青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

曽根~芦屋に並ぶ高級住宅地!

2023-10-07 | 昭和・懐かしい北摂の風景

今日から10月。昨日までは秋の気配を漂わせながらも、暑さは秋と言うより夏の日が続いていました。もうそろそろ季節が完全に移り変わって欲しいものです。こんな狂ったような暑さの夏は、僕も人生で初めて経験しました。この先も毎年こんな夏になるのなら、ちょっと長生きする自信を無くしてしまいそうです。

怪我のせいでこのブログの更新も出来ずにいましたが、まだまだ書き残しておきたい「昭和」が記憶に沢山ありますので、これからも継続して行きたいと思います。

阪急沿線の町並みは、僕が生まれた昭和から令和となって随分変わってしまいました。子供の頃に思い浮かべたSFの中の明るい未来の景色ではなく、綺麗にはなっても人が置き去られた寂しい風景ばかりが増えてしまった気がします。ここ阪急宝塚線・曽根駅は、そんな駅の一つです。

この写真は1967年(昭和42年)の曽根駅前の風景です。舗装もされていない道路。写真左奥を見渡しても、まだダイエーがありません。

こちらはダイエー建設中の写真ですが、撮影は1971年(昭和46年)です。まだオープンする前です。曽根のダイエーはこの翌年の昭和47年(1972年)に「曽根ショッパーズプラザ」として開業しました。

曽根駅前を歩くと分かりますが、駅前から国道176号線に向かって歩くと歩道がとても広い。他の阪急沿線の駅では見られないほどです。駅東側には岡町に至るまで大きな家が並んでいる曽根。さすがはかつて「西の芦屋、東の曽根」とまで呼ばれた町です。曽根駅周辺の住宅については、こちらの記事もご覧下さい。

実は今の駅前ロータリーの辺りには、戦争末期まで関西財界の名士や海軍の高級軍人がよく訪れた、「美食俱楽部」ならぬ、北大路魯山人設計による「大阪星岡茶寮」がありました。(昭和20年6月・豊中空襲で焼失)

こちらはダイエーが完成した後の昭和50年代に入ってからの曽根駅前。1番上の写真と同じ場所からの撮影です。

そして、こちらが現在の曽根。昔に比べて本当に綺麗になりました。いつここに来ても遭遇した渋滞も、駅の高架化で解消されましたが、それ以前に走っている車の台数が激減していますし、ダイエーの向こう側にあるボーリング場等の娯楽施設も閑古鳥が鳴いています。また、駅前の喫茶店も消え去ってしまいました。

住み易い街並みになっても、そこに住む人々が減ってしまっては本末転倒。日本の抱えている大問題が、昔と現在の町並みを比較すれば「百聞は一見に如かず」と言ったところでしょうか。