こんばんは。
今日は、夜の仕事の日です。
この話は、今日で終りたいと思っているのですが。
Mさんが亡くなった翌年だったと思うのですが。本社総務から連絡がありました。
Mさんのご両親が、労災申請をされたとの事で、福岡労働基準監督署で聴取があるので行く様に。と言う事でした。
そして、話した内容はメモ程度でいいからおくるように。との事でした。
私は、福岡労働基準監督署に指定された日時に行き、『制度改正』の仕事を受注したところから、順に証言していきました。
足す事も、引く事もなく、記憶のままを話しました。
聴取される方は、コンピュータの世界に精通されている訳ではないので、分かりやすく説明しながらになります。なので、時間がかかり、丸2日連続での聴取となりました。
労災は認定されました。
その翌年、今度は裁判になりました。
ここから、3年度に跨がる裁判が始まりました。被告は会社です。
本社総務の担当部長が、裁判も担当し、弁護士は会社の顧問弁護士で、東京の方が2名でした。
とにかく、民事の裁判は長いです。
担当部長を間に介して、弁護士の方とやり取りをし、過去に遡って資料を提出したり、時には、弁護士との面会のために東京に出張もしました。
証拠や証言と言う形で、いろいろな物が出てきました。
労働基準監督署での証言記録も、証拠として出てきました。私だけでなく、他の人の証言もありました。
ただ、名前は伏せられていますが、誰の証言かは分かります。
中には、事実と違う。誇張されている。と感じるものもありました。Mさん寄り。ご遺族寄り。は、心情的には分かりますが。
もう1つ。お母様の証言。
Mさんが居なくなった翌日の事は、私の証言と一致していました。
私が朝にご実家に電話した事。夕方にMさんの自宅に電話し、ご実家に連れて帰っていただく話をした事。
しかし、その訂正が提出されていました。
その日に、私からの連絡はなく、電話があったのは翌日だったとの訂正です。
私の対応が悪かったとの印象付けでしょうか。
裁判には、Mさんの携帯のメールの記録も提出されました。
Mさんが、実家から福岡に戻ってからの連絡は、事務的な連絡はメールでしたが、何度か電話をしています。ただ、それは、Mさんの携帯ではなく、自宅の固定電話でした。
裁判になるなどと想定もしていなかった私は、当時の携帯から機種変更していて、手元にはなく、また、あったとしても、期間がたっていたので、通話の記録は残っていなかったでしょう。
『悪魔の証明』
森友問題で出てきた、総理夫人が人払いして、100万円を渡したと言う話。そんな事実は無かったと言う証明。一方的な証言があった時に、例えば、二人しか居ないと言う状況であれば、録音でもしておかなければ証明できない。
Mさんが居なくなった翌日の事は、何か意図があって、訂正されたのですが、当事者は私とお母様だけ。どちらが正しいかは証明できません。
Mさんと電話で話をしたと証言しましたが、証明できません。
そして、裁判での尋問。
私が一番長く、一時間。
原告の弁護士の尋問は、原告に有利になる証言をさせる事なので、相手にとって余計な事は説明もさせません。
不信、一時期、そんな状態にもなりました。
この時期から、私の飲み方が変わりました。
会社の人とは、飲みに行かなくなりました。基本一人。
そして、飲みに出ると、何件も行くようになり、あげくは、朝帰り。
すずさんのお店を知ってからは、特に遅くなりました。
これは、単に私の弱さのせいなのですが。
こんな事ばかりしていたので、かみさんからは、不信の固まりです。
裁判は、年度が替わるたびに、裁判官が変わりました。
原告の弁護士からでしょう。地元の新聞にも何度か記事が載りました。一方的な記事です。
『被告側の証人』なんて立場、普通は経験する事なんてありません。
ただ、事実を証明する事の難しさ。
それをしようと思うと、常に疑い、録音や映像や、何らかの記録を残さないといけない。
何が起こるかは、分かりませんが、人を疑いながら生きたくもありませんら、
いいかどうかは、分かりませんが、貴重な経験はしました。
この話は、これで終わります。
では、また。
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今日は、夜の仕事の日です。
この話は、今日で終りたいと思っているのですが。
Mさんが亡くなった翌年だったと思うのですが。本社総務から連絡がありました。
Mさんのご両親が、労災申請をされたとの事で、福岡労働基準監督署で聴取があるので行く様に。と言う事でした。
そして、話した内容はメモ程度でいいからおくるように。との事でした。
私は、福岡労働基準監督署に指定された日時に行き、『制度改正』の仕事を受注したところから、順に証言していきました。
足す事も、引く事もなく、記憶のままを話しました。
聴取される方は、コンピュータの世界に精通されている訳ではないので、分かりやすく説明しながらになります。なので、時間がかかり、丸2日連続での聴取となりました。
労災は認定されました。
その翌年、今度は裁判になりました。
ここから、3年度に跨がる裁判が始まりました。被告は会社です。
本社総務の担当部長が、裁判も担当し、弁護士は会社の顧問弁護士で、東京の方が2名でした。
とにかく、民事の裁判は長いです。
担当部長を間に介して、弁護士の方とやり取りをし、過去に遡って資料を提出したり、時には、弁護士との面会のために東京に出張もしました。
証拠や証言と言う形で、いろいろな物が出てきました。
労働基準監督署での証言記録も、証拠として出てきました。私だけでなく、他の人の証言もありました。
ただ、名前は伏せられていますが、誰の証言かは分かります。
中には、事実と違う。誇張されている。と感じるものもありました。Mさん寄り。ご遺族寄り。は、心情的には分かりますが。
もう1つ。お母様の証言。
Mさんが居なくなった翌日の事は、私の証言と一致していました。
私が朝にご実家に電話した事。夕方にMさんの自宅に電話し、ご実家に連れて帰っていただく話をした事。
しかし、その訂正が提出されていました。
その日に、私からの連絡はなく、電話があったのは翌日だったとの訂正です。
私の対応が悪かったとの印象付けでしょうか。
裁判には、Mさんの携帯のメールの記録も提出されました。
Mさんが、実家から福岡に戻ってからの連絡は、事務的な連絡はメールでしたが、何度か電話をしています。ただ、それは、Mさんの携帯ではなく、自宅の固定電話でした。
裁判になるなどと想定もしていなかった私は、当時の携帯から機種変更していて、手元にはなく、また、あったとしても、期間がたっていたので、通話の記録は残っていなかったでしょう。
『悪魔の証明』
森友問題で出てきた、総理夫人が人払いして、100万円を渡したと言う話。そんな事実は無かったと言う証明。一方的な証言があった時に、例えば、二人しか居ないと言う状況であれば、録音でもしておかなければ証明できない。
Mさんが居なくなった翌日の事は、何か意図があって、訂正されたのですが、当事者は私とお母様だけ。どちらが正しいかは証明できません。
Mさんと電話で話をしたと証言しましたが、証明できません。
そして、裁判での尋問。
私が一番長く、一時間。
原告の弁護士の尋問は、原告に有利になる証言をさせる事なので、相手にとって余計な事は説明もさせません。
不信、一時期、そんな状態にもなりました。
この時期から、私の飲み方が変わりました。
会社の人とは、飲みに行かなくなりました。基本一人。
そして、飲みに出ると、何件も行くようになり、あげくは、朝帰り。
すずさんのお店を知ってからは、特に遅くなりました。
これは、単に私の弱さのせいなのですが。
こんな事ばかりしていたので、かみさんからは、不信の固まりです。
裁判は、年度が替わるたびに、裁判官が変わりました。
原告の弁護士からでしょう。地元の新聞にも何度か記事が載りました。一方的な記事です。
『被告側の証人』なんて立場、普通は経験する事なんてありません。
ただ、事実を証明する事の難しさ。
それをしようと思うと、常に疑い、録音や映像や、何らかの記録を残さないといけない。
何が起こるかは、分かりませんが、人を疑いながら生きたくもありませんら、
いいかどうかは、分かりませんが、貴重な経験はしました。
この話は、これで終わります。
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