”夢助”というアルバムがナッシュビルでレコーディングされたことを知らなかった。
一軒家のスタジオにミュージシャンが集まり、レコーディングが始まっていく。
日本から訪れた清志郎さんが楽器屋さんでGibsonの「J-200」を求める。
1953年製か、鳴るだろうなあ。
ゆるーい太鼓の音が自信を感じさせるドラマー、ギター、ベース、キーボード、ホーンセクションと。
ナッシュビル・レコーディングの全てが素晴らしい結果に終わるわけではないだろうが、特別な期待感を与えてくれる。
レンタ・サイクルでスタジオに向かう彼を見ていると、生前彼が訪れたという近隣にあったハワイ珈琲焙煎スポットのことを思い出す。
「HWY11」と書かれた素敵な看板の下に駐車場、お店の前に木製ベンチが一台。
そのベンチに座って珈琲を楽しんだ帰り、カウンターの脇に積まれた200gの珈琲を求めて帰ったそうな。
タバコを吸っていたのか、お店には入ろうとせず物静かだったという。
レコーディングで、細野さんがハーモニーをつけたデモ・テープがあり、プロデューサーのスティーヴ・クロップが着目する。
ナッシュビルから電話がかかって細野さんが音源を送る件も、面白い。
「いますぐ、来てくれ」という話の方が嬉しいのだが。
社交辞令があったとしてもナッシュビルのスタジオ・ミュージシャンたちが、ロッカーとしてのグルーヴを感じたのは共感する。
英語の発音がどうであれ、日本語のイメージがどうであれ、「ロック」を感じることができればいい。
毎年訪れる命日に多くのファンが集まり、彼を慕うミュージシャンが追悼ライヴを行う。
「上手くやればいい」「ウケればいい」という人が多いなか、「ミュージシャンを通す」のは辛い。
「ヒット曲が一曲あれば食っていける」などと宣わく業界の方がいらっしゃるなかで「音楽を通じて意思疎通ができること」は素晴らしい。
死してなお生き様を伝えることのできるミュージシャン、素直に羨ましい。
世の中を変える勢いで音楽をやるってことが「Rock」の真髄か。
パンジャ・スウィング・オーケストラ & 忌野清志郎 / スローバラード
パンジャ・スウィング・オーケストラ & 忌野清志郎 / Fly Me To The Moon
忌野清志郎 "夢助" ~最後のアルバムレコーディング~ 1/4