ガソリンの価格が高騰し続けています。
今後どうなっていくのかは、勉強不足でよく分かりませんが、
石油がいつか枯渇するのではないか、という懸念自体は、
僕が小学生だった30年以上前からあったと思います。
ただ、その後も石油がなくなることはなく、
ガソリンエンジンを搭載したクルマが売られ続けていることから、
僕は心の中で、資源枯渇問題からずっと目を背けてきた気がします。
なぜなら、ガソリンを燃やして走るクルマが好きで好きで仕方がないため、
この石油時代が終わってしまうかもしれない、と想像することすら、
僕には恐ろしくてできなかったのです。
そんな僕の心の拠り所は、
世界最高峰のレースであるF1でした。
自動車メーカーが究極の技術開発を行なう、という存在意義があるにしろ、
F1をはじめとするモータースポーツ全般は、
人類が生存していくために必ずしも必要というわけではありません。
つまり、モータースポーツが存続を許されている限り、
一般社会からガソリンエンジン車が抹殺されることはないはずだ、
という「変な理屈」が、僕の中で一つの安心材料となっていたのです。
もちろん地球環境の未来のためには、
今のままではいけないことは分かっています。
しかし、あまりにも魅力的なクルマというものが、
静かな電気モーターでスルスルと動くようになったり、
ドライバーの技術が不要な自動運転が当たり前になったりしたら、
僕にとってこれほどつまらない世界はありません。
クルマは、単なる移動の道具ではなく、
男の血をたぎらせてくれる憧れの存在であり続けてほしいのです。
とりとめもなくなってきましたが、
とにかく、バイオ燃料でも何でもいいので、
内燃機関で動くクルマが今後もなくならないことを祈っています。
いつかF1が電気自動車になってしまったら、
そのときは観念しないといけないかもしれませんが……。
今後どうなっていくのかは、勉強不足でよく分かりませんが、
石油がいつか枯渇するのではないか、という懸念自体は、
僕が小学生だった30年以上前からあったと思います。
ただ、その後も石油がなくなることはなく、
ガソリンエンジンを搭載したクルマが売られ続けていることから、
僕は心の中で、資源枯渇問題からずっと目を背けてきた気がします。
なぜなら、ガソリンを燃やして走るクルマが好きで好きで仕方がないため、
この石油時代が終わってしまうかもしれない、と想像することすら、
僕には恐ろしくてできなかったのです。
そんな僕の心の拠り所は、
世界最高峰のレースであるF1でした。
自動車メーカーが究極の技術開発を行なう、という存在意義があるにしろ、
F1をはじめとするモータースポーツ全般は、
人類が生存していくために必ずしも必要というわけではありません。
つまり、モータースポーツが存続を許されている限り、
一般社会からガソリンエンジン車が抹殺されることはないはずだ、
という「変な理屈」が、僕の中で一つの安心材料となっていたのです。
もちろん地球環境の未来のためには、
今のままではいけないことは分かっています。
しかし、あまりにも魅力的なクルマというものが、
静かな電気モーターでスルスルと動くようになったり、
ドライバーの技術が不要な自動運転が当たり前になったりしたら、
僕にとってこれほどつまらない世界はありません。
クルマは、単なる移動の道具ではなく、
男の血をたぎらせてくれる憧れの存在であり続けてほしいのです。
とりとめもなくなってきましたが、
とにかく、バイオ燃料でも何でもいいので、
内燃機関で動くクルマが今後もなくならないことを祈っています。
いつかF1が電気自動車になってしまったら、
そのときは観念しないといけないかもしれませんが……。