こんばんは。
今日は、夜の仕事の日です。
昼の仕事は、まだ連絡なし。のんびり待ちます。
そして10年の続きです。
平成19年1月1日に切替予定だった基幹システムのマイグレーションは大幅に遅れ、切替が延期となりました。
そのあおりで、『制度改正』は、汎用機でのテストと、改修したもののマイグレーションを並行して行うことが必要となり、体制を別にしました。
ただ、マイグレーションのメンバーには業務経験がなく、その部分を伝える必要があるのですが、そこに社員の配置はできず、元々のメンバーとマイグレーションのメンバーのコミュニケーションはスムーズにはいきませんでした。
その頃から、『制度改正』の遅れが顕著になり、特に給与計算の部分で、大きく遅れが出てきました。これは、配置した社員のI社員もMさんも、給与計算の改修をあまり担当していなかったので、テストの方法など、分からない部分が増えてきたからでした。
そのため、1月からは、私も徐々に時間をさく割合を増やしていきました。
『制度改正』には、お客様の担当として(当時の)N次長がひとり付いていました。
1月の後半のある日。本体の情報システム担当部門の方に呼び止められました。そして、お客様の会議室に呼ばれました。
後から、その部屋に来たのが、本体の情報システム担当の室長(責任者)と課長でした。
そして、『制度改正』について。その状況について、ねほりはほり聞かれました。
その日、N次長は休みでした。
私は、N次長の立場もあり、全てに正直に答えた訳ではないのですが。
私は、今でも、この時に『はめられた』と思っています。
本体の情報システム部門の主導で進めてきたマイグレーションの大きな遅れで、予定通りの切替ができなかった。 目処もたっていない状況での急なヒアリング。
その日を境に、締め付けが始まりました。
詳細のスケジュールの提出。進捗の報告。その他諸々の資料の提出が求められ、なんだかんだと介入が始まり、お客様も資料が作りきれず、ほとんど、私がそれに掛かりきりになり、『制度改正』の仕事に入れない状態になりました。
私は、これは、『マイグレーションの遅れ』から『制度改正の問題』に問題のすり替えがされたと考えています。
それまで、いっさい関わってこなかった本体の情報システム部門が、急に『制度改正』について騒ぎ始めたのです。
お客様は、子会社。つられて、慌てて、また、お客様の上の方たちまで騒ぎ始めました。
こうなると、進むものも、かえって進まなくなります。
そんな中で、事件が起きました。
それは、また、次の機会に。
でも、余談を少し。
私は、自分が飲める事が分かってから、博多のお店を皮切りに、転勤した社員の店を引き継いだりで、中洲に飲みに行くことが増えてきました。
だいたいは一人ですが、時々、男女問わず、社員を誘い、飲みに行く事もありました。その中にはMさんもいました。
Mさんは、最寄り駅が同じで、彼女が仕事で遅くなった時に、いっしょに帰る事もありました。
平成19年2月1日。
社員から引き継いだ、『ラカーサ』と言うお店が、天神西通りにあったビルの建て替えで中洲に移転してのオーブンの日でした。
少し遅い時間でしたが、帰りがいっしょになったMさんを誘い、ラカーサに行きました。
それから、一人で遅い時間に飲みに行く事はあっても、なかなか時間もなく。
2月1日に、Mさんとラカーサに行ったのが、彼女と飲んだ最後になりました。
では、また。
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今日は、夜の仕事の日です。
昼の仕事は、まだ連絡なし。のんびり待ちます。
そして10年の続きです。
平成19年1月1日に切替予定だった基幹システムのマイグレーションは大幅に遅れ、切替が延期となりました。
そのあおりで、『制度改正』は、汎用機でのテストと、改修したもののマイグレーションを並行して行うことが必要となり、体制を別にしました。
ただ、マイグレーションのメンバーには業務経験がなく、その部分を伝える必要があるのですが、そこに社員の配置はできず、元々のメンバーとマイグレーションのメンバーのコミュニケーションはスムーズにはいきませんでした。
その頃から、『制度改正』の遅れが顕著になり、特に給与計算の部分で、大きく遅れが出てきました。これは、配置した社員のI社員もMさんも、給与計算の改修をあまり担当していなかったので、テストの方法など、分からない部分が増えてきたからでした。
そのため、1月からは、私も徐々に時間をさく割合を増やしていきました。
『制度改正』には、お客様の担当として(当時の)N次長がひとり付いていました。
1月の後半のある日。本体の情報システム担当部門の方に呼び止められました。そして、お客様の会議室に呼ばれました。
後から、その部屋に来たのが、本体の情報システム担当の室長(責任者)と課長でした。
そして、『制度改正』について。その状況について、ねほりはほり聞かれました。
その日、N次長は休みでした。
私は、N次長の立場もあり、全てに正直に答えた訳ではないのですが。
私は、今でも、この時に『はめられた』と思っています。
本体の情報システム部門の主導で進めてきたマイグレーションの大きな遅れで、予定通りの切替ができなかった。 目処もたっていない状況での急なヒアリング。
その日を境に、締め付けが始まりました。
詳細のスケジュールの提出。進捗の報告。その他諸々の資料の提出が求められ、なんだかんだと介入が始まり、お客様も資料が作りきれず、ほとんど、私がそれに掛かりきりになり、『制度改正』の仕事に入れない状態になりました。
私は、これは、『マイグレーションの遅れ』から『制度改正の問題』に問題のすり替えがされたと考えています。
それまで、いっさい関わってこなかった本体の情報システム部門が、急に『制度改正』について騒ぎ始めたのです。
お客様は、子会社。つられて、慌てて、また、お客様の上の方たちまで騒ぎ始めました。
こうなると、進むものも、かえって進まなくなります。
そんな中で、事件が起きました。
それは、また、次の機会に。
でも、余談を少し。
私は、自分が飲める事が分かってから、博多のお店を皮切りに、転勤した社員の店を引き継いだりで、中洲に飲みに行くことが増えてきました。
だいたいは一人ですが、時々、男女問わず、社員を誘い、飲みに行く事もありました。その中にはMさんもいました。
Mさんは、最寄り駅が同じで、彼女が仕事で遅くなった時に、いっしょに帰る事もありました。
平成19年2月1日。
社員から引き継いだ、『ラカーサ』と言うお店が、天神西通りにあったビルの建て替えで中洲に移転してのオーブンの日でした。
少し遅い時間でしたが、帰りがいっしょになったMさんを誘い、ラカーサに行きました。
それから、一人で遅い時間に飲みに行く事はあっても、なかなか時間もなく。
2月1日に、Mさんとラカーサに行ったのが、彼女と飲んだ最後になりました。
では、また。
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