先日郷里の山形で亡母の法要があり出掛けました。その際に短時間だが「山寺」に立寄りました。
この山寺はご存知の方も多いでしょうが、芭蕉の「奥の細道」でも紹介されている「立石寺」がある。
貞観2年(866年)に慈覚太師によって開創され「宝珠山立石寺」が正式な名前である。
その後は東北の霊山として、幾多の修験者に崇拝を受けた名刹であるし、また俳聖芭蕉も訪れた事でも有名になった。
全山には堂宇が散在し、奥の院まで続く石段は1015段あるとされている。
欝蒼とした杉木立のあいだを行く参道には、石塔婆や石仏があり、古来からの修験者の厳しい修験の様が伺える。夏とは思えない涼しく静かな佇まいでした。
百丈岩の岩上に納経堂、開山堂などが並んでいる。さらに舞台造りの五大堂からの眺めは絶景だと言はれる。
芭蕉はこの参道を登る際に「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を詠んだとされている。
今回は時間がなく350段程の静かな参道を歩いて戻りましたが、改めて時間を取り再度訪れ奥の院まで登りたいと思った。
本堂である根本中堂には、1100年前の建立当時に比叡山延暦寺から分灯された「不滅の法灯」が灯されている。
比叡山延暦寺は織田信長により、全山焼き討ちにあい延暦寺他の堂塔全てが消失した。
その後に再建された延暦寺根本中堂には、この「立石寺」から法灯が戻されて再び灯ったと伝えられている。
小生は1100年燃え続ける法灯を拝見出来ないかと堂守の僧に聞いたところ、200円を支払へば堂内に入れるとの事だった。さっそく薄暗い根本中堂の内裏に入り、ご本尊前まで進んだが勿論ご本尊は50年に一度の開帳であり扉がきっちり閉まっていて拝見する事は出来ない。
そして法灯はご本尊の前に金色の灯篭が天井から2基吊り下げられていて、幸運にも1基は扉が開いている。
ロウソクが灯っているのかと考えていたが、受け皿には油が入っていて糸芯が燃え続けていた。
何と1100年前からの灯火が連綿と受継がれている不思議と、時の流れの雄大さをも感じ取った瞬間だった。
立石寺根本中堂
俳聖芭蕉像
句碑
この山寺はご存知の方も多いでしょうが、芭蕉の「奥の細道」でも紹介されている「立石寺」がある。
貞観2年(866年)に慈覚太師によって開創され「宝珠山立石寺」が正式な名前である。
その後は東北の霊山として、幾多の修験者に崇拝を受けた名刹であるし、また俳聖芭蕉も訪れた事でも有名になった。
全山には堂宇が散在し、奥の院まで続く石段は1015段あるとされている。
欝蒼とした杉木立のあいだを行く参道には、石塔婆や石仏があり、古来からの修験者の厳しい修験の様が伺える。夏とは思えない涼しく静かな佇まいでした。
百丈岩の岩上に納経堂、開山堂などが並んでいる。さらに舞台造りの五大堂からの眺めは絶景だと言はれる。
芭蕉はこの参道を登る際に「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を詠んだとされている。
今回は時間がなく350段程の静かな参道を歩いて戻りましたが、改めて時間を取り再度訪れ奥の院まで登りたいと思った。
本堂である根本中堂には、1100年前の建立当時に比叡山延暦寺から分灯された「不滅の法灯」が灯されている。
比叡山延暦寺は織田信長により、全山焼き討ちにあい延暦寺他の堂塔全てが消失した。
その後に再建された延暦寺根本中堂には、この「立石寺」から法灯が戻されて再び灯ったと伝えられている。
小生は1100年燃え続ける法灯を拝見出来ないかと堂守の僧に聞いたところ、200円を支払へば堂内に入れるとの事だった。さっそく薄暗い根本中堂の内裏に入り、ご本尊前まで進んだが勿論ご本尊は50年に一度の開帳であり扉がきっちり閉まっていて拝見する事は出来ない。
そして法灯はご本尊の前に金色の灯篭が天井から2基吊り下げられていて、幸運にも1基は扉が開いている。
ロウソクが灯っているのかと考えていたが、受け皿には油が入っていて糸芯が燃え続けていた。
何と1100年前からの灯火が連綿と受継がれている不思議と、時の流れの雄大さをも感じ取った瞬間だった。
立石寺根本中堂
俳聖芭蕉像
句碑