ELKのティータイム

子育ても終わり、のんびり普通に過ごす私のつぶやきです

一周忌を迎え・・・

2017-04-04 14:44:07 | 悪性胸膜中皮腫
久々にアップになりました。
忙しいわけじゃないけれど、バタバタと時間が過ぎていきます。



今日は、叔父の話し。
昨年3月に、悪性胸膜中皮腫でなくなった叔父。

旅立つ日は、さくらの花がとても綺麗だったな~なんて思っていたら、
もう、一周忌の時期なんですね。

日曜日に、法要を済ませてきました。
去年より寒いんですよね。
一週間遅れなのに、さくらは寂しいですもの。

故人を偲ぶって言ったら大げさかもしれないけれど、思い出話をしながら会食をして解散。
叔父は、どう思っているんでしょうね。



命の終わり
いつか来るんだけれど、どういう風に散るか・・・
難しいです。
でもね、1つしかない命だから、最後まで大事にしてあげたいと・・・
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四十九日の法要も終わり・・・

2016-05-17 10:52:11 | 悪性胸膜中皮腫
叔父の四十九日の法要も終わり、戒名もつけてもらい、納骨も済ませてきました。
叔父にとっては、何が何だかわからずにあちらの世界に行ってしまったんでしょうね。
子どもの頃の病気で、知的障害もあったので、77歳まで全うできたのは幸せだったのかな~って思います。



三社祭の雑踏の中、色々な話をしながら会食をして解散。
これで、一仕事完了かな~。

と思いましたが、お盆まで2か月です。
新盆のもろもろが待ってます。


こうやって考えると、人間は簡単に死ねないんだ・・・と感じます。
経済的にも・・・・
まだ、終活には早いけれど、身の回りはきちんとしておいた方がいいな~と思います。

こんなことが書けるのは、落ち着いていたせいでしょうかね。
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悪性胸膜中皮腫 その後

2016-04-22 15:36:05 | 悪性胸膜中皮腫




叔父が亡くなってから、もう1ヶ月経ちます。
早いような、ゆっくりのような・・・

ただ、色々な届が多くて・・・
この間、最後の書類が提出できました。

悪戦苦闘した原因は、本籍地が遠方なこと。
相続人が、兄弟なこと。
もし、この作業を高齢な方がすると思うと・・・
難儀です。


父は・・・
お骨に、お供えを欠かさないようです。
父なりにできる範囲で・・・
この間、カレーライスが供えられていました。
毎週木曜日のメニューなんです。

さみしくなっちゃった?と聞くと、それはないらしい。
肩の荷が下りたのと、ホッとしたのと・・・
80歳を過ぎれば、自分の事でいっぱいのはずですから・・・

それでも、夜中に物音がしないのが気になるらしくて、それが叔父がいないって現実を感じさせるみたいです。


来月中旬には、四十九日の法要を執り行います。
偶然にも三社祭と重なっていました。
これも何か縁でもあるのかな~って感じています。
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悪性胸膜中皮腫 その9

2016-04-02 13:28:27 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病記録です。



≪2016年 3月24日≫
これからは、リアルタイムに報告ができる・・・
そう思っていたのですが、午前6時20分 永眠しました。

痛み・苦しみもなく、静かに眠りにつきました。

22日に様子を見に行った時、かなり呼吸が大変そうだったので心配だった・・・
24日には、父と一緒に様子を見に行くつもりだったのに・・・
23日の夜には、心臓の働きが弱っているとの連絡を受け、翌朝危篤の連絡だった。


もう少し食事が摂れれば、好きなことができる時間があったのに・・・
でも、食べられないのには理由があったのでしょうね。
わかってあげられなかったのが、残念です。



家族だけの葬儀も丁寧にあげていただき、父もホッとしたところだと思います。
病気が発覚して5ヶ月。
あっという間の闘病でした。
介護も看護も医療も、良い人たちに恵まれて、幸せな時間だったのではないかと思います。

父の叔父への最後の言葉は、
「おふくろのところへ行け」でした。


アスベストの害、怖いです。
本当に不安のある方は、検査してもらってください。
早期発見することが、一番ですから・・・


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悪性胸膜中皮腫 その8

2016-03-21 16:03:31 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病記録です。



日赤病院での担当医師とのごたごたもあり、父が物事を解釈するのが微妙な感じで、いつも不安がいっぱいだった。
この頃には、その不安はなくなっていた。
それは、病気の情報がある程度分かったことや、往診の医師や看護師たちが細かいことまでホローしてくれたおかげだと思う。




≪2016年 2月27日≫
A病院へ入院する。
自分の力で立つことも歩くことも困難。

レントゲンとCTを撮って、一般病棟へ。
ぐったりした様子で、反応も少ない。
既に、左肺は機能していない。

この段階で、家族に今後の治療について確認があった。
看取りの為の入院であること。
延命治療について・・・
人工呼吸器・心臓マッサージは行わない。
補液のみ・・・



≪2016年 2月28日≫
点滴を受け体が楽になったのか、昨日よりも元気そう。



≪2016年 3月初旬≫
食事が出される。ゼリー食。
それでも、飲み込みが悪い。誤嚥の心配がある。
投薬は中止。
大好きなテレビにも関心はない。
足も手も浮腫んで、パンパン。



≪2016年 3月中旬≫
一般病棟から療養病棟へ。
食事は、ほとんど食べられていない。
体力が、一気に落ちる。
それでも、テレビをつけて覚醒させようと努力してくれている。
声は出るが、言葉にならない。



≪2016年 3月22日≫
酸素マスクをして、体中で呼吸をしている。
眼には膜がはっていたけれど、開かないぐらいひどくなっている。
モニターが繋がっている。
数値は、大きく乱れている感じはしない。
いつもより、血圧が高めかも・・・
意識はあり声も出るが、言葉にはならない。
段々と直視するのが、つらくなる。



先週から、2日に1回ぐらい顔を出すようにしている。
A病院は、今までにお世話になった病院で一番近くにあるので、短時間でもちょっこと行くことができる。
今までは、過去の事を思い出しながらアップしていたけれど、ここからはリアルタイムに書くことができる。


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悪性胸膜中皮腫 その7

2016-03-19 10:33:32 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病の記録です。



≪2016年 2月初旬≫
週1回の訪問看護が始まる。
体温・血圧・酸素等のチェックの他、体の様子をよく見てくれるので、父は関心していた。

昼夜逆転している感じで、深夜に動き回る。
その物音で、睡眠の妨害をされる父の愚痴が多くなる。

食事がすすまない叔父が、「ハンバーガー」と言う。
70歳を過ぎてから、ハンバーガーの味を知ったのですが好きみたいですね。
試しに食べさせてあげたところ、「最高」ってペロリと食べた。

デイサービス先で、区分4のドロドロの食事と、区分2の形のある食事を出したところ、形のある食事を喜んだそうだ。
少し食がすすみホッとしたが、まだまだ量は少ない。
誤嚥の心配もある。




≪2016年 2月中旬≫
痛みや苦しみは特にない。
ただ、食事の量が少ないので、体力が落ちている。
自分の力でトイレに行くのも難しくなってきた。
デイサービス先の職員も「もう少し食べてくれたら・・・」と。

往診・訪問看護も特に問題なし。

ただ、父が自宅で看取ることは難しい。
看取りのための入院は希望している。
そのタイミング・・・
自分の足で歩いて、デイサービスの車に乗れなくなった時。
そういう風に父と話し合った。




≪2016年 2月下旬≫
往診の日の朝、急激に体力が落ちている。
前日、ショートステイから戻って、ず~っと動かずに寝ている。
食事も水分も欲しないみたいだ。

往診時、特に診察に大きな変化はなかった。
入院の準備は、いつでも大丈夫なように手配はできているとのこと。
1日様子をみて、入院の決断をすることになる。


翌日になっても改善はなし。
入院させることにする。
夕方には、予定外での往診も訪問看護も来てくださった。
父にとっては、何よりも安心できたと思う。



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悪性胸膜中皮腫 その6

2016-03-19 10:06:22 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病記録です。



≪2016年 1月初旬≫
やはり、食事の量は増えてきません。
気が向くと、プリンを食べたりもするのですが、食事には見向きもしないようです。




≪2016年 1月 6日≫
特に治療もないので、本人の意思を尊重し退院する。
ふらつく事はあるけれど、自分の足で歩く。

今後の治療については、老人医療に力を入れている市内のA病院に掛かることなる。
往診診療が可能とのことなので、往診と訪問看護を依頼する。


問題は、叔父を介護している父の体調不良。
年末から、腸閉塞とめまいに・・・
中々回復せず、我が家で療養中。

叔父は、不本意ながらショートステイに行くことになる。




≪2016年 1月中旬≫
初めての往診を受ける。
相変わらず、食事がすすまない。でも、好物のサイダーは飲む。
栄養状態はよくないけれど、他は大きく問題はない。
投薬については、発病前から飲んでいる前立腺と胆管結石に関するものだけ。

本人は、息苦しさも痛みも訴えない。

父が本調子でないため、ショートステイ先に舞い戻る・・・
本人は不本意で文句があるようだ。



≪2016年 1月下旬≫
父の体調も戻り、叔父の生活もデイサービスとショートステイを利用して、普段通りに戻る。
隔週の往診も、大きな問題もない。
ただ、食事がすすまない。
抗がん剤の影響も3~4週間って言うけれど、そろそろ食欲が戻ってきてもいいんじゃないかな~。

自分の好きなテレビやDVDを見て、自分なりの時間を過ごしているようだ。


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悪性胸膜中皮腫 その5

2016-03-06 21:46:01 | 悪性胸膜中皮腫



これは、叔父の闘病の記録です。
悪性胸膜中皮腫 その1
悪性胸膜中皮腫 その2
悪性胸膜中皮腫 その3
悪性胸膜中皮腫 その4
に続きます。



≪2015年 12月21日≫
年内に退院との話も出始め、退院に向けてのカンファレンスが設定されました。
化学療法を行わない・・
その方向で、看護師も院内の相談員もケアマネージャーも動き始めました。

しかし、医師は今後も化学療法を続ける気のようです。
私に対する話も、曖昧な感じでもにょもにょと・・・

立ち会っていた看護師に「先生は治療する気でいます。はっきりと拒否の意思を示さないと、化学療法を続けられますよ。」と。



≪2015年 12月27日≫
医師と面談。
「毎週のように面談なんって、普通はできない。」こんな言葉で始まった。
治療を始めたばかりで、結果も出ていないのになんでやめるんだ。
たまに来て、様子を見ただけで何がわかる。
暴言に近い形で、捲し立てられる。

でも、「今後、化学療法はしない。」この一点張りで話をした。

退院後は、この病院では診察はしない。
救急搬送もしないように、責任を持て!
とまで、言われてしまった。

化学療法で、腫瘍に変化が見られたのかもしれない。
病気を治してあげたいという気持ちからなのかもしれない。
でも、この医師は病気をみてくれているけれど、患者を診てくれてはいない。
そして、看護師は医師に立て付けない環境になるんだな~と思った。


医師が退席した後、看護師からは「家族の選択は間違っていないと思います」と慰められた。
その後、この面談の話は看護師長から上部に上げられたようです。
何かあった時は、心配せずに受診してくれとの話がありました。




2日に1回は面会に行っていたのですが、この後はあの医師に会わないように、きょろきょろしていたかもしれません。

その後も、叔父は食欲がなく、ほとんど食事を口にすることがありませんでした。
年末年始のお休みに入るので、食事ができない状態で退院させるのは難しいということになり、年内に退院することはありませんでした。



今も、気持ちのどこかに「緩和治療を選択してよかったのだろうか・・・」と不安になることがあります。
いくら考えても、また同じ結論になるのですが、繰り返し不安になります。
人の命をどう考えるのか、本当に難しいです。




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悪性胸膜中皮腫 その4

2016-03-01 14:03:30 | 悪性胸膜中皮腫



いつもと同じセリフで始まります。
アスベストの被害について、知ってもらいたいから・・・
同じ立場で不安を抱えている方の参考になれば・・・
そう考えています。

私も、毎日のようにネットの中を彷徨っていました。
不安で不安で仕方なかったから・・・


これは、叔父の闘病の記録です。
悪性胸膜中皮腫 その1
悪性胸膜中皮腫 その2
悪性胸膜中皮腫 その3
に続きます。



胸膜癒着術後、看護師から今後の治療の方向について聞かれる。
叔父の場合は、手術の適応はなく抗がん剤治療が第一選択となる。
抗がん剤が効くかどうかもわからない。
数か月命を長らえると考えるのが正しいみたい。

叔父にとって、抗がん剤治療を選ぶか、緩和治療を選ぶか・・・
障害のある叔父には選択できないから、家族の決断になるわけです。

82歳の父には、物事を理解するのにちょっと時間が掛かるので、少しずつ先回りをして話し合っています。
二人で話した結論は、緩和治療です。



≪2015年 12月15日≫
今後の治療について、医師から話がある。
化学療法を望まないと話したが、もにょもにょとはっきり言わない。
傷が治るまでの間に化学療法をしようと、強く推される。

医師に「叔父は耐えられますか?」と聞くと、「大丈夫」との返事に抗がん剤治療を行うことにする。
カルボプラチン400mgとアムリタ700mgを点滴投与


この後感じたのは、先生の大丈夫は体力的なものでした。
私の聞きたかったのは、精神的なものだったのです。
この辺りから、ちぐはぐとした感じがはっきりしてきたのです。


抗がん剤を投与して2日ほどしてから、叔父の様子が変わり始めました。
食欲不振です。
吐き気止めは点滴で投与されているようですが、本能のままに生きている叔父には不快でしかない。
食べたくないから食べない。
この状況の原因が、点滴にあるのではないかと疑い、点滴を外したり抵抗するようになる。

叔父にとっては、生きるということもわかっていないし、明日もよくわからない。
目的があれば、前向きにがんばれるでしょうが・・・
それがない。
治療の為に抑制せざるを得ない状態になっちゃうのです。



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悪性胸膜中皮腫 その3

2016-02-28 15:56:15 | 悪性胸膜中皮腫




叔父の闘病の記録です。
悪性胸膜中皮腫 その1
悪性胸膜中皮腫 その2
に続きます。



≪2015年 12月2日≫
エコーガイド下経皮穿刺生検・細胞診
胸壁・胸膜の病変を体外に針で採取し、検査・診断する処置。



この辺りで、医師は何かを疑っている気配を感じる。
その言葉をたどり、ネット検索をすると・・・
悪性胸膜中皮腫にたどり着いたのです。

アスベスト(石綿)と叔父の繋がりが想像できずに、父に確認すると・・・
アスベストは熱の遮断がいいので、職場で使っていたことがわかる。


父と叔父の職場は、ガラス工場。
旅行番組等で、花瓶とかガラス製品を作るシーンがあるでしょ?
そう、ああいう仕事をしていたのです。
出来上がった商品をつかむのが、アスベスト。
叔父は、商品についたアスベストをエアーで引き飛ばす作業をしていたのです。
まだまだ、アスベストの怖さを知らなかった・・・
そんな時期ですから、防塵マスクなんて使っていませんでした。

父には、そのような症状はないのですが、珪肺(けいはい)です。
ガラスの溶剤によるじん肺です。
これも、治すことのできない病気ですが、ほとんど症状がないので普通の生活ができています。



≪2015年 12月7日≫
医師の口から、病名を聞かされる。
手術の適応外。余命のついては、特にない。

労災認定を受けることができると医師から告げられたが、叔父は知的障害の関係で医療費が免除されている。
なので、手間を避けて認定は受けないことにする。
アスベスト(石綿)健康被害の救済サイトで情報が得られます。



胸膜癒着術
胸腔を癒着させ、肺の再膨張を促す処置。


これで、しばらく胸水が溜まるのを抑えられる・・だろう。
この辺りから、叔父は「家に帰りたい」と訴え続けます。
自分の病状についての理解はない。
痛みも苦しみも訴えない。





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