夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

青春デンデケデケデケ

2015年11月21日 | クラフト
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ひょんなことからベンチャーズ・ナンバーを話題にしていたら、「私家版 青春デンデケデケデケ」という単行本に出会った
たまにのぞく福祉施設に『待ってたよ』とでも言わんばかりにこちらを向いていた

楽器などお店で自分のために待っていてくれた、などと思うようなことがある
探し求めていたわけではないのだが、それが出会いというものかもしれない

香川県出身の芦原すなおさんの書いたこの著作、同世代を生きたあのエレキ全盛時代の興奮と気恥ずかしさが蘇る
方言で交わされる会話がさらに田舎という情景への想像をかきたてる

あの当時初めて聴いたエレキ・サウンドはとにかく衝撃だった
「股座(またぐら)がふぐふぐする」経験こそしなかったが、何か特別な美人に出会ったような異常を感じたことは確かだ

国産の普及品が1万円前後で売られていたように記憶している
当時はとても買えないしミュージカル・アンプなど見たこともなかった時代だ

やがてベンチャーズがヒットを飛ばして「Norkie Edwards」の名を知る
もちろんテクニカル的にうまいのだが、のちにこの人の音楽性によるところが大きいと感じるようになる

「Norkie」はベンチャーズに誘われた当初、ベースを弾いたようだが、彼らはポジションを変えては演奏する
ベースを弾かせてもものすごいグルーヴを引き起こしているし、メロを弾いている様はまさに「KING」別格だ

ギターテクで弾いているのは間違いないのだが、かっこよさを繰り出す術、引き出しを沢山持っていること
それから「ノーキー節」とでもいうべきフレージングに大きな魅力がある

マニアたちのやりとりに「なぜあの低音が出るのか、ゲージは何を使っているのか」というQ&Aがあった
ゲージは「0.46~0.09」とあるのでライトゲージだろうし、サムピックを使いイフェクターは用いるにしても特別な秘密はなさそうで結局「ウデ」ということになる

「モズライト」への憧れ、ベンチャーズ・サウンドへの郷愁、オリジナルメンバーへのリスペクト
今年も来日したようだが、「Norkie」の体調を気にしていた時に出会った「青春デンデケデケデケ」本

ふぐふぐするような演奏をしなければ、せめて





青春デンデケデケデケ


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Nokie Edwards Tears in Heaven CAAS 2015

THE VENTURES - 45th Anniversary Live [1/9]

THE VENTURES - 45th Anniversary Live [6/9]

Jブルース

2015年11月18日 | 音楽


愛唱しているのに敬遠しがちだった和製ポップス、最近はJ-Popというのだろうか
「想い出の渚」や「君といつまでも」などグループ・サウンズ全盛時代に出てきた懐かしいヒット曲の数々、口ずさむのだけど面映い

古くは漣健児さんの名訳による洋楽のヒット曲「ステキなタイミング」「ルイジアナ・ママ」「可愛いベイビー」などなど、おそらく本家のオリジナルとはまるで別物として愛唱してきた
それはやはり日本語で歌うから親しみやすいのと、日本語にあまりにもフィットしていたからだろうか

日本語の歌詞が浸透している「ルイジアナ・ママ」など外国語で歌うケースの方が稀だろう
それだけ「あの娘はルイジアナ・ママ」という出だしが染み付いている

関西なら神戸であろうか、横浜は西欧文化の入り口みたいなイメージが強い
街を歩いただけで東京とは異なるニオイがしてくるような気がするし、海を見てはダメ押しをする

そんな日本語で作られた歌を聴いているうちに日本にもブルースがあるのかと思うようになってくる
難しい定義付けはさておいて、ブルースを感じさせるような楽曲がある

そして聴いているうちに、これは日本語でなければいけない世界なのか、と思うようになる
少なくとも日本語がしっくりくる

洋楽にかぶれていた少年時代、日本語は何てポップスに似合わない言語だろうと思ったものだ
「恋に落ちる」なんて文字としてはロマンチックだが、歌うと何かよそよそしいし、リズムに乗らない

そして日本語をわざわざ英語のように発音してカッコつける試みが定着してくる
これも恥ずかしいのだが、その歌い方を前提として作られた曲があるのでまた困ってしまう

しかし歌い方を工夫しなくとも日本語がしっくりくる楽曲もある
いや、日本語でなけりゃおかしいのかもしれない

結局そこに魂がこもっているか、どうか
である、ような気がしてきた、のだ

いや、日本語を馬鹿にしてはいけない



藤竜也 ヨコハマ・ホンキィ・トンキィ・ブルース

西岡恭蔵 with 大塚まさじ プカプカ

06 憂歌団スローバラード&嫌んなった

忌野清志郎 スローバラード

「蕎麦派?」or「うどん派?」

2015年11月18日 | グルメ


「きつねうどん」か「たぬきそば」かで迷うとしてもかなりの確率で蕎麦を選んでしまう
だいたい「麺好き」ならどちらも好んで召し上がるのではないだろうか

高校の頃、母校の近くにあった「藤屋」の「たぬきそば」が忘れられない
醤油のような濃い色のスープにしっかりした麺と丼の表面を覆う「揚げ玉」とネギの存在感、たまに先生と同席したのも懐かしい

上京してから長く住んだ私鉄沿線の街での小さな蕎麦屋さんもよく通った
日中店外の大きなざるに鰹節を並べて干してあったのが印象に残っている、ネギが美味しかった

その蕎麦屋さんの対角にあったのが「讃岐うどん」のお店
ガラス越しのテーブルで麺を打つのを見せるのが売り物だった、透明なスープに歯ごたえのある太めの麺、ここで「讃岐うどん」という存在を認識した

この街で過ごした長い独身時代、2軒のお好み焼き屋さん、小さな洋食屋さん、深夜営業していた居酒屋さん、寿司屋さん、おにぎりが美味しかった飲み屋さん、映画のカメラマン夫妻が経営していた飲み屋さん、そして定食屋さん
当時自分と同年代の方が始めた定食屋さんに「行ってみたいなあ」と思ってウェブを検索したら、残念ながら数年前に閉店していた

玉ねぎとピーマンの入ったウィンナー炒めやら焼き魚の定食でお世話になったこのお店、幼児を背中におぶった奥様と二人で経営していた
閉店を惜しむ私のような田舎から来ていたファンが集い、なんでも出身地の茨城に引っ込んでご子息がお店を開店したという

さてそんな街の近くで営業したこともあった蕎麦の名店「達磨」の文庫本を読んだ
ほとんど禅宗に近いような研鑽の日々を読んでいると軽々しく注文できないなと思う

そのご主人の蕎麦を打つ姿を偶然日本橋の百貨店でお見かけした
全身サポーターで補強しているように見える姿は近寄りがたく道を究めることの荘厳さを感じさせられた

茨城に広大な農地を持つF君に「蕎麦を育てたら?」と誘ったのもこの本がきっかけだった
後で聞いたら40坪ほど蕎麦の栽培に挑戦したというではないか、しかし残念ながらカラスの被害にあって栽培を断念したという

栽培は諦めたが、蕎麦を打つことに情熱を傾けて振舞ってくれた
広い農家の一角でいただいた蕎麦の味も忘れられない

丸の内にあった赤坂更科の白い蕎麦も好きだった
蕎麦もラーメンも細くてコシがなくてはいけないというのがせめてもの私のこだわり

出雲蕎麦の「割子(わりご)蕎麦」も好きだ
丸い漆器の中に蕎麦が収められかつお節や大根おろしなど具が載せられ、そこにそばつゆをかけて頂く

『割子(わりご)」とは重箱のことを指すようで、お弁当を持って野外に出かける趣味人が始めたようだ
四角い重箱は隅っこが洗いにくいことから丸くなったという

私が育った郷里はもっぱら麦が栽培され蕎麦の文化圏ではなかったように思う
「うどん屋」という屋号の「うどん製造直売処(兼)食品雑貨店」があったくらい「うどん」の方が一般的であった

ベルトの回る機械で大量の「うどん粉」を練り製麺する、機械から流れ落ちる麺を包丁で切る
五右衛門風呂のような大釜で麺を茹でては一かたまりにして木箱に並べる、持ってきた鍋にうどんを入れてもらい5円か10円のお代を払う、そんな時代だった

新宿のそば屋さんで旬の頃だけ「牡蠣」を入れたメニューがあった
温かい蕎麦に大ぶりの牡蠣は贅沢の極み、結局自分は具の方に目がいってしまうただの食いしん坊なのかもしれない

嗚呼、藤屋のたぬきそば、よ

高橋名人 そは?打ち


手打そば・蕎麦料理 京都有喜屋 国の現代の名工 三嶋吉晴(店主)





ウクレレの魅力

2015年11月17日 | 音楽


ウクレレは奥深い
ポロンポロンとコードを鳴らすだけで何かリラックスするような気になるし、メロディだけでもサマになる

達人になればメロディを弾きながら合いの手のように和音(コード)を入れたり、リズムを付加することもできる
「Crazy G」などと言う指慣らしのための練習曲みたいな曲もあれば、ハワイのトラディショナルの伴奏にはウクレレが一番フィットする

およそ楽器というものはポロポロやっているうちに何だか格好良くなってきてスタイルが確立される
そんなに大上段に構えなくてもいいのが、ウクレレの大きな魅力でもある

しかし面白いということがわかってきて人気が出てくると人間はいろんなことを考えつくものだ
名声や権威付けという仕組みを考えパフォーマンスを演出する

特別な楽器を製作してはとても庶民には手の届かないような価格が設定される
確かに素晴らしいのだが、そんなに高価な楽器であるべきものだろうかとため息も出ようというもの

その昔、「ギターを買うなら一万円以上出しなさい」という基準があった
「それ位ならまともな楽器である」という大まかな基準であった

40年前ならハワイの代表的メーカーであるカマカのスタンダード・ウクレレが一万円で買えた
もちろんケース付きだ

同じものを最近入手された事例だと14万円だというではないか
物価はそこまで上昇したのか、サラリーマンの初任給はそこまで上がっているのかしら

「ウクレレ・ソロ」を聴いていると、上手い人が多い
「エーッ!こんな弾き方をするのか」と思うような奏法をひけらかすような御仁も多い

しかし突き詰めてゆくと楽しめるのかどうかと言う究極にたどり着く
テクニカルであるかどうかよりも「それは音楽的であるかどうか?」に行き着く

そういった境地に上り詰めるには相応の時間がかかる
誰しも「カッコよく弾きたい」から

ヴェンチャーズのヒットに「Walk don't Run(急がば廻れ)」という曲がある
駆け足で行ったってダメよ、地道に精進した方が案外近道なのよ、、、くらいのことか

一生懸命弾いても誰も聴いてくれないようなラウンジでの仕事など虚しい
立ち止まってじっくり聴こうとする人など先ずいない、だって聴きに来たわけではないのだから

そんな苦労を重ねているうちに客の心をつかむ術を身につける
どうってことない世間話だったり、くだらないジョークだったり、、

でも最終的に人の心をつかむのは「演奏そのもの」だ
演奏の「テクニック」ではないと気付いたその時から進歩が始まる、と思う

誰しもカッコよくやりたくて音楽を始める
でもそのうち音楽って坊さんがお経を唱えるが如く地道な毎日の繰り返しだってことに気がつく

人生ってそんなものか



Stardust / Ohta-San(Herb Ohta)

Over The Rainbow / Ohta-San(Herb Ohta)

ukulele master Ohta-san plays "Hawaii"

倍音成分

2015年11月16日 | 音楽


子供の頃、英国のシャドウズのインストルメンタル・ナンバー「アパッチ」でエレキギターにしびれた
なんであんな音が出るのだろう?と

その後ベンチャーズやビートルズの出現でエレキギターが楽器屋さんに出回るようになる
何しろ普及品のガットギターしか見たことのない時代、ライト・ゲージの存在も知らなかった

ブリッジに仕込まれた「トレモロ・アーム」の威力が、当時の少年たちを魅了した
6弦の全てを緩めて音をフラットさせるのだが、安価なギターは使っているうちにチューニングが狂ってしまう

サドル部分にローラーを使ったりしてチューニング対策が講じられたり楽器メーカーの開発競争が行われた
あの頃OEMを含めほとんどの国内楽器メーカーがエレキギター製造を手がけたのではないだろうか

ラワン材のような板にピックアップを取り付けたような簡易なものでも売れた時代
国産では「GUYATONE」と「TEISCO」が双璧だった

「TEISCO」の輸出モデルはライ・クーダーが愛用したことで珍重され再発されたりした
カラフルな切り替えスイッチが並ぶ美しいデザインは今でも通用する「 Made in Japan」だ

「春がいっぱい」はシャドウズのインストルメンタル・ヒット
トレモロアームと深いリバーブをかけた音が印象的で春のときめきを感じさせるようなロマンティックな響きがいい

エレキギターのボリウムやトーンのノブはちょうどブリッジの下部にセットされている
右手の小指でボリウム・ノブを回しながらピッキングすると音を伸ばす「バイオリン奏法」ができる

今ではあらゆるイフェクト効果をエレクトロニクスによってかけられるしブレンドもできる

楽器サウンドはシンプルな一つの音だけでなく「倍音」と言われる成分によってできている
豊かな音はそうした「倍音成分」のおかげによるところが大きい

コイルを巻いたピックアップは弦の振動を電気信号に変えて増幅する
いわゆるエレアコはブリッジ付近に仕込まれたピエゾ(圧電式)ピックアップで拾った振動を電気信号に変える

ソリッドはハウリングに強く、シャープで独特のディストーションを持っている
箱のあるギターは「箱鳴り」と言われる音の広がりを持つ反面、ハウリングという現象に悩まされる

少年の頃しびれた音楽
倍音成分の導くまま続けていくことの幸せよ





大村憲司

三根信宏さん 春がいっぱい

Blue Star - 三根信宏&シャープファイブ