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大船渡市は、被災した人のためにあわせて40戸の仮設住宅を建設するよう岩手県に要請

2025-03-11 00:48:24 | 災害情報
【詳しく】大船渡 山林火災 避難指示解除 仮設住宅建設を要請 NHK 2025年3月10日 16時59分

岩手県大船渡市の山林火災は、発生から12日となった10日、大船渡市に出されていた避難指示がすべて解除されました。市は、被災した人のためにあわせて40戸の仮設住宅を建設するよう県に要請していることを明らかにしました。

先月26日に岩手県大船渡市で発生した山林火災では、市の面積の9%を焼失しました。

市は、9日夕方、火の勢いが収まり、延焼のおそれはなくなったとして火災の「鎮圧」を宣言しました。

そして、10日午前10時
三陸町綾里の全域と
赤崎町の
▽長崎地区
▽外口地区
▽合足地区に出していた避難指示を解除し、これですべての避難指示が解除されました。

この火災で住宅の被害は空き家22棟を含む102棟にのぼり、このうち76棟が全壊だということです。

市は、10日夕方の記者会見で、被災した人のための仮設住宅を三陸町綾里と赤崎町であわせて40戸を建設するよう県に要請していることを明らかにしました。

具体的には、三陸町綾里では旧綾里中学校グラウンドに30戸、赤崎町では旧蛸ノ浦小学校グラウンドに10戸をそれぞれ建設する見込みだということです。

また、市内で空いている公営住宅の確認を進めた結果、35戸が入居可能な状態だとしていて、市では今後、被災者に意向の聞き取りを進めることにしています。

このほか、山林火災の影響で三陸鉄道は盛駅と三陸駅の間で運転をとりやめていますが、安全が確認されたことから、11日始発から運転を再開します。

一方、完全な鎮火にはまだ時間がかかるとしていて、消防などが引き続き全域を回り、警戒と残り火の消火にあたっています。

避難者数 10日午後3時時点 計411人
今回の山林火災で避難所や親類の家などに避難した人は、一時、最大で4000人以上に上っていました。

避難指示の解除に伴って大幅に減少し、大船渡市によりますと、10日午後3時時点の避難者は、
▽福祉避難所を含む10の避難所に275人、
▽親類の家など避難所以外は136人となり、あわせて411人になったということです。

《これまでの経緯》
2月26日 「火災発生」
岩手県大船渡市で山林火災が発生したのは、先月26日の午後1時ごろでした。

大船渡市は、赤崎町合足地区が火元だと見ています。

当時は大船渡市を含む岩手県の沿岸南部で1週間余り前の18日から乾燥注意報が発表されるなど空気が乾いた状態が続いていたことに加え、強風注意報も発表されていて、当日の午後1時半ごろには、18.1メートルの最大瞬間風速を観測しました。

「乾いた空気」と「強い風」が要因となって延焼が急速に拡大し、26日の午後5時の時点で焼失した面積は600ヘクタール以上にのぼりました。

2月27日 「死者も」
翌27日には三陸町綾里の小路地区の近くに住む90歳の男性が亡くなっているのが見つかりました。

2月28日~ 「延焼続く」
延焼の拡大は止まらず、焼失面積は28日には2日前の2倍にあたるおよそ1200ヘクタールとなりました。

その後も延焼は続き、今月(3月)5日には、大船渡市全体の9%に相当するおよそ2900ヘクタールにまで拡大。

焼失面積は平成以降で最大規模となりました。

住民への避難指示の範囲も広がり、今月1日には最大となって、
▽三陸町の綾里全域と越喜来の3つの地区
▽赤崎町の13の地区で、1896世帯市の人口の14%にあたる4596人に避難が呼びかけられました。

この間、消防は夜を徹して地上からの消火活動を、自衛隊や自治体のヘリコプターは上空から懸命の放水を続けました。

3月5日~ 「まとまった雨」
発生から1週間が経過した今月5日。

大船渡市で初めてまとまった雨が降ります。

この影響で火の勢いが弱まり、6日以降は新たな延焼が確認されませんでした。

3月9日 「鎮圧」
その後も消防などは、土の中や倒れた木の裏などに残った発火の原因になるおそれがある「熱源」の確認を進め、残り火の処理などの活動を続けます。

その結果、火の勢いが収まり延焼のおそれはなくなったとして、きのう(9日)夕方、市は火災の「鎮圧」を宣言しました。

3月10日 「避難指示すべて解除」
市は雨の翌日、6日から段階的に避難指示を解除し、火災の発生から12日たった10日午前10時、すべての地区で避難指示を解除しました。

一方、市の9日までの調査で今回の火災では210棟の建物で被害が確認されました。

住宅は102棟にのぼり、このうち76棟が全壊だということです。

市は、住宅が被害を受けた人たちに向けて避難所の運営を継続するとともに、岩手県と仮設住宅の建設を調整しているほか、民間のアパートを活用する「みなし仮設」や空いている公営住宅のリストアップを進めています。

互いの無事を確認し抱き合う姿も
避難指示が解除された赤崎町合足地区では、火災で焼けた建物がみられました。

建物があったとみられる場所には、焼けた柱や屋根などのほか、いすや台車なども残っていました。

道路上ではこの地区に住む女性が自宅に被害がないことを確認したあと、心配して駆けつけたという隣の綾里地区に住む知人の女性と抱き合っていました。

女性たちは「避難先が別々でこれまで会うことができなかった」と話し、お互いの無事を確認していました。

火災で210棟の建物が被害
一方、この火災では210棟の建物が被害を受けました。

住宅は102棟にのぼり、このうち76棟が全壊だということです。

大船渡市は、被災した住民のために当面の間、避難所の運営を続けるほか、仮設住宅の建設に向けて岩手県と調整を進めています。

合わせて、民間のアパートを活用する「みなし仮設」や、空いている公営住宅のリストアップを進めています。

市は、焼失面積が広く完全な鎮火にはまだ時間がかかるとしていて、消防などが引き続き全域を回り、警戒と残り火の消火にあたっています。

注目
《被害を受けた住民は…》
住宅の被害を受けた男性「思い出の品も全部燃えてしまった」
三陸町綾里の港地区は今回の山林火災で26棟の住宅が被害にあい、避難指示の解除を受けて焼けた自宅の片づけをする人の姿が見られました。

このうち、家族5人で暮らす東川剛さん(50)は午前11時ごろ、1人で焼けた自宅を眺めていました。

東川さんは「避難指示が解除されていてもたってもいられず様子を見にきました。私がこれだけショックを受けているので、この家で生まれ育った妻もかなりショックを受けると思います」と話していました。

自宅の2階には、17歳の娘からもらったバレンタインのチョコレートや、娘が子どものころに描いてくれた似顔絵を大切に保管していましたが、今回の火災で焼けたということです。

東川さんは「娘の思い出の品も全部燃えてしまいました。娘が成人したときにはもらったものを見返して一緒に笑いたかったです」と声を詰まらせながら話していました。

東川さんはしばらく親戚の家に身を寄せる予定だということで、「一刻も早く仮設住宅などを建ててもらって、まずは落ち着きたい」と話していました。

地元に戻った女性 “家族で過ごせることがありがたい”
避難指示が解除された三陸町綾里地区の大畑野では地元に戻った70代の女性が自宅の近くまで火が迫っていた状況を確認していました。

女性の自宅は被害はありませんでしたが、裏側の山林が自宅のすぐ近くまで焼けていたということです。

女性は「避難したあと、テレビで家の前が火の海になっているのを見た時は焼けてなくなると諦めていましたが、残っていて安心しました。家族で過ごせることがありがたいです」と話していました。

13日間の避難生活を終えて久しぶりに自宅の前から夕日を見た女性は「何日かぶりに見る夕日です。ありがたいです」と話していました。

自宅が焼け落ちた男性「災害復興住宅に入って生活を立て直す」
赤崎町外口地区の小澤浩喜さん(54)は10日に避難指示が解除された後、自宅の状況を確認しに行きました。

自宅は跡形もなく焼け落ちて、柱も残っていないような状態になっていました。

自宅は父親が建てたということで、小澤さんはこの家で生まれ育ち、結婚してからは自分の妻や子どもたちも含め3世代にわたって住んだ大事な家だったといいます。

小澤さんはテレビのニュースで自宅近くが燃える様子を確認していて、「やっぱりだめでした。もう気持ちを切り替えました。災害復興住宅に入って生活を立て直します。その後、ここに家をたてようと思っていますがどうなるかわかりません。別の土地にしようと思ってもいまさら土地代もかかる。全部が『これから』です」と話していました。

震災で自宅が津波で流された女性 実家が全焼
三陸町綾里では80代の女性が焼け落ちた家の前で立ち尽くしていました。

住宅15棟が被害にあった三陸町綾里の小路地区では、清水嘉保子さん(83)が10日、生まれ育った実家を訪れました。

清水さんは東日本大震災で三陸町の自宅が津波で流され現在は大船渡市に住んでいます。

小路地区の実家は母親と4人の兄弟と暮らした思い出の家でしたが、今回の火災で全焼しました。

清水さんは「父親が戦死したため、母がひとりで私たちきょうだい5人を苦労しながら育てました。焼けてしまった実家は縫い物や畑仕事をしていた優しい母の姿を思い出せる場所でした。何か残っていないかと探してみたのですが、何もありませんでした。津波も大変でしたが、火災もおそろしいものだと知ることになりました」と話していました。

自宅が全壊した女性「何をなくしたのかもすぐには分からない」
大船渡市にある三陸町綾里の港地区で1人暮らしをしていた村上泰子さん(72)は、避難指示が解除されたことを受けて地区に入り全壊した自宅の被害を目の当たりにしました。

村上さんは「何も残っておらず、すべてが粉々になっていました。近所の家も焼けて何もない状態でした」と話していました。

この家でおよそ40年間、暮らしてきた村上さんは、息子と亡くなった夫の思い出が詰まった大切な家だったといいます。

村上さんは「突然のことで大事なものを持って逃げる時間がありませんでした。まだ、ぼう然としていて、何をなくしたのかもすぐには分からないです」と話していました。

村上さんは当面は親族の家に身を寄せることにしていますが「家族で暮らしてきた場所だし助け合って生きてきた大切な近所の人もいるので、いずれ港地区に戻ってきたいです」と話していました。

津波被災後に再建した倉庫が消失
避難指示が解除された三陸町の綾里漁港では、東日本大震災の津波で被災しその後に再建していた倉庫が焼け保管していた定置網をすべてを失う被害を受けました。

大船渡市三陸町綾里は定置網漁やワカメの養殖などが盛んな地域で、避難指示の解除を受け、漁港にある倉庫には管理する漁師の千田芳孝さん(66)が来ていました。

倉庫は骨組みを残してほとんどが焼け落ちていて、千田さんによりますと、倉庫の中に保管されていた定置網のすべてが焼けてしまったということです。

定置網の被害額は10億円近くに上るのではないかということです。

定置網漁は毎年5月から12月半ばにかけて行われ、漁船は避難指示を受けて対岸に移動させていたため被害はありませんでしたが、新たな網を業者に発注しても1年近くかかるため今シーズンは漁ができるか見通せない状況だということです。

この倉庫は14年前に発生した東日本大震災の津波で流され、その後、再建されたということで、千田芳孝さんは「網がないと魚がとれません。震災から14年、またマイナスからのスタートです。このような日が来るとは夢にも思わなかった」と話していました。

自宅全焼の女性 “もう1度この場所に家を建てたい”
赤崎町の平子つき子さん(74)は10日の避難指示解除後に「外口地区」の自宅を訪れました。

先月27日に避難指示が出た際、何も持たずに逃げたということで、戻った自宅は火災で焼け落ち隣にあった息子の家も元の形がわからないほど焼けていました。

40年以上この家に住んでいた平子さんは「亡くなった船乗りの夫が苦労して建てた大切な家でした。なんとか、もう1度この場所に家を建てたいです」と話していました。

資材など保管する倉庫が全焼した男性「これからどうしていけば」
三陸町綾里に住む40代の男性は、今回の火災で漁業の資材などを保管する倉庫が全焼するなどの大きな被害を受けました。

三陸町綾里の小路地区に住む熊谷将総さん(47)は、大船渡市内に別の家を借りて、家族5人で避難生活を送っています。

避難指示の解除を受けて、10日午前、様子を確認するために両親とともに自宅に戻りました。

自宅は窓ガラスが割れていて電気や水も使えなくなっているほか、漁業や農業で使う道具や資材などを保管している2棟の倉庫が全焼していました。

熊谷さんは倉庫の跡を見つめ、形が残っている機械や資材を確認していました。

熊谷さんは毎年3月と4月にワカメの養殖作業を行っているということで、「ちょうどきょうから作業を始める予定でした。準備していた資材も、毎年使っていた機械もすべて燃えてしまって、これからどうしていけばよいのか分かりません」と話していました。

避難所に引き続きとどまる人も…
避難指示が解除された一方で、三陸町越喜来の避難所では、自宅が焼けるなどして帰ることができない人たちが引き続き避難所にとどまっています。

三陸町越喜来の「三陸公民館」には一時、およそ300人が避難していましたが、避難指示の解除などを受けて、200人が避難所を出ました。

避難所ではきょう、帰宅した人たちの布団や枕などが片づけられていました。

一方、自宅が焼けるなどして帰ることができない人たちは引き続き避難所にとどまっていて、夕食や飲み物が用意されていました。

避難所となった「三陸公民館」の館長で避難所の責任者をつとめる鈴木健悦さんは「残るのは被災した避難者ばかりで、皆さん再建のことで心配だと思います。東日本大震災で得た知見を生かして対応していきたいです」と話していました。

震災後に建てたワカメ加工場が火災で被害を受けた人も
三陸町綾里では東日本大震災の津波で全壊した自宅の跡地に建てたワカメの加工場が、今回の火災で焼け落ちてしまったという人もいます。

三陸町綾里の田浜地区に住む古川祐介さん(40)は、ワカメの養殖業などを営んでいます。

避難指示の解除にともない10日、地元の地区に帰り、被害の状況を確認しました。

自宅は無事だったものの、近くにあるワカメの加工場として使っていた倉庫3棟が全焼し、漁の道具も焼けて使えなくなっていました。

倉庫は14年前の東日本大震災の津波で全壊した自宅の跡地に建てたもので、収穫したワカメの脱水作業や箱詰めなどに使っていたということです。

本来であれば古川さんは、9日からことし初めてのワカメの収穫作業を行う予定だったということです。

古川さんは「加工場の倉庫が再建できないとワカメが出荷できない。再建するにもいくらかかるかわからない。『諦め』という、ことばしかない」と語りました。

そのうえで、「このタイミングでまた何かが壊れてしまうとは思わなかった。できるかぎりのことを、ここまでやってきた。まさか選んだみたいにこの場所が火事になるとは思っていなかった。せっかくそろえたものが1つの山火事でなくなって悔しい」と話していました。

水産会社の社長「震災が再来したよう」
三陸町綾里であわびの陸上養殖を手がける水産会社の社長が、初めて現地に入って被害を確認し「震災が再来したようだ」と話しました。

綾里で40年以上にわたりあわびの陸上養殖を手がけている水産会社は、2月26日に避難指示が出て以降、操業できなくなっています。

避難指示の解除を受けて10日、古川季宏 社長が施設の確認に向かいました。

施設では停電の影響で、海水を循環させて生けすのあわびに酸素を送ることができず、産卵に備えていたおよそ800匹の貝が全滅し、生後4か月ほどの稚貝がわずかに生き残っただけでした。

また、海水を送る管の一部が焼けて、停電が解消されたあとも海水をくみ上げられないということです。

古川社長は、被害額は5億円から6億円ほどに上ると見込んでいて「『生きているかもしれない』と思っていたが、においでだめだと分かった。ある程度想定はしていたが、間近で見るとショックが大きい」と肩を落としていました。

この水産会社は、14年前に東日本大震災の津波で施設が大きな被害を受けて、生き残ったあわびをもとに事業を立て直してきました。

古川社長は「震災が再来したように感じるが、今回は施設が残っている。比較的、頑張れると思う」と話していました。会社では、生き残った稚貝を別の施設で育てるとともに、親となる貝を確保して、事業を続けたいとしています。

自宅焼失の中学生 “前を向くことしかない”
大船渡市三陸町綾里「田浜地区」の中学3年生の※舘下晏詩さんは、避難指示の解除を受けて学校の帰りに両親と一緒に自宅を見に行きました。

祖母と両親、それにの兄の家族5人で暮らしていた家は焼け落ちていました。

教科書や参考書、大切にしていた思い出の品も、すべて焼けてしまいました。

舘下さんは「勉強道具も好きなバンドのCDもぜんぶ灰になってしまいました。きょう、改めて家を見て『本当に何もなくなったんだ』と実感が湧きました。悲しい。悔しい。心が空っぽになる感じです」と話していました。

一方、長引く避難生活の中でこれまで気がつかなかった多くの人の支えとつながりを実感したといいます。

舘下さんは「自分たちのために頑張ってくれた人がいました。私も頑張らないといけないと思う。自分にできることは前を向くことしかないです」と話していました。

まもなく中学校を卒業する舘下さんは、将来は世界で活躍する仕事に就きたいと考えています。

舘下さんは、「悲しいだけの日々を過ごすのではなく、自分のやりたいことを実現する方法を探したい。どこに住んでいても、希望を持ちながら生活していきたい」と笑顔で話していました。

防災無線で解除の知らせを聞いた男性「本当にほっとした」
大船渡市中心部にある防災無線で解除の知らせを聞いた70代の男性は「自分の住んでいた地域では被害はありませんでしたが、息子は消防士をしていて地獄のような現場だったと話していました。解除になって本当にほっとしています」と話していました。

大船渡 渕上市長「被災の調査を進め 支援を具体化していく」
岩手県大船渡市の渕上清市長は、10日午前の会見で避難指示をすべて解除したことについて、「待ち望んできた日がいよいよ来た。昼夜を問わず消火活動に取り組んでいただいた消防隊の皆様、大変ありがとうございました」と感謝を述べました。

その上で、「家を失った方もいて、暮らしを守る上で生活の拠点となる住まいの確保が急がれる。また、地域の企業、産業を守ることも重要だ。被災された事業者の調査を進め、これから支援を具体化していく」と述べました。

また、午後の会見では、「なりわいの再生、生活や住まいの再生について、これまでの枠を超えた支援が何としても必要だ。市としても、被災された方々の事業意欲や焼失した家屋の再建に向けた意欲が失われないよう、しっかりと支えていく」と話しました。

そして「応急仮設住宅」の建設を県に要請し、三陸町綾里と赤崎町であわせて40戸を建設する見込みだと明らかにしました。
具体的には
▽三陸町綾里では旧綾里中学校グラウンドに30戸
▽赤崎町では旧蛸ノ浦小学校のグラウンドに10戸をそれぞれ建設する見込みだということです。

林官房長官「被災された方の生活再建へ自治体と連携」
林官房長官は午前の記者会見で「被災された方の生活再建に向けて自治体と連携して被災者生活再建支援金の迅速な支給や、応急的住まいの確保を行っていく。また『激甚災害』の指定の見込みが立ったことを踏まえ豊かな森林の回復に向けて国庫補助も活用した復旧事業への支援を進める。水産業などなりわいの再建にも着実に取り組んでいく」と述べました。

一部で断水 大船渡市が給水場を設置
10日に避難指示が解除された地区では、一部で断水しているほか、水道の水を飲み水として使えない状態になっていて、大船渡市が給水場を設けるなどして対応しています。

このうち、赤崎町合足地区では、大船渡市から委託された釜石市水道事業所の職員が、給水車から住民に配るための水をくんでいました。

合足地区では、10日午前11時ごろから、6リットルの飲料水の袋2つを避難生活から戻ってきたおよそ20世帯に配ったということです。

市は、蛇口から出る水の水質を調査していて、早ければ3月19日に結果が出るということで、問題がないことが確認できれば、順次、飲料水として使えるとしています。

一方で、蛇口から出る水は、濁りがなければ洗濯などの生活用水としては使えるとしています。

避難指示出ていた赤崎小学校 10日ぶり授業再開
大船渡市赤崎町の赤崎小学校では、2月28日に地区に避難指示が出てから休校していましたが、3月7日に避難指示が解除され、10日、10日ぶりに学校が再開しました。

自宅に戻れず、避難所に身を寄せる子どもたちは、臨時のスクールバスで登校し、元気に先生たちにあいさつすると久しぶりの教室に向かいました。

また、10日午前中に避難指示が解除された三陸町綾里地区にある綾里小学校も、赤崎小学校の校舎を借りて授業を再開しました。

この中で綾里小学校の渡辺信子校長は「赤崎小学校のおかげで勉強できることに感謝します」とお礼を述べました。

このあと、2つの小学校の児童あわせておよそ170人が互いに自己紹介をしたあと、ゲームなどを楽しみ、交流を深めました。

赤崎小学校の6年生の女子児童は「学校が始まってうれしい。もうすぐ卒業なので1日1日を大切に過ごしたい」と話していました。

また、綾里小学校の6年生の男子児童は、「こういう場を借りてみんなと会えてうれしい。楽しく勉強したい」と話していました。

赤崎小学校の高室敬校長は「子どもたちの元気な姿を見ることができてうれしい。学校を子どもたちが夢と希望を持てる安心した場所にしたい」と話していました。

消防隊員の見回り・警戒続く 畑で煙確認もすぐに対応
10日、避難指示が解除された大船渡市赤崎町の外口地区では消防隊員が引き続き見回りと警戒を行っていて、畑で確認された煙の消火に当たっていました。

住宅26棟が被害を受けた大船渡市赤崎町の外口地区では畑で煙が確認され、10日午後5時ごろ、消防隊員10人余りがホースで水を放水したり土を掘ったりして消火活動に当たっていました。

畑で作業をしていた男性によりますと、消防隊員が火が残っていないかを確認していた際、畑から煙が上がっているのを見つけたということで、すぐに対応し火は消し止められました。
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