折角、桜がやっと満開になったというのになんとも曇天・・・時折、小雨もあったりで。一度も晴天のもとで美しさを競うことなく、曇天と小雨と強風の中で散ってゆくのだろか、この桜の花たちは、・・・と思うとちっとカナシ。百姓にとって桜の開花は夏野菜の栽培のスタートを意味し、5日は清明(『ツバメキタル、鴻雁北(コウガンカエ)る、虹初めて見る。』)、17日は“春の土用”で播種の大切なポイントとなり、遅霜には注意しながら日々汗します。
最近、疲れているのだろうか。デジャブ(昔どこかで見たことがあるかのような風景に出会う不思議な現象⇒既視感)をよくみる。ハウス内の定植はほぼ終え、あとは4月の下旬に露地の定植を残すのみだ。天候不順で、今年の春、夏の野菜も少し高騰しそう・・・、寒かったり、暑かったり、雨の日が続くことも困ったものだ。体調を崩しておられる方もあるようで、お大事に!!
さて、デジャブの話に戻るが、僕はただの幻想・幻覚だとは思わない、どちらかというと未来はほぼ決定事項(運命論者ではないが)だと思っている(僕はどちらかというと決定論者で、日々の積み重ねが未来になると思っている方だが)ので、普通に行動していると普通になるようになる(なるようにしかならないのでどうでもいいという意味でなく)。でもそのプロセスでひとつひとつ考えたり、立ち止まったり、悩んだり、努力したり、協力したりするとまたそれぞれの決定事項に変化が訪れ(変化するのだから決定事項とは言えないが)少しずつ変わっていくと思っている。だから、デジャブと遭遇した時はいつもどれとどれの関係でこうなったのか、自分で再度構成を再考してみる・・・この作業は結構面白い。あぁそうか、このままがいいのか、アレをもう少しこうしておけば良かったのか等ひとり頭の中で問答していたりする、他人からみると大層変だが。
さて、デジャブの話に戻るが、僕はただの幻想・幻覚だとは思わない、どちらかというと未来はほぼ決定事項(運命論者ではないが)だと思っている(僕はどちらかというと決定論者で、日々の積み重ねが未来になると思っている方だが)ので、普通に行動していると普通になるようになる(なるようにしかならないのでどうでもいいという意味でなく)。でもそのプロセスでひとつひとつ考えたり、立ち止まったり、悩んだり、努力したり、協力したりするとまたそれぞれの決定事項に変化が訪れ(変化するのだから決定事項とは言えないが)少しずつ変わっていくと思っている。だから、デジャブと遭遇した時はいつもどれとどれの関係でこうなったのか、自分で再度構成を再考してみる・・・この作業は結構面白い。あぁそうか、このままがいいのか、アレをもう少しこうしておけば良かったのか等ひとり頭の中で問答していたりする、他人からみると大層変だが。