ちょこ歴旅

歴史旅…というほどではないけど、気楽な史跡巡り備忘録
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作州津山へ

2014年08月28日 16時32分28秒 | オートバイ
今日は1週間連休の最終日、天気が悪いので
家でゆっくり。
昨日のバイクツーリングの件でも書きますか…

早朝5時半、津山を目指して出発!
いつも通り下道でトコトコと臨海線~国道
43、2号線を走り、8時半頃に姫路バイパス
のSAで朝食休憩。
ここまでがしんどい。

太子竜野バイパスを下り、国道179号線に
入れば、車も信号も少なく、ツーリング天国。

景色の良さに加え、川沿いの涼しさが嬉しい。

9時半過ぎ、佐用町の三日月でちょい寄り道。

三日月藩の乃井野陣屋。
津山藩森家の改易にあたり、分家の対馬守
森長俊が元禄10年(1697年)に美作
(みまさか)の勝田北部より入封。
1万5000石の陣屋として構築。

平成15年頃に復元された建物が大半ですが、
見て分かる通り、年季の入った二重の物見櫓は
ホンモノで、原位置に戻したもの。
この櫓は防御用ではなく、中に座敷もある
接待用だそうです。

それにしても、のどかな所です。
大河ドラマなどで山里の風景になると決まって
入るあの効果音「ピ~ヒョロロ」というトンビ
の鳴き声が近くで…。

ふと振り返ると電信柱の上に。

どうりで声が近い訳です。

ここから先もしばらく快適ルートは続き、
いよいよ津山盆地へ。

広い田んぼが心なごませてくれます。

そして小雨の中、11時頃に本日の目的、
津山城に到着。

日本一との声もある石垣に覆い尽くされた
平山城。

信長の小姓で有名な森蘭丸の弟、森忠政が
慶長9年(1604年)、美作国18万6500石
の国持大名として13年をかけて築城。

いざ入城!
表門の枡形を抜けて三の丸に入ると、目の前に
ドド~ンと広がる表中門跡の大階段。

尋常ではない幅は、まるで天下人の城のよう。
これだけあれば宝塚のレビューも可能か?

石垣に囲まれた大階段を登り左に折れ四足門
跡を抜ければ二の丸。

頭上に見えるのは本丸の備中櫓。

ここから切手門跡、表鉄門跡を抜けて本丸へ。


本丸に復元された備中櫓の内部を見学。
本丸に多くの櫓が建ち並び、御殿の敷地が十分
でなかったため、備中櫓の内部は御殿の一部と
されていたそうです。

櫓内には御座の間、茶室、便所まで。
さらに二階には上段の間もあり。

さていよいよ天守曲輪へ。

厳重な防備を感じさせる石垣に囲まれた
狭い通路。

そして目の前に聳える天守台。

あれ?大きいけど整然としすぎてなんか迫力
がないな…。
ただし、撮影する私の足元の黒っぽい地面に、
天守を囲み多聞櫓が建っていたそうです。

天守台には穴倉を通って登ります。

地階穴倉部分。

天守からの眺め。

そういえば雨は止んだけど、まだ空が暗い。

続いて粟積櫓(小天守)跡などを見学し、
ぐるっと本丸搦手口へ。

左:もみじ谷と呼ばれる通りの風景。
右:搦手とは思えない幅の広い立派な虎口。

苦心して数十万石規模の津山城を築いた森家
も元禄10年(1697年)に藩主の乱心で改易。
その後に家康の次男、結城秀康を祖とする
松平家が10万石で入封し、明治維新まで
津山を治めたそうです。

3時間以上掛けて津山城を見て回ったので、
お腹が空いてきました。
昼食は津山B級グルメの代表、ホルモンうどん
に決定!

観光センター横の食堂にて。
(ご飯付\980)
甘辛い味が濃いめなので、ビールが欲しい。

すでに2時半、移動を諦めて津山市内を観光
することに。

まずは、すぐ隣にあった津山郷土博物館へ。

津山城の復元模型、欲しい…。
模型の周りをついつい3周ぐらいしました。

続いて、衆楽園へ。

二代藩主、長継が造営させた津山藩別邸の
池泉式庭園。
当時は現在の3倍、2万3千坪もあったとか。

最後に城の東側にある重要伝統的建造物群
保存地区へ。

いつまでも保存して欲しい街並みです。

本日の帰宅時間は午後9時、走行距離は
435kmでした。
やっぱり日帰りは300kmが限度かな?
あぁ~疲れた…。


~今回の甘いもん~
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