青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

未来に向かう“千里ニュータウン”

2023-10-02 | 昭和・懐かしい北摂の風景

昭和と令和の1番の違いは、昭和が未来に向かって行く時代だったこと。

僕が小中学校時代は、1学年に10クラス以上があり、子供たちは多かった。万博の少し前に完成した千里ニュータウンには、多くの人々が入居して町が栄えていました。今ではエレベーターも無く、空き部屋が多く、高齢者が住む千里ニュータウンは「団地」と呼ばれていますが、僕が子供の頃ここはとてもハイカラな造りで、今でいうマンションのような輝きを放っていました。

写真は北千里駅の西北側、千里北地区センター北側から青山台の公団住宅を臨んでいる昭和42年(1967年)のものです。大勢のサラリーマン達が、早朝に駅へと向かって行く姿です。明るい未来に人々が希望を持って歩んでいるように見えます。

左の土手は、後に今はもうない千里小学校校地となりました。

こちらは違う角度から。横断歩道の向こう、後の校地で車の販売会を行っている風景です。こちらは先ほどの2年後、昭和44年(1969年)で、マイカーを持つ人々が増えて行く時代です。

子供も自動車も増えていく良き昭和の時代。令和も未来が輝くことを信じて、子供が増えて行って欲しい。どんなに世の中が便利になっても、人がいない町では未来は暗いものとなります。子供の声が聞えない町、子供の姿が写っていない町並み。どちらも寂し過ぎます。