青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

音大通り~懐かしい庄内

2023-10-08 | 昭和・懐かしい北摂の風景

僕の両親は高知県より大阪に出て、最初は福島(大阪タワーの近所)、次に庄内を経て豊中に家を買いました。福島時代のことは知りませんが、庄内のことは少し覚えています。アパートの2階に住んでいた時、もうすぐ3歳になろうかという僕が、母の掃除中のバケツをひっくり返してしまい1階を水浸しにしてしまったのです。当時はみんなが子供を大切にした時代。みんなで後始末をして、謝る僕に怒る大人はいませんでした。

金曜8時にプロレスを親父とTVで観て、その後数分プロレスごっこをしてもらう。週に1回の楽しみでしたが、これは階下の人から騒々しいと怒られ(笑)、このことで家を買う決心を両親はしたそうです。引越し先のマイホームで最初に僕が言った言葉は、「ここはあばれてもいいの?」。

庄内時代、本当に小さな子供だった僕でも覚えている地名があります。それは「音大通り」。

これは両親が庄内に来た、昭和30年代前半の写真です。1950年代の最後の頃。昭和29年、大阪市東区味原町(現・天王寺味原本町)から庄内町野田堤南側に大阪音楽短期大学が移転し、昭和33年に同地に大阪音楽大学が併設されました。これ以降、庄内では音大通りが作られるなど、音楽を中心とした文化地域を目指した試みがなされて来ました。

因みに音大通りは、現在は「オペラ通り」と名前が変わっています。

これは昭和50年(1975年)、母親が服部で働いていたので、僕が服部の塾に通うことになった頃にかつて住んでいた場所を訪ねた時のもの。現在のくりのみ幼稚園の前から東を撮影した写真です。右の大きな建物が大阪音楽大学第一キャンパス。この道が音大通りで、道の左が野田町。右が庄内幸町となります。

それから50年近く経った現在はこんなに変わっています。当時の面影は跡形もありません。

この音大通りを、僕も両親も全く忘れていた頃に、あるきっかけで思い出しました。そのきっかけが2017年の森友学園騒動。豊中にある国有地を取得して学校を建設した騒動です。その学校がこちら・・

瑞穂の國記念小學校です。開校することなく現在に至っていますが、この場所が音大通りや大阪音楽大学から北にほんのわづかの距離にあるのです。本当に周囲は綺麗になっていて、申し分のない場所に変貌を遂げていました。

庄内は昔は映画館もあり、戸籍を持たない人が多く住んでいるという問題もありましたが、地域を1948年から支え続けた豊南市場は現在も健在。駅周辺は今も昔の佇まいを残しています。現在でも昭和の息吹を感じることが出来るのが庄内、服部の周辺ではないでしょうか。