ワカメと銭婆との喜怒哀楽

年式'00のビーグル犬ワカメと'51の妖怪!銭婆が俺を困らせ悩ませる 痛快娯楽な毎日

お隣がお葬式

2011-03-31 05:05:21 | Weblog

 

 

月曜日、仕事から帰って来たら 隣の家が葬式の仕度をしていました。

そして昨日、お通夜に出てきました。

隣は 猫屋敷の家です。 猫屋敷には お爺ちゃんと お婆さんが住んでおり

その他大勢の猫達が 一緒に住んでいます。 でも最近はかなり数が減ったかな?

 

お爺さんは 去年の暮頃、救急車で運ばれて行きましたが

ついに亡くなってしまったか・・・。

と、生前の姿を思い出すと 少し悲しい気持ちになります。

 

しかし、こないだの 大地震や津波で 大勢の方が 惨い亡くなり方をしましたので

近所で 高齢で亡くなった人がいても 昔みたいに 騒ぐ感じもなく 逆に何事もないような気さえしてしまいます。

ただ思うのは 「 畳の上で亡くなる事ができて良かったじゃない、 」 って、思ってしまいます。

 

これがもし、ひと月前に亡くなったとしたら

どんな病気だったのか? 親戚とか沢山いるのか? とか 色々と聞きたい事とか出てくるのでしょうが

失礼だとは思いますが 今回は そんな事を聞く気にもなりません、

 

お隣だというのに オイラはやっぱり薄情なのかも知れません、

まぁ、 そこの家にいる多数の猫のおかげで ウチとはほとんど交流は無いのですが やっぱり お隣の家ですからね、

今までいた人が居なくなると さみしい気持ちにはなりますね、

 

今までオイラは 『 人の死というものは 特別な事であり 人というのは そうやたらに 死んだりはしない 』

『 死ぬという事は特別な事だ 』 と、思い込んでいました。

外国で 戦争や災害などがあっても 心のどこかに 『 それは ヨソの国の出来ごと 日本は特別な国、』

などと勝手に決めていたような気がします。

 

今回の大災害で思った事、

人なんて簡単に死んでしまうし 今まで築いてきたものも あっという間に瓦礫になってしまい、

ここまで発展した科学や文化や文明なども、 こんな惨事になると 何の役にも立たなかった。

人間は今回、自分の持っている 二本の足や手で 自分の力だけで逃げなければならなかった。 

 

人間がどんなに頑張っても 自然の力には まったく歯が立たないという事を思い知りました。

 

隣の お爺ちゃんが居なくなって、これからは お婆ちゃん一人で 暮らす事になるのですが、

何だか可哀想です。

家族は家で一緒に暮らしているネコのみに なってしまいました。

 

ますます孤立してしまうのではないか? などと心配に なってきました。

 

 

「 お隣の爺ちゃんが 死んじゃった・・・。 やっぱり悲しいな 」

 

 

 

 

「 ウチの爺ちゃんが死んじゃったよう (T_T) 」

 

 

 

 

 

「ウエーーーーーン!  じいちゃーーーん (/_;) 」

 

 

 

 

「 残念だけど 元気出してよね、」

「 うん、」

 

 

 


「 今度から アタイが友達になってあげようか、」

「 僕、ワンコは嫌いだから友達になんて ならなくてもいい!」

 

 

 

 

「 ショボーン、キッチリと断られちゃったよ・・・。」

 

 

 

「 せっかく アタイが友達になってあげようと思って声かけたのにぃ!」

 

 

 

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コメント (10)
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