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アントワープ、初夏。




初夏のアントワープに来た。

前回の訪問は2月で、この時もお天気はよかったが...

第一日曜日は例外で商店の営業があるため、街には異常な活気がある。お天気も上々で野外コンサートもあったり。


グローテ・マルクトにある記念碑「ブラボーの噴水」が水を噴き上げているのを久しぶりに見た。


「アントワープ」という街の名前の由来を民間伝承はこう伝える。

アンティゴーンという名の巨人が、アントワープを流れるスヘルデ川の近くに住んでいた。
巨人は、川を行く交易船から通行料を取っており、支払いを拒んだ人の手は切断、それを川に投げ捨てていた。
あるとき、シルビウス・ブラボーという若いローマ兵によって懲らしめられ、ブラボーは巨人アンティゴーン自身の手を切り落として川に投げ込んだという。

これが真の語源である可能性は低いものの、フラマン語の「アントワープ」という語感はまさに「手を投げる」である。

そういった「巨人」(有力者とか手強い相手)が実際に存在し、通行税を取っていたのは事実かもしれない。わたしは事実だと思う。




現代有力な語源説としては:

アントワープは古代ローマ時代に起源があるとされており、市内中心部で見つかったローマ時代ののコインには「アンド・ヴェルピア」と記されている。
この伝ならば、川岸の手前の沖積堆積物、あるいは土嚢のような堤、または埠頭になるのだとか。

アントワープの街が、スヘルデ川と共に形成され、交易都市として栄え(16世紀までにはヨーロッパ最大の交易基地にまでなった)たのがよく分かる語源である。

わたしはこういう話が大好物。
そんな時代に思いを馳せながら今日も街歩きをする。
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蒼い森




家にいる時はできるだけ毎日散歩に行くようにしている。

英国南部地方サリー州には、ハイキング道が毛細血管のように張り巡らされているのだ。


森は新芽の青い季節、若々しい柔らかい葉が新鮮。
これから緑が爆発したようになっていくのだが、今はまだスカスカな森。


今日はぬかるみの中でどんぐりを探すリスの群れを見た。
ブナの葉なども白っぽい軟毛を見せて銀色に輝いている季節だもの、どんぐりは2023年の秋物を食べているのだよね...




蒼といえば紫が少し入った青い絨毯のようなブルーベル。

近くで見ればもっと青いかと近づいていくものの、常に先の方がもっと青く見えるので、森の中へどんどん入って行ってしまう...


と、白い大きな動物が行先に立った。

わたしは眼鏡だったので、はっきりそれが何者なのか見えず、白いユニコーンかと(笑)。

近づいて行ったら、かわいらしい斑はベージュのダルメシアンだった。

森は魔法の領域なのである(いや、近眼なだけ)。
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水仙10本は1ポンド




昨日今日は最高気温が18度まで上がったが、平均的に気温は低いままの英国南部地方...

早春の花、水仙(ナルキッソス)のころの気温じゃないか。


写真は今年の水仙100本。
10本1束で1ポンド。

英国のインフレ率は激烈で、2022年に10パーセント、23年に7パーセント、しかしこの花の値段はずっと変わっていない。

一方、先週からの為替レートで日本円に換算してみると、200円! 
去年は160円、170円、その前は150円くらいだったのに...不健全な円安のために毎年どんどん値段が上がる。

わたしは英ポンドが70年代に1ポンド800円(!)、バブルの頃それでも220円、230円以上だったのを覚えている、にしてもですよ...


万国の労働者よ、団結せよ! ですよ、全く!


今は同じ黄色でも、菜の花が黄金を蒔いたように咲いている。
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マークの饗宴




ロンドンのメイフェアにある聖マーク教会は、19世紀の聖公会の教会で、祭壇の絵画も(好みではないが)美しい。

メイフェアというロンドンでもシックな地区に建つこちらの教会、60年代に檀家が激少して教会としては機能しなくなり、70年代には福祉施設として使用されるようになった。

しばらくの間、空き家になり、去年2023年にフードコートに生まれ変わった。

フードコート...
ラーメンとか、ピザ、タイ料理など、無国籍な感じ。


教会に所属し、定期的に礼拝に出かける人が減少し、こういうふうに利用されるのでもなければ、ただ朽ちていくだけの教会建築が、レストランや商業施設に流用さる例は珍しくはない。
ベルギーにも、フランスにも、英国にも例はたくさんある。

いいのだろうか? 「教会」を油まみれになる商業施設に使うのは??


キリスト教では偶像崇拝は禁止されている。

それでもビザンチンで発達した、板に描かれた聖母子を描いたイコンや、最も美しい姿で彫りだされたのであろう聖人の彫像などは、信者の礼拝の対象だった。

理屈としては、信者は像を拝んでいるのではなく、その像を通じてその向こうにある神聖なものを拝んでいるのである、像は神聖さを可視的に映す「受信機」にすぎない、だからオッケーといえる。

つまり教会施設も、神聖さを受信する巨大な受信装置、であり、教会の建物の中に神様がいるわけではない...
だから俗世的な飲食店を入れて美味しそうな匂いを充満させ、金銭のやり取りがあってもよいのである...
となるのかなあ。




そういえばイエス・キリストが弟子たちと共にした「最後の晩餐」は、キリスト教の聖餐式の由来であり、キリスト教徒の共同体としての結びつき、信仰の実践などを象徴しているのだろう。

「エマオの晩餐」「レヴィ家の饗宴」など、聖書には会食の場面がけっこう描かれている。
ヴェロネーゼのあの舞台上の劇を瞬間冷凍したような鮮やかな絵画...

食を分かち合い、文化を認め合うというのは宗教を出すまでもなく、人間の存続にとって大切なことである。
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鹿鳴館か鹿苑寺か(笑)




昨日、内覧に行った英国南部のとある物件の庭に、野生の鹿がやってきた。

バルコニーに出ているわたしたちの方をじーっと見つめていた...

予算オーバーだが、ここはいい物件であるというサインではないかと家人らは言った。


もしこちらにご縁があったら、この館を鹿鳴館か鹿苑寺と呼ぼうぞ、と思った。
でもわが家のメンバーとはこの面白み(というかレベルの低いギャグ)を分かち合えない...

これをご覧になっているあなた、分かって頂戴。


バンビちゃん、見つかりました?
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