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飛んでイスタンブール あるいはなぜわたしは旅するか 





8月第一日目から、こちら、アジアとヨーロッパにまたがる「世界の中心」を訪れている。

......


先日、こんなことを書いた。

「勉強は楽しい。逐次、自分の既存の思考の枠を破壊し、それを超えていかなければ、理解できないこと、表現できないことに次々出くわすからだ。その快感。それが大学で勉強する意味でもある。」

大学で学ぶのは「技術」とはまた違う。
自分が「知らない、とすら知らない」のが世界の大半であり、自分の思考の範囲を破壊し次元を繰り上げ、正しい問いを立て、理解や解決に挑む、という作法を学ぶためだ。

これって何かに似ていませんかね。

旅をし、恋愛をし、読書をし、芸術を鑑賞する...のも同じだと思う。

先輩方、そう思われませんか。


わたしは、ここにも何度も書いていることだが、「環境や文化によって、その土地の人がどのようなものを美と定義しているか」になぜかとてーも興味がある。
わたしが旅をするひとつの大きな理由だ。
見せて欲しい、知りたい、と焦がれつつ、自分の手持ちの「美の定義」が破壊される快感はすばらしい。

なぜこんなことを書くかというと、トルコのイスタンブールにいます。
80年代に来て以来、4回目。今回は長目にこの帝都を見て回るつもり。


『飛んでイスタンブール』が頭から離れない...のは正しい昭和の子供の現象としても、ここは文明の十字路、世界の中心、帝都、東西文化の架け橋。

「ギリシャ語聖書やアラビア語、シリア語の哲学書に学術書、あるいは香辛料に珈琲、香木に貴石、絹に、磁器、毛皮にペスト。」(宮下遼著『物語 イスタンブールの歴史 「世界帝都の1600年」』より)

ノーベル賞受賞で有名になったトルコ出身の小説家オルハン・パムク、オスマン帝国の、ラテン人の、ビザンティンの、古代ギリシャの...
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