世界各地のワールド・ミュージックでギターが使われている。
スペインやポルトガルといった国が植民地を求めて海洋を横断した時代、楽器も一緒に運ばれていった。
マゼランの記念碑が建つフィリピンにはギター工房があり、復弦の珍しい楽器が製造されるのはポルトガルの影響か。
彼の地で音楽が盛んなのは、生来の民族性に加えて欧州からの影響もあるのだろう。
「World Music for Finger style Guitar」
「フィンガースタイルでワールド・ミュージック」とでも訳すのだろうか、ギターで世界一周みたいなノリだ。
どこの国の方か存じませぬが「Lowden」のギターを達者に弾く。
中東の音階を器用に表現しながら、無茶振りコードストロークの披露、、、これぞワールド・ミュージック
「Japan」を音楽で表現されると、こそばゆくなってしまう。
西欧人が洋楽で表現するとそんな感じなのか、なるほど、でもそれは少し古いよね、、、結局「スキヤキ」でも弾いてくれた方が気が楽なのだが、
驚いたのはハワイ方面での「スライド・ギター」の妙、
一世を風靡した「The Emersons」を彷彿とさせる、古典的な雰囲気を見事に表現している。
音源の収録と映像の撮影は別に行われたようだが、ギター一台で弾くスライドは素晴らしい。
スライド・ギターはその人の「人格」が如実に出る。
優しさ、大雑把、丁寧、いい加減、自己中心、不器用、支離滅裂、などなど「バー」と指先に込められた繊細さが音となって素直に出てくるから恐ろしい。
もうひとつ重要なのは「音楽性」
彼の国の音楽をどう捉えているか、ということ
ライ・クーダーのスライド・ギターが、「どの国の音楽をサポートしても自然に聴こえる」のはテクニカル・マターと中立性によるものだろうか。
いやその国の音楽を理解しているからだと思う。
弾けもしないのに能書きを垂れるなと言われそうだが、音楽をやるには「音楽性」が大事、ということ
椰子の樹が生えていない国の音楽はあまり関心がない。
泳げもしないのに海と燦々と降り注ぐ太陽の恵み、できることなら美しい女性のいるパラダイスに夢を追い求める。
World Music for Fingerstyle Guitar