書道の新年会でした
今年5/7-5/14に予定している社中展のテーマが「森鴎外」の「小倉日記」ということで、作品創りに向けて森鴎外に親しもうと、先生と先輩が森鴎外ゆかりの関連施設などの探索後、観山荘本館にて写経及び吉田成堂先生の書作品を鑑賞しながら懇親会という盛り沢山の内容で計画してくださいました
【森鴎外旧居】前集合
休館日の為、旧居外観のみ見学
↓
【京町旧居跡】
これ、知ってますか?
シロヤのパンの斜め前から小倉駅・コレット二階へ登るエスカレーターの右側ですよ
私、散々通っていますが、丸っ切り興味がありませんでしたので、日頃はスルー
人間、興味のないことには全く無関心だなとつくづく思いました
しかし、ちょっとしたキッカケで、意外な関心ごとに変わるんだな、縁は異なもの味なものとはよく言ったものだなと思いました
チガウカ(笑)
ちなみに、京町旧居はスタバの辺りか?
↓
【広告塔】(京町銀天街を抜けて、常盤橋方面へ)
青い帽子の塔が、広告塔ですよ
本物は今の3倍の大きさだったそうです
この後訪れた六角碑にも鴎外の「独身」にこの広告塔の事が書かれている文章が抜粋されており
文学館でも当時、画期的なものであったという話をうかがいました
↓
【六角碑】(鴎外橋を渡って、少し左手へ)
これの存在は、知っていましたがねぇー
しみじみ見たのは初めて!
常盤橋の広告塔のことが・・・
鍛冶町の旧居のことですね
これが、福岡日日新聞六千号記念に寄稿した「我をして九州の富人たらしめば」です
このお話も、後で学芸員さんのお話に出てまいりました
鴎外のこの精神が、後に明治鉱業の安川敬一郎さんと松本健二郎さん父子によって、明治専門学校(現・九州工業大学)設立に活かされているとのことでした
これも、学芸員さんからのお話にあったのですが
鴎外が実際に小倉に滞在したのは、2年9ヶ月ですが
明治32年6月から明治35年3月まで滞在しているので、足かけ4年となるんだそうな
ナルホド!
以上、改めて、ちゃんと見て見ますと
鴎外作品の中から良い具合にピックアップされた文章が刻まれています
↓
【文学館】(勝山公園を抜けて)へ
文学館では特別にお願いしていた学芸員の方から、森鴎外を中心に北九州の文学の歴史をご説明頂きました
学芸員さんだからこそ知っている裏話も交えた大変興味深いお話をうかがうことが出来ました
北九州は文化不毛の地!とのガセネタは、一体、何処の独逸(森鴎外だけに・・・(笑))が言ったのでしょう?
いや逆に文化を育てた街・文化に溢れた街ではないかと声を大にして言いたいです!
そこで、面白い記事を見つけましたので、引用せずにリンクを貼りました
面白いので読んでみて下さい⇒ここをクリック
私は文学館で失礼しましたが、写経・懇親会に参加の皆さんは楽しまれたことでしょう
さて、
2017年5月7日(日)~14日(日)まで、書の社中展「生誕155年森鴎外の小倉日記を書く」
な、な、なんと、なんと、「森鴎外旧居」におきまして、開催いたします
風薫り、緑照り映える、清々しい光差す時節に、清浄なる墨の香が漂う「小倉日記」から飛び出した書らが
鴎外旧居に新たな形で「小倉日記」を記す
ご期待ください!
励まねば!