田園風景を眺めつつ走ります。
やがて櫟本に到着し、上街道(上ツ道)とおぼしき道を発見。
石の道標に刻まれているのは「右なら、左たつた みち」、上街道に間違いありません。
早速、南に向かって走ります。
道に沿って古い建物が割と残っていて、なかなか風情がありますな。
上街道(上ツ道)は飛鳥時代に奈良盆地を南北に縦断するために整備された道で、
現在の奈良市~天理市~桜井市を結び、ほぼ国道169号と並走しています。
こんなお屋敷、維持が大変でしょうね。
丹波市町というところで、急に道幅が広くなり、道の真ん中に木造のアーケードのようなものが出現。
ここは市場の跡だそうで、昔は道の真ん中を水路が流れていたそうです。
すぐそばには市座神社もあります。
もうしばらく南に向かって走ります。
左は天理教教祖(中山みき)が誕生した庄屋屋敷。
真ん中は長岳寺の飛び地に建つ五智堂(重要文化財)。
やがて柳本に到着。
柳本は織田信長の弟で茶人である織田有楽斎(織田長益)の五男、織田尚長の柳本藩(1万石)の陣屋町。
陣屋は黒塚古墳に隣接して築かれていたそうです。
愛車の後ろに写るのは、黒塚古墳。(卑弥呼の墓だという説あり!)
1997(平成9)年の発掘調査で30枚以上の三角縁神獣鏡が発見されて話題になったそうです。
ふと気が付けば、走行距離は65km、時間も午後2時、それからお腹の調子も…。
急ぎ、田原本町を目指して西へ向かいます。
10分ほどで、見慣れた大和川沿いの道と公園(トイレ)が見えてきました。
トイレに駆け込み…良かった!無事でした~。
この後は落ち着いて走り慣れた道を走り、午後4時半に帰宅、走行距離は111kmでした。
今日は走行距離は十分満足ですが、甘いものを買いそこねたのが非常に残念です。
(目当てのお店が定休日とは、トホホ…最近ツイテないな~。)
胃レントンゲンのためにバリウムを飲み、当然ながら下剤も飲んでます。
しか~し、せっかく午前中に終わったので、ロードバイクに乗らない手はない…
という訳で、奈良盆地の東部を南北に走る上街道(上ツ道)を走ります。
今日私が走るのは、天理市の櫟本(いちのもと)~柳本間です。
堺から大和川沿いに走り、奈良県浄化センターからは北東へ。
櫟本へは田園風景を眺めつつ走ります。
やがて櫟本に到着し、上街道(上ツ道)とおぼしき道を発見。
石の道標に刻まれているのは「右なら、左たつた みち」、上街道に間違いありません。
早速、南に向かって走ります。
道に沿って古い建物が割と残っていて、なかなか風情がありますな。
上街道(上ツ道)は飛鳥時代に奈良盆地を南北に縦断するために整備された道で、
現在の奈良市~天理市~桜井市を結び、ほぼ国道169号と並走しています。
こんなお屋敷、維持が大変でしょうね。
丹波市町というところで、急に道幅が広くなり、道の真ん中に木造のアーケードのようなものが出現。
ここは市場の跡だそうで、昔は道の真ん中を水路が流れていたそうです。
すぐそばには市座神社もあります。
もうしばらく南に向かって走ります。
左は天理教教祖(中山みき)が誕生した庄屋屋敷。
真ん中は長岳寺の飛び地に建つ五智堂(重要文化財)。
やがて柳本に到着。
柳本は織田信長の弟で茶人である織田有楽斎(織田長益)の五男、織田尚長の柳本藩(1万石)の陣屋町。
陣屋は黒塚古墳に隣接して築かれていたそうです。
愛車の後ろに写るのは、黒塚古墳。(卑弥呼の墓だという説あり!)
1997(平成9)年の発掘調査で30枚以上の三角縁神獣鏡が発見されて話題になったそうです。
ふと気が付けば、走行距離は65km、時間も午後2時、それからお腹の調子も…。
急ぎ、田原本町を目指して西へ向かいます。
10分ほどで、見慣れた大和川沿いの道と公園(トイレ)が見えてきました。
トイレに駆け込み…良かった!無事でした~。
この後は落ち着いて走り慣れた道を走り、午後4時半に帰宅、走行距離は111kmでした。
今日は走行距離は十分満足ですが、甘いものを買いそこねたのが非常に残念です。
(目当てのお店が定休日とは、トホホ…最近ツイテないな~。)