百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

自然農の田畑

2006-04-20 21:33:41 | 農業
自然農の田畑は ○1年目は、人が蒔き ○2年目は、鳥が蒔き直し ○3年目は、自然(カミ)が・・・成ると言われています。今年は3年目、自然(カミ)の希望(ヒカリ)の見える年!!??になりますように!!!
昨年は無農薬はもちろん、無化学肥料で、出来るだけ有機物マルチを使うことで不耕起での栽培を心がけました。結構、苦労をしたものの、なかなか成果は少なく終わってしまったことは悔やまれます。
今年もほぼ同様な手法を用い、現在は定植準備として苗の栽培と圃場の草取りをおこなっています。圃場を整備していると昨年の土とは明らかに違う、土が肥えてきていることが実感出来ます。特にたくさんの有機肥料を施肥しなくとも、しっかり地力がついてきている。これが土着菌の力!? 今年はすこし期待に応えられるかナァ。

食品添加物

2006-04-20 00:07:18 | 料理
食品添加物というと、なんだか嫌なもののように思う。出来れば入っていない方がいいように思うのは僕だけではないように思うが、よく考えると豆腐には“にがり”が、こんにゃくには“水酸化カルシュウム”が、お饅頭には“重曹”が入っている。添加物も使い方が大切で、食生活が『安く、手軽で、便利に』なるのもこの添加物達のおかげ・・・。
でもなんでもOK!というではなく、しっかりそれらの内容を理解しながら添加物とうまく付き合っていこうという、その方法が「食品の裏側(安部司著:東洋経済出版)」の中では語られている。
◇食品添加物はそれぞれ名前も難しく、役割も複雑になっているため、一般にわかりづらい。⇒「食品添加物=台所にないモノ」と考え、出来るだけ台所にないものが入っていないものを選ぶよう心がける。①“裏”の表示をよくみる。②加工度の低いものを選ぶ。③知って食べる、一週間の食卓のイメージを持つ。④安いものだけに飛びつかない。と本には紹介されている。
つまり、①裏の表示に台所にないものの少ないものを選ぼう!②カット野菜にも、添加物が!(表示免除の添加物もあるため)③今日も明日も明後日も・・・をやめよう!④安いものはニセモノかも!!(・・風とはよく言ったもので。)ということらしい。
大変わかりやすく書かれているので、興味のある方は是非読んでみて下され。1400円です。

3年振りの友からの連絡

2006-04-19 00:29:57 | 農業
3年振りに友人から連絡があった。友人は関東で仕事をしていた時の先輩だが、現在は先生(区議会議員)になられていて、少し疎遠(別に意識的ではないが)になっていた。
そんな彼が『現在の農業政策の問題点は?』『特区?』『認定農家になるためには?』『体験型農園は?』『有機農法?』『永田農法?』と矢つぎばやの質問をしてきたのだ。
『現在の農業政策』・・・現在超党派で進められている有機農業推進法の成立・・・「農は食を支え、いのちを支え、社会をつくり、自然を育てます。農業が時代に潰されようとしている今だからこそ、そういう農を育てたい」・・・が今後のポイントのような気がします。
『特区』・・・農家民宿では消防法の規制の特例を設け、既存の施設の活用を可能にした等地域の農業政策にマッチした特例が望ましいと考えます。
『認定農家』・・・1)市町村の基本構想に照らして適切であり、2)計画の達成される見込みが確実であり、3)農用地め効率的かつ総合的な利用を図るために適切であること。が認定の原則といわれており、効率と効果を追求する近代農業の推進でない(僕みたいなタイプ)と認定されづらいのが現状です。
『体験型農園』・・・栽培・収穫体験市民農園、クラインガルデン(滞在型市民農園)、加工体験等現在では様々な形態が各地に存在しています、やっぱり地域性を活かしたモデルづくりが大切だと思います。。
『有機農法』・・・有機が決して全てではなく、有機も使い方では毒にもなります。植物は無機のカタチでしか体内に吸収出来ないといわれていますが、微生物の力でクラスターを細かくし吸収しやすくするのが有機の特徴です。
『永田農法』・・・植物の力を最大限活かそうとする農法、確かに美味しく仕上がりますが、持続性があるかというと少々疑問が残ります。
ブログを通して、現在僕のレベルでお答え出来ることを僕なりにお答えしたつもりです。
質問はいつでもOK!!また、ご意見も下さい!!!
僕が農業をやっていることを憶えていてくれた先輩に感謝!!!

スローフード

2006-04-18 01:06:43 | 循環
スローフードを初めて日本に伝えた島村菜津さんが『スローフードな日本』というタイトルの本を出版された。まだ読んではいないのでいい加減な事は言えないが、現在の日本の農業事情をその現地へ直接赴き取材する中で、持続可能な日本の農業や“笑顔”のある食卓を彼女なりに再考されているように思う。早い機会に読んでみます。
彼女は以前、『例えば、マヨネーズでも遺伝子組み換えでない油や平飼い卵を原材料にした「安心ライン」みたいな商品を作るとか、「国産大豆にとにかく力を入れる醤油」をつくるとか。それが食の多様化、差別化につながれば、いろいろなビジネスがそれぞれうまくいくのではないか。』とどこかの雑誌で話されていた事を思い出す。
おそらく、いろいろな視点で農畜産物と加工品、農家と消費者がそれぞれの垣根を取り払い、『安全・安心』ではなく『おもわず微笑む美味しさ』という食の原点に立ち返ること、そしてそれぞれが歩み寄ること(決して他人事にせず)が最も大切なのではないかと話されているのだろう。
熊本県水俣市の桜野園の松本さんは、「有機農業は、何かが起きても植物を黙って見守る『勇気農業』だ」と話されているようで、福島で白鳥で有名な中村農園の中村和夫さんは「有機農業や自然農法は『お金のモノサシ』で計っては出来ない。『心のモノサシ』で計ってくれるお客様がいて、初めて成り立つ農業なんだ。」と話される。
そう考えると、もっと楽しく笑いながら出来る農業を早く提案しなければ!!と気持ちだけやけに焦る。いつまでも百姓個々人の能力と理解のある消費者の関係だけに頼っていては、数十年後の日本の農業はきっと消滅しているだろう、本来は百年後を見つめた農業の提案をしなければならないのに!!

何が正しい?

2006-04-16 21:18:56 | 環境
何が正しい?? 何が真実か? 事実はひとつで、真実は個々人の見方、考え方でいく通りも存在するという話を以前(06/04/01)書いたが、今日は『目に見えるものは紛れもない事実でも、目に見えないものの中にこそ真実(本当の事)がある。』という話をしてくれる友がいた。そういえばそうかもしれない、今、見えているものはさも事実であって真実のように見えるが、事実であっても、真実ではない。真実はいろいろな見方、考え方に基づくが、実はそんなに難しいものではなく、それを心の眼でどう捉えるかが大切なのではないか。心の眼は、そのもののもつ本質を見極め、その心の眼を磨くことは悟りへの道へと繋がる(06/04/14)、つまり見えないものの中にこそ本質があり、今現実に見えているものに決して惑わされることなく、強く生きていくことが“正しい”への近道のように思う。

頑張れッ!桑田真澄!!

2006-04-16 00:39:54 | Weblog
先日13日に600日ぶりに勝利を手にした桑田選手、本当に良かったですねぇ。ほんとうに長かったから。600日って簡単にいわれても、ほぼ2年だもんね、昨年もあんなに頑張っていたのに、なかなか勝利に恵まれず、巷では引退も囁かれ、今年も第一戦は失策がらみの失点で勝利を逃し、いつになれば勝利の女神が微笑んでくれるのか、もしかしたらこのまま・・・なんて思う日々もあったのでは。でも本当に彼の常に努力する姿、精進する姿、前向きなストイックな生き方には脱帽です。真似しようにも出来ません、なかなか。
そんな桑田選手が今年の年始にジャイアンツのオフィシャルhpで『守られていることに感謝しながら』というタイトルで「18日から、ここ(ケアンズ)に来ているんだけど、毎日、感謝の気持ちでいっぱいになるよ。朝は、朝陽が、全てのものに、新鮮な空気と一日の生きるエネルギーを与えてくれ、昼は、山、海、空、大地の美しさを見せてくれて、また、容赦なく照りつける太陽の強さと厳しさを感じさせてくれる。夜は、何と言っても星の美しさだね。夜空を見上げると、星の輝きと共に、宇宙を感じ、全てのものが、生かされているんだと感じることができる。本当に、自分が生かされていることへの感謝の気持ちが込み上げてくるね。」という文章を綴っていて、こんなに努力して、精進している人が、常に“感謝”しながら、“生かされている”と思っているのかと思うと、まだまだ精進が足りない僕なんかはもっともっと“感謝”して努力を怠らないことが大切なのだとつくづく思う。

老眼

2006-04-14 21:14:09 | Weblog
最近、老眼・・・になった。歳だからしょうがないといえばしょうがないが、元来近眼だった者が遠視になる過程で正常な状態には戻らないものなのかナァ・・・というと、老眼はただ単なる遠視になることではないようで、調整力が衰える(筋力の低下)ことによるものだそうだ。いつの間にか筋力も衰え、身体もガタガタに・・・なんともカナシ。
老眼は中国語では、花眼(ホアイェン)というらしい。花がよく見える眼になったという意味で、花は近くでみるものではなく、ひとつの全体像として遠目でみるほうが味があるという考え方にもとづくもののようだ。
人間は歳をとる(人間に限らず、この世で生のあるものは全てだと思うが)、その歳をとる過程で体力がなくなり、知力??も衰え、ときどき何故生きているのか考えたりもする。でも、それもこれも考え方ひとつ。少しずつゆっくり、少しずつ落ち着いて、決して眼や耳にのみ頼るのではなく、五感+六感、心の眼を大切にする中で本当の姿や、本当の音に触れる訓練をしよう。この姿が、悟りに繋がる、そんな気がする。

曇天ですが、桜満開!!

2006-04-13 21:52:00 | 農業
折角、桜がやっと満開になったというのになんとも曇天・・・時折、小雨もあったりで。一度も晴天のもとで美しさを競うことなく、曇天と小雨と強風の中で散ってゆくのだろか、この桜の花たちは、・・・と思うとちっとカナシ。百姓にとって桜の開花は夏野菜の栽培のスタートを意味し、5日は清明(『ツバメキタル、鴻雁北(コウガンカエ)る、虹初めて見る。』)、17日は“春の土用”で播種の大切なポイントとなり、遅霜には注意しながら日々汗します。

デジャブ

2006-04-13 00:00:25 | 循環
最近、疲れているのだろうか。デジャブ(昔どこかで見たことがあるかのような風景に出会う不思議な現象⇒既視感)をよくみる。ハウス内の定植はほぼ終え、あとは4月の下旬に露地の定植を残すのみだ。天候不順で、今年の春、夏の野菜も少し高騰しそう・・・、寒かったり、暑かったり、雨の日が続くことも困ったものだ。体調を崩しておられる方もあるようで、お大事に!!
さて、デジャブの話に戻るが、僕はただの幻想・幻覚だとは思わない、どちらかというと未来はほぼ決定事項(運命論者ではないが)だと思っている(僕はどちらかというと決定論者で、日々の積み重ねが未来になると思っている方だが)ので、普通に行動していると普通になるようになる(なるようにしかならないのでどうでもいいという意味でなく)。でもそのプロセスでひとつひとつ考えたり、立ち止まったり、悩んだり、努力したり、協力したりするとまたそれぞれの決定事項に変化が訪れ(変化するのだから決定事項とは言えないが)少しずつ変わっていくと思っている。だから、デジャブと遭遇した時はいつもどれとどれの関係でこうなったのか、自分で再度構成を再考してみる・・・この作業は結構面白い。あぁそうか、このままがいいのか、アレをもう少しこうしておけば良かったのか等ひとり頭の中で問答していたりする、他人からみると大層変だが。

風が吹くと

2006-04-12 00:44:15 | 農業
風が吹くと桶屋が儲かる。・・・それにしても強い風・・・なかなか大変!!台風でもそんなにひどくなかったのに・・・あるハウスの側面のマイカ線(ハウスのバンド)は切れてしまうし・・・「風が吹くと桶屋が儲かる・・・風が吹くと砂ぼこりがあがり、盲人がふえる、盲人 は三味線を弾くため、その三味線に張る猫の皮が必要にり、猫が捕獲され猫が世の中から減り、そのため鼠がふえて桶をかじるので桶屋が繁盛する。」というストーリーだったと思うが、この“風”のおかげで誰がどう得をして、誰がどう損をするのか。『備えあれば憂いなし。』ということわざがある通り、常に雨や風を予期した圃場整備が必要なことを今一度認識した今日だった。それにしても、夕方帰宅前にもう一度ハウスの点検をして良かった、していなかったら今頃・・・ハウスの側面がズタズタになっていたかもしれない・・。