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アントワープ 22時の美術館



目玉のひとつ、フーケの『ムランの聖母子』(1450年頃)。
聖母のモデルになったフランス王シャルル7世の愛妾アニェス・ソレルの
極限まで理想化された描かれ方になんともいえない違和感を覚え、場を立ち去れなくなる。
たとえば「宇宙人みたい」という感想は、「この世のものではない」化された聖母に対して、決して的外れではない。
日常に突如として立ち現れる「違和感」「謎」...これは優れた作品の条件だろうか。
作品の前のソファにはヘッドセットがあり、ジャズ音楽が合わせられている。



改装工事のために10年間も閉館していたアントワープ王立美術館が、鳴り物入りで再オープンしたので行ってきた。

当初は2020年の予定だったのが、コロナ禍のために2年も延期されたのだった。

気の長い話である。

さすが、14世紀から16世紀ごろにかけて世界で最も豊かであったころを今も飯のタネにし続けているフランダースのタイムスパンは長い。




こちらの美術館、近頃はベルギー人にとっての「ぜひ行かねばスポット」になっており、普段は美術館に興味のない人たちもがここの話をしているそうだ。


正面奥にルーベンスの『東方三博士の礼拝』



又聞きではあるが、再構築された美術館のハード面もソフト面も、「いかに観客の滞在時間を長くできるか」に焦点を合わせて再設計されたそうである。というのは美術館を訪れる人がひとつの作品の前に滞在する時間は平均で15秒という研究があるからだと...

ということは、ベルギーの市井で話題になっているというだけで、すでに「ツカミ」としては上々なのでは。




メムリンクのすばらしきミュージシャン天使たち。
『ミュージシャン・エンジェルに囲まれるキリスト』。
「キリスト」とあるが、中央の人物は、「父」(神)なのか「子」(キリスト)なのか、今も未解決だそう。そういう問題の投げかけ方もいい。
わたしは「三位一体」なのでは、と思う。


天使が奏でる楽器の再構築がこちら。触ってみたいなあ。



国際都市として名を馳せたアントワープの美術館だけあって、メムリンクやブリューゲル、ルーベンスやアンソールなどフランダースの巨匠の作品がメインだ。

古典音楽やジャズ風の音楽などを聴ける装置があったり、コンピューターで遊べたりする。


「あなたもミュージシャン・エンジェルを作ってみませんか」



ひとつ強く感じたのは、人間の初期設定として「人間は動くものに強く惹かれる」ということである。

展示室のひとつに、下の写真の巨大な「手」が設置されており、これは予期できないタイミングで「たまに」動く。




そうすると人は次それがどのような動きをするのか、いつ起こるのか、意外さはあるのかとじっと見つめてしまうのである。


バアエリアやレストランもステキで、何時間でも滞在していられる。
わたしは18時から22時まで、追い出されるまで楽しんだ。
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クリスマスにはまだ早い?




お誕生日月間でベルギー帰省中。


ベルギーでも毎年早くなるような気がするのは、クリスマスの準備だ。
昔は12月最初の聖クラース祭が終わってからだったような...そういえば最近トルコ南西部で、長らく水没していた教会の床の下から聖クラースのものではと仮定される未知の墓が発見されましたね、見に行きたいなあ!


ブルグ広場には毎年こんなに立派なもみの木が。
そして昨日はマルクト広場にはクリスマスマーケットの設営が始まった。




アントワープも。
このフラマンのキャビネットいいなあ、欲しいなあ。
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ルイス・キャロルの永遠の眠り




先日、サリー州はクランレイ村の「チェシャ猫」のいる教会を訪れた。
そのおり、チェシャ猫が登場する19世紀イングランドの名作『不思議な国のアリス』を著したルイス・キャロルの墓石を、日をあらためて見に行きたいと思った。
彼の墓は、クランレイから程近いギルフォード(ロンドンの南、電車で30分の距離)の丘の上にあるというのである。


『不思議な国のアリス』を知らない人はいないだろう。

数学者、論理学者、写真家、作家、詩人であったルイス・キャロル(はペンネームで、本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン Charles Lutwidge Dodgson )はオックスフォードで数学を教えた。
学寮長として赴任してきたヘンリー・リデル家の三人娘と友人とのピクニックの最中に『不思議な国のアリス』を着想、口頭で物語ったこのナンセンスと言葉遊びにあふれる愉快なストーリーをのちに本にまとめて出版したのである。

インフルエンザが原因の肺炎で彼が死亡したのは65歳のとき。サリー州ギルフォードの姉妹の家に滞在中であった。




正直、墓標には『不思議な国のアリス』のすばらしき非・意味性やナンセンス、遊びがあるのでは、と手前勝手な期待をしていたのである。
が、しかし、ヴィクトリアンのイングランド人らしい墓標だった。
彼自身が墓標を指定できない突然の死だったのかしら、それともキリスト教徒の墓標とはこういうものなのだろうか。


Thy Will Be Done
Where I Am There Shall Also My Servant Be
Rev. Charles Lutwidge Dodgson
(Lewis Carroll)
Fell Asleep Jan. 14, 1898
Aged 65 Years
His Servants Shall Serve Him
Father In Thy Gracious Keeping, Leave We Now Thy Servant Sleeping

みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように (マタイによる福音書 6:10)

私に仕えようとする者は、私に従え。そうすれば私のいるところに、私に仕える者もいることになる。私に仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。(ヨハネによる福音書12−26 「私」はキリストのこと)

父よ、あなたの慈しみの中、⁠今、あなたのしもべを眠らせましょう(聖歌Now the Laborer's Task Is Overより)




墓地をおもしろがって見に行くなんて、と思われるかもしれないが、こちらの墓地は静かな公園のような感じで、犬を散歩させたり、ベンチに座ってくつろぐ場所でもある。

墓の意匠や墓標は生者へのメッセージ、見られるためのものである。
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