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レノンシスターズの「花はどこへ行ったの」を愛聴していた頃、グループによるアレンジの違いに気がついた
アレンジと言っても「When will they ever learn ?」を「Oh」とやるか、どうかくらいのことだったが、当時同じ曲を多くのグループがレコーディングし競作していたからだ
そうした洋楽と並行して和製フォークが出てきてユニークな作品を耳にするようになる
当時の学生運動と連動したかのような吉田拓郎の歌は若者の心をつかんだように思う
ワールドミュージックの衰退とロックの台頭は同時進行したかのようで、あながち無関係ではないと思う
ロックというより大雑把にジャンル分けできないくらいの多様な音楽が出てきてとても全部聞く訳には行かない時代が来た
たまたまハワイ音楽を続けていた自分がそうした混沌の中でハワイのムーヴメントに出会ってのめりこむことになった
それから何十年、自分が特別な世界にいたとするなら、同じように一つの世界を楽しんできた人たちがいる
日本語による歌の説得力に驚いたのは最近のことだ
わかりやすいからであるのだが、語りかける口調でメロディに乗ることの新鮮さだった
ひょっとして歌として作るのでなく、印象が、心象風景が詞になって、そこにメロディが乗る
だからこそ共感してしまう
自転車、数え切れないほど乗って、倒れて、今は乗らなくなっているモノ
憧れであったり、財産であったり、道具であって、愛すべき存在
歌を作る、生活を振り返り思いを馳せる
吉祥寺の焼き鳥屋さんで一杯やるミュージシャンにリスペクト、、
佐藤GWAN博 わたしの自転車
ほんのちいさな歌 佐藤GWAN博
高田 渡が「生活の柄」を完唱
自転車にのって / 高田渡&なぎら健壱&坂崎幸之助