ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

のぼうの城

2009-07-03 13:01:00 | 読書
 昨年12月始めに初版本が出て評判になっていた、和田竜著「のぼうの城」を読了した。まさに読み出したら止められない面白さである。時代小説と言うより、実に多彩な資料の類いを参考として書かれている様であるから、一種の歴史小説だろうと思う。

 時代はまさに豊臣秀吉の天下統一がなろうとする直前、関東の雄小田原の北条討伐の際の話である。秀吉は子飼いの石田三成、大谷吉継、長束正家の3人に、小田原勢の支城である武州忍城の攻撃を命ずる。

 一方、守勢にまわる武州忍城は、成田氏長が1千騎を率いて、現在は埼玉県行田市に所在した城である。浮き城とも称された城はまるで湖の上の島々に本丸を始め、二の丸、三の丸が点在し、さらに武家屋敷をも持つ城郭の様相を持った、堅守の城であった。

 しかし戦国の世のならい、この小藩は北条家に庇護されながら、2度も離反した経験を持つ。今度も圧倒的な力攻めを仕掛けてきた秀吉にも誼を通じていた。やむなく北条家の小田原城への篭城に500騎を率いて駆けつける藩主は、秀吉軍の攻勢には即、開城すべしと指示して城をあとにした。

 物語はこの城を守る、家老の正木、酒巻、柴崎の3人に、藩主の従兄弟にあたる成田長親(のぼう)等の奮戦の一部始終である。開城の使者に当然、開城を持って応える筈が、城代家老の父に代わって相対した「のぼう」は何と開戦を通告する。

 石田三成を総大将とする豊臣軍は2万人、対する城方は領内の農民、家族も城に引き入れるもわずか3千に足らず。しかし城の構造上の有利さから、城方の勝利が続く。そこで窮余の一策、秀吉の下で高松城の水攻めを見て、何時かは自分もやりたいと思っていた三成が急遽、遠大な土堤を築いて城を水攻めにする。

 城は水攻めで本丸を残すだけになり、万事休すと思われたが、「のぼう」の気転の効いた行動が逆に城方の奮起、結束を固めることになる。城に入らなかった農民たちが密かに急造の土堤を突き崩す。城を沈めていた水は逆に三成軍に襲い掛かることになり、散々に敗れた三成軍は、秀吉の小田原討伐に唯一の汚点を残すことになる。

 この題名に使われた「のぼう」と言うのは、「でくのぼう」と噂された成田長親が、日頃より農民の間に入り込み、親しんだことから、親しみを込めて呼ばれたことに由来するらしい。 秀吉軍の圧倒的な戦力の前に、北条軍の支城が悉く落城しながら、この忍城だけが残ったことは、歴史上も稀有なことだと言はれるようである。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする