阪神大震災も大阪で偶然仕事をしており、出会ってしまった。
その時も、今回もそうだが、子供の時に伊豆の群発地震で慣れているせいか、意外と冷静で居られた。
今回は幕張で仕事中。イベント会場の天井の照明がユサユサ。立っているのがやっとの程の揺れであったが意外に冷静で、何かワクワクするような自分もいた。
その後、会場外に退避。食事に出ていた同僚を見つけることも出来、皆で無事の再開を喜んだ。
そして、阪神大震災の時は大阪の中心部だったこともあり、見ることは無かったが、初めて液状化現象を目にした。
あらゆる所から、コンクリートがひび割れているように見えないところからも茶色でなく、灰色・ねずみ色の砂?泥?がボコボコと噴き出し続けていた。
まるで、泥温泉のような雰囲気。そのまま、コンクリートになりそうな感じ。
それがたくさんの所から吹き出し、水浸し・泥地かしている。歩きにくく、背広は泥はねまみれ。
こんなになるんだ~~。しかも、こんな近代建設の所に、色んな所から。ビックリである。
終了の発表は無かったが、部下の無事を考えるなら、発表を待たず東京ないしは各自の自宅に帰る手段を模索すべきと考えて、会場を後にすることに。
他のメーカーは、残っていたけど、待つことは考えなかった。
駅に行くと、立ち入り禁止のロープが貼られており入れず。終日運転停止の言葉も。
ホテルに泊まることも少し考えなくも無かったが、施設の揺れ、液状化現象の多さから考えると、リスクにもなりかねない。
部下の家族の事を考えたら、楽だけどリスクを選択すべきではないと考えた。
そこで注意しながら少しでも東京に近づく方法を選択しようと思った。
ましてや家族は顔を見て安心したがる筈と考えた。だから、大変だけど、無駄かもしれないかもしれないが、歩くという選択をした。
これが、夏なら違ったかもしれない、もう少し状況を判断しようと思ったが、まだ冬。
こんな寒い状況で夜の移動というのは選択すべきではない。ならば一刻も早い方がいいや!
昔の人は歩いて旅をしたのだし、出来ない筈は無いと考えた。
海外旅行もそうだが、何かの時には「自分で自分を守る」
誰かの助けを期待して待つべきではないと考えた。
しかし、どっちに行っていいかわからず。何となくの方向にテクテク歩く。
幕張から江戸川まで、約6時間。疲れた~。部下の女の子もよく頑張った。
コンビニによっては口に何かを入れ、休憩を取りながら歩き続ける。
電気が無い中、車のヘッドライトと電卓で頑張ってくれたファミリーマートの方には感謝。
そして、部下も私もよくやり切れた。着いたら10時。
そして、そこからマイカーで自宅への送迎、都心方面に戻るのは良かった。
しかし、帰りが・・・・。約都心部から、江戸川区まで約6時間強。
歩いて肉体も気持ちも疲れていたが、更にダメ押しこれがまたバテた。
5時に起きて24時間働きっぱなし、ワンデーコンタクトはすでに限界をオーバー、小さな文字は見れない。
意識もどうにか持っているが、ボーっとしている。
家に着いたら5時半。。。
本当に疲れた一日でした。
しかし、私にとっては部下も同僚も家族も友達も全員無事でよかった。
そして、やはり 自分の身は自分で守る これを再認識した。
追伸:しかし、疲労がたたって今日寝込んだ!!