ライブで聴衆と一体化する幸せと、レコーディングで作り上げた作品で人の心をつかむ喜びがある。
ミュージシャンは、どちらも実践して、しかし好みが分かれる場合もある。
音楽はやっぱりライブだという意見に賛成だ。
が、ソロにしてもバンドにしても、音楽傾向の一致やメンバーの選択から始まって活動の場まで通らなければならないポイントが多い。
音楽をやってほしいと言われるのは嬉しいのだが、音楽をやるにはお膳立てが必要だと言うことがなかなかわかってもらえない。
業界用語で「アゴ足」というのは交通費と食事の心配のこと、招く側は案外こうした現実的な問題とギャラのなかにはこうした配慮が含まれていることを理解しようとしない。
もうひとつ音響の環境と設備について配慮されていないお店が多いこと。
ライブをやることを前提として作られた会場はともかく、一般のお店は音響や照明、電源など考えてないところが多い。
そうしたお店でライブをやるにはお店のお許しはもちろんのこと、機材やスタッフを持ち込む手間暇があることも理解されないことが多い。
一方で、レコーディングにはスタジオ使用料やミキサーなどの人件費、録音した後のマスタリングなど膨大な費用がかかる。
ブライアン・ウィルソンがビーチ・ボーイズで稼いだ金をスタジオワークに全部つぎ込んだというエピソードは、まさにこのことだ。
ポールの公開レコーディング映像を見れば「multitrack」レコーディングの妙を実感できるだろう。
まさかドラムスまで叩くとは思わなかったが、やればできる、
ピアノを重ねて、ベースを加える、サイドギターを入れてリードギターを録音し、ボーカルを入れる。
わずかな時間のなかで本物のビートルズサウンドが出来上がっていくプロセスを「Live」で見られた人たちは幸せだ。
でもポールにとっては頭のなかのたった一コマでしかない日常なのだろう。
先般ビーチ・ボーイズの簡易レコーディングを模索して感じたことがいくつかあった。
ブライアン・ウィルソンの追体験をしたなどと言ったら世界中のファンから総スカンを食らうだろうが、そこまで図々しくないのでご安心を。
演奏は、とりあえずリズムをキープしてコード進行を録ればまずは良し。
問題はボーカルで、メロディパートをきちんと録ることが重要だ。
さらにコーラスパートは、当然のことながら音程をとるのが難しい。
ガイドとなるメロディを聴きながらならなんとか聴ける程度のハーモニー(らしきもの)をつけることはできる。
ところが歌の出だしなどガイドがないところからパートの音程をとるのは訓練を要する。
もうひとつはハイトーンの発声だ。
女性なら普通に出るキーで男性が歌うと、どうやらあの鼻声混じりのファルセットになるらしい(ならざるを得ない)。
これをごく普通に発声して歌として聴かせられるようになるには相当な場数が必要だ。
また当たり前のようだが、コーラスパートはわかりやすいメロディにはならず上がったり下がったりのオタマジャクシをトレースすることになる。
さらにきちんとした譜面に基づいてこれをやろうとすれば、譜面通りに歌えるかどうかのストレスが待ち受ける。
そして感じたのは女性の声でビーチ・ボーイズをコーラスすることの新鮮さだ。
男声によるコーラスはおそらく数え切れないカバーが存在するのだろうが、無理のない女性コーラスもなかなかどうして悪くない。
そしてその人の個性の発露。
歌は、「人となり」を否が応でも表現して憚らない。
歌に恋する、声に惚れてしまうなんてことが起こるのも音楽の素晴らしさではないか。
レコーディングは妥協の産物と化したりもするが、しかし夢のまた夢を追い求める永遠のプロセスでもある。
ポールマッカートニー 公開レコーディング風景
John Lennon Medley - PAUL McCARTNEY
志村けん、ポール・マッカートニーのコンサートを熱~く語る。「夢のような時間だった」【志村けんの夜の虫】
The Beatles - The Royal Variety Performance (Full)