夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

どうにかなるさ

2015年05月13日 | 音楽


今年も尾崎さんの命日が近づいてきた。
それにしてもYOUTUBEにUPされている楽曲の多いことよ。

最近思うのは、レコーディングの作品とライブ、コンサートでの演奏との違いだ。

レコーディングは概してオーケストラを先録りしてボーカルを入れるケースが多いと想像する。
一方でライブは一発録りであるからしてスタジオレコーディングの完璧さは望めないとしても「ノリ」が楽しめる。

もちろんスタジオワークでの完璧さは誰しも認めるところだが、尾崎さんの魅力はライブで発揮されると思う。

バンド経験者ならわかると思うが、ボーカルがいいとバッキングミュージシャンとの間で「ノリ」の相乗効果が生まれる。
「上手に歌うだけではダメ」であって「バンドをノせるくらい」のボーカルが始まるとバンド全体がノってくる。

それから尾崎さんの歌には「色気」がある。
ハワイのファルセットもカントリーのヨーデルも経験したであろうし、ロックやジャズのスタンダードナンバーからのエッセンスも
彼が「ごく自然に」自身のボーカルスタイルに取り入れているところに秘密がありそうだ。

男性が聴いても感じるこの歌のなかにある「色気」は、端正な顔立ちともみあげと共に女性なら虜になってしまうのではないだろうか。

こうした数々の魅力をひとまとめにして「うまい」と片付けられてしまうと不満が残る。
歌はテクニックだけではないのだから。

少年の心を持ち続けて生きたアウトサイダー。

そんなミュージシャンがいなくなってきた、と思わないだろうか。



「どうにかなるさ」 - 尾崎紀世彦

尾崎紀世彦 Do You Know

尾崎紀世彦 THE END (Live Version)

蕗味噌

2015年05月12日 | 食・レシピ




「エゴマ」が話題になっている。
「エゴマ油」が体に良いということで紹介されて以来、スーパーの棚から消えているようだ。

たまたま苗が入手できたので説明書きを読めば、東南アジア原産のシソのような植物で150センチメートルにもなる一年生の草本だという。
葉も利用できるそうだが、晩秋に採れる実から油を採取する。

こうした健康野菜は、概して美味しくないものだ。

意外と不味くはなかったのが「キク芋」
根につく「ちょろぎ」のような芋を天婦羅にしたりするのだが、あっさりしていてクセがない。

夏には黄色い花が咲き、これも1メートルを超す雑草のようなもので、生命力は旺盛だ。
一度庭にでも蒔けば毎年出てくる。
まあ雑草を放置しておくことを考えれば薬草だと思えば我慢ができる。

「エゴマ」は「蕗(ふき)」と同様、少々の日陰でも育つらしい。
ソーラー発電所の敷地に「蕗」を栽培して収穫による収益を期待する話を聞いて感心した。
ならば「エゴマ」こそ有効利用できるのではないだろうか。

「蕗」は郷里の庭から関東に移植した。
愚弟の撒いた除草剤のおかげでほとんどの食用果菜類は全滅したが、何とか生き延びさせようと移植したのが生きている。

蕗を移植した頃、拓郎氏の「フキの唄」を聴いて彼も蕗を召し上がっていることを認識した。
しかも「葉」まで頂いているらしい。

そのうちに「フキノトウ」が出てきて「蕗味噌」のレシピを知った。
雪の間から顔をだす「フキノトウ」の苦味と香り、みりんと砂糖で甘く味付けした味噌と油のマジックは「ご飯の友」の最強レシピだ。

こんな珍味を知らないで生きてきて、今頃せっせと作っては食べている我が身の愚かさよ。
知らないということは恥ずかしくもあり、機会損失の極致だ。

蕗を採取して板ずりしてアク抜きをする。
葉を刻んで「蕗味噌」を作り親しい方にお届けする。

こんな馬鹿なことを繰り返すのが「フキ」なのです、、、私は。 
嗚呼、フキの唄よ。


Yume plays Uke " Fuki no Uta "

ザ・グレイト・ミュージック・エクスピアリエンス

2015年05月06日 | ギター・レッスン


当時「そんなニュースが流れていたっけ」と思い出したのは「ザ・グレイト・ミュージック・エクスピアリエンス」、1994年のことだった。
奈良の東大寺大仏殿をバックに行われた野外ステージ「The Great Music Experience - Japan 1994」だ。

ボブ・ディランやライ・クーダー、ジム・ケルトナーなど大物ミュージシャンを集めての壮大な企画は「国連UNESCO」の呼びかけだった。

キリスト教のみならず宗教団体がアートやミュージックなど文化を後押しするのは古今東西あること。
日本では禅宗など積極的に文化活動を行っているし、ご住職自らミュージシャン活動をする例も多い。

1994年のこのイベント、東大寺が企画に賛同して協力したことは「広く世界に何かを発信しよう」という思いがあったに違いない。
そしてその呼びかけに応えるように世界の大物ミュージシャンが集結した。

あたかも世界中から集まった僧侶が一堂に会して読経するかのように、ミュージシャンたちが集まり演奏するのを見るのは心地よい。

一人の、あるいは一つのバンドが日本でのツアーを敢行するだけでも大変なことだろう。
ポールのような巨大ビジネスは、引き連れる数百名のスタッフと受け入れ側の全面的なバックアップがあるからこそ成立する。

「無から有を創り出す」、「ゼロから創出する」ことは何の世界でも大変なことだ。
そこには企画の趣旨についての賛同を得る努力とそのためのきめ細かな配慮、事前準備が必要だ。
そしてなによりクリエイトしようとする発起人の強力な「熱意」がなければ協力は得られない。

ミュージシャンたちは「ただ出たいだけ」ではない。
わずかな聴衆であったとしても最良の環境とコンディションで期待に応えたいと思うのだ。

そして演奏を通じてミュージシャンと聴衆が一体化した時、初めて企画の成功を垣間見る。

この一連のプロセスを知ることとミュージシャンの生き様を研究することがイベント成功の秘訣かもしれない。

それにしても東大寺でのエクスピアリエンスは素晴らしい。
ライ・クーダーが、見事に情景と音を同化している。

美しい日本において洋の東西を問わず歴史的な邂逅が行われる。
いやそれは邂逅ではなくて日本という国に与えられた運命を象徴する必然なのかもしれない。






Shoukichi Kina & Ry Cooder - Subete no Hito no Kokoro ni Hana o


The great music experience - Japan 1994 - Bob Dylan, INXS, Ry Cooder, Jon Bon Jovi, Roger Taylor....

アムペグ・ベースアンプ (Ampeg / Heritage B-15N)

2015年05月05日 | 音楽



ベースマンならアムペグの製品開発の動向は気になる。
60年代の真空管全盛時代から愛され続けている「V4B」や「B-15N」などこのメーカーでないと出せない低音のファンは多いと思う。

70年代以降ミュージカル・アンプのソリッドステート化によって、軽量化、高出力化が行われた。
時代の流れと合理性、経済性の点では優れていると思うが、カタログデータでは音の良し悪しはわからない。

ベースアンプに求められる自然なディストーションと輪郭のくっきりした音色はアムペグの持ち味だ。
「Sans Amp」などベースに関するエフェクターは、この音色とディストーション、ブースト効果を求め続けているに違いない。

数年前に「Heritage B-15N」というモデルが発表されている。
70年代の音楽雑誌に掲載されている「B-15N」は、定価278,000円とあるので、最新版はほぼ2倍の価格になったことになる。

「ポータフレックス」と呼ばれるアンプヘッドをスピーカー上部にビルトインするアイデアは継承されているようだ。
真空管式のミュージカル・アンプは、トランスがとてつもなく重いのでこのアイデアはそんなに奏功するものでもない。
ただ長期保管や真空管部分の埃対策という意味では優れている。
「Fender」社の真空管式アンプ類が逆向きに設置されているのと同様、衝撃に強いというメリットを狙ったのかもしれない。

70年代の「B-15N」は実行出力が30W、その上の「B-15S」ですら60Wである。
ロックにはとても物足りない出力数なのだが、音圧が結構あることときれいな音が広がることから音量不足を感じない。

酔っ払って寝っ転がって弾いた即興演奏がそのままレコーディングされたという逸話のジェームス・ジェマーソンも愛用した。
「Fender Precision Bass」との組み合わせなら太い低音が出るだろう。

日本でも愛用者は多かった。
「Ampeg Baby Bass」というスタンディング・ベースとの組み合わせは今でもファンがいる。

ポータフレッックスとスタンディングベースの組み合わせは、当時から高価でありウッドベースからの乗り換え組には垂涎の的だったろう。
ただしかさばって重いという呪縛からは抜け出せなかった。
「いい音を追求するには若干の犠牲を払わなければならないのだよ」と自身に言い聞かせては真空管アンプを持ち出す。

近年の傾向として驚くべきコンパクトサイズの一体型、あるいはセパレート型のベースアンプの台頭がある。
電子的な、あるいはエンクロージャーの設計によってポータブルでありながら、十分な低音を稼ぐ設計となっているようだ。
コンサート、ライブ会場では、これらのベースアンプからPAに直結するのだろう。
ただそれらは残念ながら「仮想」「ヴァーチャル」な低音でしかないような気がするのは私だけではないと思う。

十分で豊かな低音を稼ぎだすには、38㎝のスピーカーととてつもなく重いトランス、光を放つ真空管たちが鎮座ましていないといけないと思うのだ。

とは言ってもなかなか出番がなくなってきているのも事実。
コンサートホールや野外イベントでのPA屋さんからは持ち込みを嫌がられるし、持っていったところで「D.Iからダイレクトに音をください」と言われてしまう。
最早ミュージカル・アンプのスピーカーの前にマイクを立てるなどという繊細さを求めること自体、古式ゆかしいことになってしまった。


自分の音を思うように表現するためには「お膳立て」を人に頼ってはいけない。
お膳立てをしてやろうという人は案外音楽をわかっていなくてご自分の都合を優先する、それがビジネスだと思っている。

一方、マイノリティの音楽ほど繊細であって細心の感覚を持ち合わせていないと本質に近づくことはできない。
アコースティックの音楽をやるってことは、繊細さを要求される。

野太い音をワイルドに出しているだけのように聴こえるベースも、案外「繊細さを要求されて成立する」パートだ。
繊細な心がない人は音楽が大雑把になってしまう、、いや音楽は繊細な気持ちを教えてくれる、、、はずだが、、、





【デジマートNew Gear Showcase】Ampeg / Heritage B-15N

Marvin Gaye - 'Whats Going On', with James Jamerson on Bass

James Jamerson Tribute

NAMM '13 - Ampeg Heritage B-15N Combo Demo

夢助

2015年05月03日 | 音楽


”夢助”というアルバムがナッシュビルでレコーディングされたことを知らなかった。
一軒家のスタジオにミュージシャンが集まり、レコーディングが始まっていく。

日本から訪れた清志郎さんが楽器屋さんでGibsonの「J-200」を求める。
1953年製か、鳴るだろうなあ。

ゆるーい太鼓の音が自信を感じさせるドラマー、ギター、ベース、キーボード、ホーンセクションと。
ナッシュビル・レコーディングの全てが素晴らしい結果に終わるわけではないだろうが、特別な期待感を与えてくれる。

レンタ・サイクルでスタジオに向かう彼を見ていると、生前彼が訪れたという近隣にあったハワイ珈琲焙煎スポットのことを思い出す。
「HWY11」と書かれた素敵な看板の下に駐車場、お店の前に木製ベンチが一台。

そのベンチに座って珈琲を楽しんだ帰り、カウンターの脇に積まれた200gの珈琲を求めて帰ったそうな。
タバコを吸っていたのか、お店には入ろうとせず物静かだったという。

レコーディングで、細野さんがハーモニーをつけたデモ・テープがあり、プロデューサーのスティーヴ・クロップが着目する。
ナッシュビルから電話がかかって細野さんが音源を送る件も、面白い。
「いますぐ、来てくれ」という話の方が嬉しいのだが。

社交辞令があったとしてもナッシュビルのスタジオ・ミュージシャンたちが、ロッカーとしてのグルーヴを感じたのは共感する。
英語の発音がどうであれ、日本語のイメージがどうであれ、「ロック」を感じることができればいい。

毎年訪れる命日に多くのファンが集まり、彼を慕うミュージシャンが追悼ライヴを行う。
「上手くやればいい」「ウケればいい」という人が多いなか、「ミュージシャンを通す」のは辛い。

「ヒット曲が一曲あれば食っていける」などと宣わく業界の方がいらっしゃるなかで「音楽を通じて意思疎通ができること」は素晴らしい。

死してなお生き様を伝えることのできるミュージシャン、素直に羨ましい。
世の中を変える勢いで音楽をやるってことが「Rock」の真髄か。




パンジャ・スウィング・オーケストラ & 忌野清志郎 / スローバラード

パンジャ・スウィング・オーケストラ & 忌野清志郎 / Fly Me To The Moon

忌野清志郎 "夢助" ~最後のアルバムレコーディング~ 1/4