わが子の中学校の野球部は、オフシーズンは地下足袋で練習をしています。
白い練習着に黒い地下足袋。遠くから見れば気にはならないけれども…、近くに寄れば妙ですね。
最近の子どもたちは、重心が踵にのってしまうらしい。もちろん、この状態が野球に適していないのは理解できる。これを直す為にやっているらしい。
霜が解けたぬかるみで、スッテンコロリンしている子どもは、重心が踵にのっているらしい。
カワイそうだけれど、あちらこちらで…、下を向いて笑ってしまう。
すぐに起き上がり、大きな声を上げて練習に戻る。そんな姿もかわいいんだよね。
最近は、地下足袋練習に慣れたのか、足の裏が痛いそうだ。やはり、靴とは違い底が薄い。踏ん張っていると痛むらしい。あー、これも泥だらけ。
子どもたちの汚れた練習着に地下足袋に、誰が洗うんでしょうね。
私は洗ってあげない。自分達で、ゴシゴシとがんばっておくれ。
これは、野球を始めた時からの約束で、「好きな事をするのだから、ひとつは責任を持つ」なのです。
そして、5本指のアンダーソックスが欲しいだって。
5本指の地下足袋が欲しい?そんな物あるの?
こんな会話、あと何年続くのでしょうね。終るころには、少し寂しいのかもしれません。
白い練習着に黒い地下足袋。遠くから見れば気にはならないけれども…、近くに寄れば妙ですね。
最近の子どもたちは、重心が踵にのってしまうらしい。もちろん、この状態が野球に適していないのは理解できる。これを直す為にやっているらしい。
霜が解けたぬかるみで、スッテンコロリンしている子どもは、重心が踵にのっているらしい。
カワイそうだけれど、あちらこちらで…、下を向いて笑ってしまう。
すぐに起き上がり、大きな声を上げて練習に戻る。そんな姿もかわいいんだよね。
最近は、地下足袋練習に慣れたのか、足の裏が痛いそうだ。やはり、靴とは違い底が薄い。踏ん張っていると痛むらしい。あー、これも泥だらけ。
子どもたちの汚れた練習着に地下足袋に、誰が洗うんでしょうね。
私は洗ってあげない。自分達で、ゴシゴシとがんばっておくれ。
これは、野球を始めた時からの約束で、「好きな事をするのだから、ひとつは責任を持つ」なのです。
そして、5本指のアンダーソックスが欲しいだって。
5本指の地下足袋が欲しい?そんな物あるの?
こんな会話、あと何年続くのでしょうね。終るころには、少し寂しいのかもしれません。
今日は天気がヨロシク、洗濯物が乾きそうだったので
洗濯しました。
白い服の襟や袖などが黒ずんでいたので、
手洗いを敢行しました。
石鹸なすりつけて、柄付きタワシでゴシゴシ
しました。
ふと、実家にいた時のワンシーンが思い出されました。
私の母親は、日曜日の朝、
風呂場で家族の汚くなった服などを手洗いしてくれてました。
「洗濯もんないね~?」
「あるならはよ持ってき~」博多弁です
と風呂場にこだまする母の声が思い出されました。
自分でやって、手洗い中の中腰状態維持がきつい事が判明。
川柳風に、
「やってわかった 母の手洗い」
です。
今度の母の日には何か「バブ」みたいなものを送ろうかな~。
子供はいづれ気づくものです。
決して口には出しませんがね。
別に恨む事も無く、これが私の人生と納得して生きてきたような気がします。
たぶん、自分の理想の母親みたいなものに成りたかったのかな?実際は、ありのままに「かあちゃん」してます。
でも、家庭に母親のいる感じがわからないんですよね。だから、ちょっとうらやましいような…。
プレゼントは、何でもうれしいですよ。電話一本でも、肩揉みでも。
自分での手洗いも、私のむち打ち症の後遺症で、揉み洗いのスタイルがきつい事も理由なんです。
その代わり、きちんとやった事は誉める事にしています。
……拝読して『ジンと来るなァ』と心をカッチャカレたので、書きます。
私が中学生のころ、家族は5人(両親+3きょうだい)でした。私はロウティーンだったある早朝、父親から説教を喰らいました。
「君のお母さんは、家族のために、つまり、私のために、君のために、君の弟妹のために、毎日献身的にあれこれと尽くしている。それを解れ。解ったら、自分でできることは自分でしろ。君のお母さんは、君の奴隷ではない」
私はそれ以来、何となく、入浴時に自分の下着洗いをするようになり、土日は家族三食の食器洗いをするようになったみたい(思い出を美化っぽく綴った気がしますが)です。
東京の、とある禅寺の住職が、『私の“珠玉の言葉”』と題するエセーで、こんなことを書いていました。
〈反抗期に、何かの拍子にむしゃくしゃしたらしく母親に手を上げた息子を、私は反射的に怒鳴りつけました。
「おいこら! ガキの分際で…オレの女に手を出すな!!」
…これが私の“珠玉の言葉”です〉
私は、お坊さんのムチャクチャさをこよなく愛します。
駄文でゴメンナサイ。
ELKさん、お身体お大事になさってください。
FJN合掌
でも、私も似たようなことを言った記憶もあるような…。
妻というか母というものは、ちょっとの気遣いでハッピーになってしまうのです。週末の食器洗いだって、食器を下げてくれるだけでも。
その気遣いをしないから、気づいたときに熟年離婚なんて事になるのです。
家では、男性陣は良く働きますよ。それって、私が怖いということ?
路線が外れてしまったかも。
今のお母さん達、塾通いだ何だと必死に動き回っている。「タクシーじゃないのよ!」と言うわりには、改善されているように感じないのは、もしかして甘やかしかしら。
極力手は出さず、口を動かす私です。