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安倍政権はナチスと同じ手口

2014-09-14 23:47:13 | シェアー
2014年07月17日(木)
安倍政権はナチスと同じ手口
麻生氏は講演でこう語った。<静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね

以下の記事はとてもいいです。あまりに明白にひどいので、こうした意見が増えています。毎日新聞は相対的にましです。しかし産経、よみうりは右翼街道まっしぐらです。

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特集ワイド:集団的自衛権行使容認の閣議決定 
ワイマール空文化、ナチスと同じ手口 
三島憲一・大阪大名誉教授に聞く

毎日新聞 2014年07月14日 東京夕刊

 集団的自衛権の行使容認が閣議決定されて以来、気になって仕方がないことがある。かつて世界で最も民主的とされたドイツのワイマール憲法がナチスによって骨抜きにされた歴史だ。そこから何を学ぶべきか。ドイツの政治思想史に詳しい三島憲一・大阪大名誉教授を訪ねた。【浦松丈二】

 「今から思えば、『静かにやろう』と麻生(太郎)氏が言ったのは閣議決定のことだったのでしょう。憲法改正はあきらめたが、実質は同じ。結局、狙い通りになっている」。開口一番、三島さんは麻生財務相のナチス発言に切り込んだ。

 昨夏、安倍晋三首相らが憲法改正を容易にする96条改正を目指し、改憲派からも「筋違い」と批判されていたころ、麻生氏は講演でこう語った。<静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね

 三島さんは「そもそも『ナチス憲法』というものは存在しない」と前置きをしたうえで、指摘する。「ヒトラー内閣は1933年3月に全権委任法を成立させ、ワイマール憲法を骨抜きにしたが、憲法自体は廃止されなかった。ナチスは憲法を空文化することで独裁体制を築いたのです」

 全権委任法は、憲法から逸脱する法律を公布する権限をヒトラー内閣に一括して付与した。

前代未聞の法律が議会を通過したのはなぜか。直前に国会議事堂が不審火で全焼し、ナチスはこれを口実に共産党系議員を「予防拘禁」するなど反対派を徹底弾圧したからだとされる。

 「麻生氏の言うように『誰も気付かないで』変わったわけではありません。全権委任法成立は、議事運営の盲点を突いたもので、大騒ぎの中で採決されました。当時のドイツの経済状況はとてつもなくひどかった。世界恐慌(29年〜)で失業者があふれていたのに、議会は小党分裂、左右対立の権力闘争に明け暮れ、機能停止状態だった。ナチスは社会の混乱に乗じ、巧みに憲法を崩していったのです」

 三島さんの専門はドイツ哲学。65年に東大を卒業した後、日独を往復して、ナチスを生み出したメンタリティーが戦後も残っていたことを長く問題視し続けたハーバーマス氏ら一群の知識人の思想を研究、紹介してきた。同氏の政治的発言集「近代−−未完のプロジェクト」を訳してもいる。

 その三島さんの目に集団的自衛権の閣議決定はどう映るのか。「憲法の空文化という点ではナチスの手口と同じです。あからさまな暴力を使わないところは違いますが。ただ、国民操縦の手段はもっと巧みになっています」。厳しい口調でそう言い切った。

 戦前のワイマール憲法の空文化はナチスの独裁から第二次世界大戦、ユダヤ人の大量虐殺につながっていく。私たちはその歴史から何を学び、何を警戒すべきなのか。

 三島さんはこんな説明を始めた。「ドイツの憲法にあたる基本法は第1条が決定的です。『人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し守ることはすべての国家権力の義務である』。この格調高い第1条から第19条までに表現の自由や男女平等などの基本権を定め連邦、議会制度などが続く。国家があるから憲法があるのではなく、市民の合意で憲法が作られることで国家が成立するとの思想です」。そのどこに、戦前の教訓が生かされているのか。

 「ワイマール憲法にも人権条項はありましたが、司法当局などは宣言、努力目標と受け止めていました。どんな美しい条文も、それを支える政治文化や世論が機能しなければ空文化してしまう。だからナチス独裁も起きた。

この反省から人間の尊厳を1条に掲げ、条文解釈を基本権が縛る仕組みにした。さらに独立性の高い憲法裁判所を設けて、その保障を担保した。外国人でさえ行政当局に不当な扱いをされ、他の手段が尽きた時には憲法裁判所に訴えることができる。実際に多くの違憲判決が出されています」

 「一方」と続けた。「日本では『権力を縛るもの』との憲法理解が一般的です。憲法第1条は天皇条項。構成の違いも思想の違いを反映しているのです。いわば建国文書であり、憲法裁判所に守られたドイツ基本法に比べると、日本国憲法は国民の生活に根ざしたものになりにくい」

 ドイツ基本法も歴史の波にさらされてきた。冷戦下の西ドイツは、現在の日本よりはるかに厳しい安全保障問題に直面していた。55年にはNATO(北大西洋条約機構)に加入し、再軍備した際は国論が二分された。

 「保守政権が推し進めた再軍備と徴兵制導入には反対の世論が吹き荒れ、兵隊になるのは嫌だと多くの人が国を出てカナダやニュージーランド、オーストラリアなどに移民しました。それでも、連邦軍設立は基本法改正を経たものであり、解釈で自衛隊を作った日本とは違う」

 ドイツ基本法は約60回改正されている。「国民は個々の条項に不満があっても、公共の議論を吸収してきた基本法を信頼している。国内の徹底した議論の成果でしょう」

 ◇公論で憲法を取り戻せ
 翻って日本はどうか。「日本では改正による再軍備は国民に抵抗感が強かったため、政権側は憲法改正を避け、解釈で自衛隊を拡充してきた。結果、現実と憲法の緊張関係は限界まで緩み、憲法9条の下に自衛隊が存在する虚構ができあがった」

 自衛権の行使を容認する閣議決定で、日本国憲法の空文化はまた、進んだ。
 「閣議決定という手続きで解釈改憲に踏み切った政権側だけでなく、護憲派にも責任があると私は考えています。9条を守ろうとするあまり自衛隊の議論を後回しにし、結果的に、空文化を招いた一面もある。

憲法を自衛隊に合うように改正させたら、その先なにをやられるかわからないという恐怖は私も共有していましたが、改正させてそこで『戦争をしない国家』という歯止めを作るという手段もあったかもしれません」

 三島さんは今年4月、学者らでつくる市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人になった。「憲法の理念である国民主権とは、公論を通じて実現します。声を上げ、日常生活で憲法を生かし、憲法に内実を与え続けることでしか空文化は防げない。空文化を謀る勢力に論争を挑んで憲法を国民の手に取り戻さないといけません」

 黙っていたら憲法の空文化に手を貸すことになる。それがワイマール憲法の教訓だ。
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 ■人物略歴
 ◇みしま・けんいち
 1942年生まれ。ニーチェ、ベンヤミンらの研究で知られる。著書に「戦後ドイツ その知的歴史」など多数。


集団的自衛権は日本国民のための制度でない。自衛隊を米軍の“傭兵”にする制度だ。 孫崎享

2014-09-14 21:20:40 | シェアー

集団的自衛権は日本国民のための制度でない。自衛隊を米軍の“傭兵”にする制度だ。

「マガジン9:http://www.magazine9.jp/」 より一部転載2014年7月16日

「集団的自衛権と解釈改憲の危険性」

孫崎享

1:民主主義を危うくする。

 5月8日ニューヨーク・タイムズ紙は「日本は民主主義の真の危機に直面している」とする社説を掲載。

・軍事力を変えようとする安倍氏の試みは憲法解釈の変更を必要とする。それには国会の3分の2の承認と国民投票での承認を必要とする。
・安倍首相は政府が憲法解釈を変えることで憲法九条を避けようとしている。これは民主主義の過程を覆すものである。
・日本は民主主義の真の危機に直面している。

 さらに5月28日国民安保法制懇が発足したが、この記者会見で阪田元内閣法制局長官は次のように述べた。
 「集団的自衛権を行使できるようにするなら、十分に国民的な議論を尽くした上で、憲法改正で国民の意見を集約し、国民の覚悟を求める手続きが必要だ。憲法解釈という、極めて安易な手段による日本の針路の変更に異を唱える。憲法九条の解釈は60年にわたって政府自らが言い続け、国会でも議論を積み重ねてきた。国民にもそれなりに定着している。一政権の手で軽々に変更することは立憲主義の否定であり、法治国家の根幹を揺るがすものだ」

 

2:では日本は今こうした民主主義の危機を冒してまで行わなければならない緊急性に直面しているか。

【安倍氏の説明に沿って考えたい】
 •尖閣諸島等、日本国国土への攻撃はすでに安保条約で規定されていて、今{集団的に}どうすべきかという事は何ら議論になっていない。
 安保条約第5条
「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」

 •邦人保護
 外務省は各国大使館で緊急時に邦人をどのように避難させるかプランを持っている。
 事前に逃避することを考える。民間飛行機、船舶が主である。
 イランイラク戦争の時、テヘランでの避難はトルコ航空。
 米国艦船はない。
 「いまや海外に住む日本人は150万人。さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます」としてその安全を守るために武力行使が必要だというような論理を展開」の論理こそ、「自国民を守る」として武力行使を拡大していった植民地支配の論理そのものである。
 いずれも集団的自衛権でないものを持ってきている。

 •紛争地への経済協力は避ける。
 戦闘の一方に対する住民の政治的支持獲得の行動。敵の攻撃の対象。
 紛争後に支援を行うを主。

 •ミサイル防衛は機能しない。

 

3:集団的自衛権は米軍のために自衛隊を使うシステム。

 2005年10月29日日米政府間で「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書に署名した。
 米国側は、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、日本側は町村外務大臣、大野防衛庁長官が署名し、通常2プラス2文書と呼ばれている。
 ここでは、今日の集団的自衛権の方向性が示されている。
 「地域及び世界における共通の戦略目標を達成するため、国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は、同盟の重要な要素となった。この目的のため、日本及び米国は、それぞれの能力に基づいて適切な貢献を行うとともに、実効的な態勢を確立するための必要な措置をとる
 日本に、世界に向けての軍事戦略はない。従って「共通の戦略目標」とはアメリカの戦略目標ということである。
 2005年10月29日は小泉首相の時である。2006年9月26日発足した第一次安倍内閣で、集団的自衛権の容認の動きが強まった。しかし、2007年9月26日安倍首相は政権を放り出し、引き継いだ福田首相は集団的自衛権に慎重な姿勢を示し、流れは止まった。
 そして今再び、第二次安倍政権で集団的自衛権が再度復活してきたのである。

 

4:国際的に認められた集団的自衛権は、安倍首相などのいう「集団的自衛権」とは同一ではない。

 その理解のためには国連憲章を見る必要がある。国連憲章は次の規定を持つ。

 第2条〔原則〕
 1:この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
 3:すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
 4:すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

 第51条〔自衛権〕
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

 この体系で明確なのは「各国は主権を持つ」「武力攻撃を行わない」「加盟国に対して武力攻撃が行われたら自衛権を持つ」という事である。
 集団的自衛権は同盟国(米国)と行動することを考えている。アフガニスタン戦争やイラク戦争の事態を想定している。これらの戦争が行うべき戦争で無かったことは今日、米国もが認めている。こうした米国主導の戦争に入っていくことが集団的自衛権の主たる目的である。

 

5:安全をもたらすか。

 安倍首相は「内閣総理大臣である私は、いかなる事態にあっても、国民の命を守る責任があるはずです」「人々の幸せを願って作られた日本国憲法が、こうした事態にあって”国民の命を守る責任を放棄せよ”と言っているとは、私にはどうしても考えられません」等と言っている。集団的自衛権に参加しないことが「国民の命を守る責任を放棄せよ」と同じであるかのように言っている。
 集団的自衛権を持つことが本当に日本国民の安全を高めることになるのか。
 今日イスラム社会の人々がある日突然に日本を攻撃することは考えにくい。
 もし、日本が集団的自衛権で米軍と共に行動する事態になったらどうなるであろうか。
 攻撃された人々は当然報復を考える。
 イラク戦争、アフガニスタン戦争の中、ロンドン、パリ、マドリードがテロに見舞われた。2004年3月11日マドリードで合計10カ所での爆破が起こり、191人が死亡、2000人以上が負傷した。スペインのイラク戦争参加に対するアルカイダの報復である。
 北朝鮮―ノドン200-300発を配備。
 北朝鮮に対する軍事介入の際はこれで日本本土攻撃。
 集団的自衛権の適用で米軍と一緒に行動すれば、日本への報復攻撃が予想される。集団的自衛権は安倍首相の発言とは逆に日本を不安定にする。

6:結論:集団的自衛権は日本国民のための制度でない。自衛隊を米軍の“傭兵”にする制度だ。


【デモと民主主義】 「東京デモクラシークルー」 高橋若木さんインタビュー

2014-09-14 21:11:46 | シェアー

Nagi WindさんのFBより

「自分たちが暮らしてきた、日本社会が好きだからです。安倍さんが言う『戦後レジームからの脱却』は、要は革命。私たちは、そんな安倍さんから、戦後日本の民主主義を保守したい」…

大事にしているのは、いまの日本社会にある自由であり平和であり多様性です。それを守りたい本文より)

 
(インタビュー)
デモと民主主義 政権批判デモの主宰メンバー・高橋若木さん
2014年9月13日朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11348304.html

 
 原発再稼働。集団的自衛権の行使容認。安倍政権が進めるこうした政策に、「1強多弱」の国会はブレーキ役どころか十分な議論の場さえつくれずにいる。そんな政治状況下で、特定の党派や組織によらない人たちが新しいスタイルのデモを始めた。仕掛け人の一人、高橋若木さんに、デモが持つ意味と、この国の民主主義について聞いた。

 ――さかのぼること2カ月前、集団的自衛権の閣議決定に抗議する首相官邸前デモを仕掛けたのは、みなさんですね。「東京デモクラシークルー」。どんな人の集まりですか?

 「3・11後の脱原発デモや、ヘイトスピーチに対抗するカウンター活動、特定秘密保護法反対デモなどの現場で知り合った面々によるゆるやかなつながりです。20~40代の普通のサラリーマンのほか、デザイナーや編集者、アーティスト……。個人的に仲がいいというより、ネットで連絡しあってデモをつくりあげる『協力者』という感じです」

 ――特定の組織や党派によらずに大規模デモを実行するには、大変な時間と労力がかかるでしょう。お金にもならないのに、なぜわざわざそんな面倒なことをするのですか。

 「自分たちが暮らしてきた、日本社会が好きだからです。安倍さんが言う『戦後レジームからの脱却』は、要は革命。私たちは、そんな安倍さんから、戦後日本の民主主義を保守したい」

 「3・11以前、日本のデモのほとんどは、社会の『外側』から、社会を糾弾したり、嘆いたりしがちだったと思います。少数の『目覚めた』弱者による、多数派への抵抗。こわばった悲壮感が漂い、デモから人を遠ざけていたと思います」

 「私たちは、自らを社会の『内側』をつくっている市民であり、主権者という強者だと思っています。狭量で短見で、主権者を見下すような無礼な政治家は、叱らないといけない。そういう強者の感覚に根差したデモを自分たちでつくろうと。強者の余裕は悲壮感を退けます。ユーモアがありながらも容赦のない、クールな抗議を目指しています」

     ■     ■

 ――権力者は、選挙で選ばれた我々へのデモやシュプレヒコールこそ無礼だ、と思っているのでは。

 「それは代議制民主主義に対する無知ですね。選挙で『代表』を選んだからといって、全権委任しているわけではない。主権は、選挙後も変わらず私たちの方にありますそのことを忘れているなら、デモという非暴力的な手段で圧力をかけるのは当然でしょう。自民党は先日、国会周辺でのデモの規制を検討しようとしましたね。『うるさくて仕事にならない』からだそうですが、その仕事を任せているのは主権者です。ちゃんと仕事をしてくれればわざわざ抗議に行く必要はない。迷惑をかけられているのは私たちの方です」

 「私たちは、何か特定の『善』を社会に広めたくてデモをしているわけではありません。何を善と思うかは人それぞれです。だからこそ、特定の善を他者に押しつけたり、押しつけられたりしてはならない。支配しないし、支配されない。そのようなフェアな関係を守るための枠組みを定めているのが憲法です

 「安倍政権は集団的自衛権の行使容認という、本来は憲法改正しなければ出来ないことを、閣議決定だけで決めてしまった。戦後日本が守ってきた、最低限フェアな社会であるための枠組みを壊すもので『支配願望』の表れだと思います。もはや個別政策の当否にとどまらない、政権を担う資格があるかという問題です。だから首相官邸前のデモは『集団的自衛権の行使容認反対』のコールが、いつしか安倍さんの退陣を求める声に収斂(しゅうれん)されていきました」

 

 ――しかし、名指しのコールは「デモは怖い」というイメージを増幅させているのではないですか。

 「抗議型の社会運動は、『指をさす』ことから始まります。『戦争をやめよう』とやわらかく呼びかけても、『軍国主義の始まりだ』と訴えても、抗議の対象が漠然としているので『世間』には伝わりません。すでにくすぶっている具体的な怒りや違和感があるのですから、それを社会に表出させることが必要です。そのためには、民主的な政治プロセスへの侮蔑を隠さない政治家は『敵』として指をさし、『辞めろ』と言う。民主主義は正しい『指さし』によって、求心力を回復します

 「怒りを可視化させることで、人々の無関心を揺さぶり、民主主義がつねに起動している社会にしたい。不公正なことをする政治家に対しては、怒っている人が多くいることを知らしめ、社会に対しては、怒った時は堂々と表明していいことを、目に見える形で示していきます」

 ――デモに効果はあるのでしょうか。訴えが届いたり、現政権がデモによって政策を修正したりすることもない。何かが変わったようには見えませんが。

 「効果は確実にあります。自民党幹事長が『デモはテロ』と言ったり、政調会長がデモ規制を持ち出したりするのは、それぐらい嫌がっているからでしょう。『1強多弱』で国会が機能不全に陥る中、嫌がられる勢力がいることは大事です。そしてもう一つ、政治に無関心だと言われ続けてきた若い世代の参加者が増えているのも大きな変化です

     ■     ■

 ――現場で取材していると、「ケンポーをーまもーれー」みたいなやや間延びした年長世代のシュプレヒコールが、若者に引きずられてラップ調に変わっていきました。若い世代はなぜ動き出したのでしょうか。

 「意外かもしれませんが、たぶん保守的だからでしょう。私たちより若い世代は、高度経済成長も、多幸感にあふれたバブル期の日本社会も知りません。経済的な繁栄を再びと思ってないし、日本は没落したからはい上がるために抜本改革が必要だという年長世代の焦りもピンとこない。大事にしているのは、いまの日本社会にある自由であり平和であり多様性です。それを守りたい。そして何より素直です。かつての学生運動を知らないので、肩ひじを張らず、嫌なものは嫌だと普通の言葉ですんなり言える強みがあります」

 

 ――その一方で、若い世代の「右傾化」も指摘されます。

 「インターネットが普及し、人はインスタントな情報に刹那(せつな)的に反応するようになりました。良い悪いではなく、社会のインフラの変化です。集団的自衛権では、ふつうの中高生や大学生が、ツイッターで『戦争いやだ』『安部ふざけんな』とつぶやいていました。『安倍』の漢字がことごとく間違っているんだけど、そういう直感的な怒りを大事なものとして拾っていくことをリベラルの側は怠ってきました。そこは右派がうまかった。中韓が悪い、サヨクが悪いと言い続け、怒りや不満の感情をつかみ、拡大しました」

 「若い人の多くは、ハードな労働環境の下、政治や社会の問題について思考する気力も、その気力を支える社会に対する希望も奪われつつあります。問題を分析したり、社会を漠然と嘆いたりするだけの、リベラルの『お説教』に付き合っている暇はありません。私たちは広告的な発想も使って、正しい『指さし』で人々の感情をつかまえにいく。十分に巻き返せると思います」

 

 ――デモの前にデザイン性の高いプラカードが何種類もネットにアップされ、ツイッターでは「おしゃれしていかなきゃ」というつぶやきがありました。運動のカッコよさを強調されているのも、戦略ですか。

 「私たちの運動がスタイリッシュに見えるのは、渋谷や新宿でデートしているようなおしゃれな若者を含め、社会の『内側』にいる人々が声を上げているからでしょう。政治に無関心な人たちの目に最初にとまるのは、主張の内容ではなく運動のスタイルだと思います。デモは、民主主義を再起動させるためのプレゼンテーションです。旧来的な左翼の運動と映るのか、同時代のクールな人たちの運動と映るのか。この違いは決定的に大きいと考えています」

     ■     ■

 ――現実にはデモで政権を変えることは極めて難しい。最後はやはり選挙ではないですか。

 「デモに参加する人たちは政治的関心が高いので、選挙のときには候補者の情報をチェックし、拡散し、もちろん投票にも行きます。投票とデモは民主主義の両輪。デモが日常の光景になれば、そのような投票層の拡大につながります

 「国政選挙は、さまざまな問題をまとめて有権者に問うものですから、個別の政策についての民意が結果に反映されないことがあります。たとえば世論調査では脱原発派が多数派でも、原発推進の自民党が勝ってしまう。だからこそ、選挙以外に、政治に主権者の意思をインプットする回路が必要です。デモはその一つ。民主主義の基本装備です」

 「選挙は大事ですが、20世紀のファシズムを代表するナチス政権は選挙で生まれたことも覚えておきたい。デモの究極の役割は、どんな政権ができても完全には押し込まれない、公正な社会の枠組みがボロボロにされないような政治文化をつくること。『これは自分たちの社会だ』という確信と『社会は変えられる』という希望をよみがえらせ、拡散することです」

 (聞き手 論説委員・高橋純子)

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 たかはしわかぎ 80年生まれ。大学講師。専門は政治哲学。共著に「哲学の振る舞い」。社会変革に関する共著を近く刊行予定。

 

朝日叩き、かすむ本質 政府の姿勢も検証不可欠

2014-09-14 21:02:50 | シェアー

 

西日本新聞社http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/113868

朝日叩き、かすむ本質 政府の姿勢も検証不可欠

2014年09月13日(最終更新 2014年09月13日 01時26分)

 朝日新聞は12日付朝刊で、東京電力福島第1原子力発電所の吉田昌郎元所長(昨年7月死去)が政府に事故当時の状況を説明した「聴取結果書(吉田調書)」に関する記事を取り消した経緯を掲載。先に撤回した慰安婦報道についても、11日の木村伊量(ただかず)社長の記者会見でのやりとりを載せ、あらためて説明した。だが、朝日の説明にはなお疑問が残る。一方で、報道が朝日批判に集中するあまり、原発、慰安婦をめぐる本質的な問題が置き去りにされる恐れがある。

 ■吉田調書

 朝日は、政府が公開する前に吉田調書を独自に入手。5月20日付朝刊で「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じた。

 記事はその根拠として「本当は私、2F(第2原発)に行けと言っていないんですよ」との発言を引用。だが、調書にはこの発言に続き「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」などの発言がある。朝日はこれらの発言をネットに載せたが、紙面には出さなかった。

 朝日側は11日の会見で「所長の発言の評価を誤った。事後的な感想ということで(紙面から)割愛した」と説明した。だが、この部分を削除するのは理解に苦しむ。「命令違反」という記事の骨格と矛盾する発言を意図的に削除した疑いは消えない。

 一方で、吉田調書などに基づく政府の事故調査委員会報告書が出された2012年7月当時から、原発の専門家は「吉田調書などを公開し、事故検証や新たな原発の規制に生かすべきだ」と指摘していた。

 報告書には、吉田調書で明らかになった「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」「腹を切ろうと思っていた」といった吉田氏の生々しい言葉はなく、原発事故の真の過酷さは伝わらない。政府が2年以上公開しなかった吉田調書は、朝日報道がなければ永久に国民の目に届かなかった可能性がある。政府は、国民の判断材料となる吉田調書を公開することなく、原発を再稼働しようとしていた。

 NPO法人原子力資料情報室の伴英幸共同代表は「本来は政府が自発的に調書を公開すべきだった。政府の姿勢も問われるべきだ」と指摘する。

 ■慰安婦

 慰安婦問題についても、朝日の説明は十分とは言えない。特に、慰安婦だったと初めて証言した金学順さんが、日本の芸妓(げいぎ)に当たる「妓生(キーセン)」学校に通い、軍関係者ではなく養父から連れていかれていたことを、朝日は1991年8月の初報から一切触れていない。朝日側は「キーセンが慰安婦だとは思っていない。ねじ曲げはない」とするが、他社はこの事実を書いている。「強制連行」にそぐわないため、意図的に触れなかったのではないか、との疑いが残る。

 一方、韓国・済州島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を朝日が虚偽としたことで、この誤報が「慰安婦イコール性奴隷」のイメージを国際社会に植え付けたとする批判も多い。しかし、日本の慰安婦を「軍性奴隷」と断じた96年の国連人権委員会のクマラスワミ報告で、吉田証言を引用した記述は37ページ中わずか5行(英語版)で、根拠の柱は元慰安婦6人の証言だ。

 人狩りのような強制連行と、軍と契約を結んだ業者にだまされ、意に反して慰安婦を続けさせられた「強制性」の違いは何か。「強制連行はない」と日本が主張することを、国際社会はどう受け止めるか。

 ジャーナリストの青木理氏は「慰安婦での朝日批判には歴史修正主義の立場からの論調も目立ち、異様な状況だ」と指摘。服部孝章・立教大教授(メディア法)も「吉田証言が取り消されても、国際社会では日本は加害者だ。慰安婦問題がまるでなかったかのように主張するのは間違っている」と強調する。

=2014/09/13付 西日本新聞朝刊=


「説得できない有権者は抹殺」高市早苗推薦、自民党のヒトラー本が怖すぎる

2014-09-14 18:51:09 | シェアー

本と雑誌のニュースサイト/リテラ  http://lite-ra.com/  より転載 2014.09.13

「説得できない有権者は抹殺」高市早苗推薦、自民党のヒトラー本が怖すぎる

抗議が殺到して僅か2ヶ月で絶版となった『ヒトラー選挙戦略』(永田書房) なんと現役閣僚も推薦文を寄せていた!

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 安倍改造内閣に入閣した高市早苗総務大臣や、稲田朋美政調会長ら自民党議員3名が、ネオナチ団体代表とツーショット写真を撮っていたことが国内外で波紋を呼んでいる。団体の名称は「国家社会主義日本労働者党」。公式サイトに国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の「かぎ十字」(ハーケンクロイツ)を掲げ、「日本民族の優秀性を確認し血の純潔を保持」「民族浄化を推進せよ!国家社会主義闘争に立ち上がれ!」などと主張する組織である。

 高市総務大臣は12日の会見で、「不可抗力だった」「思想信条が分かっていたら、会いもしなかったし、写真も撮らなかった」などと釈明した。しかし、本当にそうだろうか。少なくとも高市はナチスになんら拒否感や批判的視点をもっておらず、それどころか学ぶべきものがあるとさえ考えていたのではないか。

 というのも、一部で報道されているように、高市は過去にナチス礼賛本に推薦文を寄せていたことがあるからだ。この本は『HITLER ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)。ヒトラーの選挙戦略を学ぼうという本で、94年4月に出版されたが、米ニューヨーク・タイムズ紙などから「ヒトラー称賛」と批判をうけ、ユダヤ人団体も抗議。わずか2ヶ月後に絶版回収となった“発禁本”である。ところが、この本の広告に、高市早苗がこんな推薦文を寄せていたことが判明している。

「著者の指摘通り勝利への道は『強い意志』だ。国家と故郷への愛と夢を胸に、青年よ、挑戦しようよ!」

 だが、この問題は高市ひとりの責任にはできないだろう。このヒトラー礼賛本の著者・小粥義雄氏は自民党東京都支部連合の事務局広報部長(当時)。つまり、この本は自民党の候補者に向けた選挙戦略啓発本だったというわけだ。

 公党の広報部長が候補者への啓発本にヒトラーを使うというセンス自体信じられないが、もっと唖然とさせられたのはその中身だ。ユダヤ人団体の抗議には過剰対応のものも多いため、今回、この『HITLER ヒトラー選挙戦略』を実際に入手して読んでみたが、結論から言うと、これは誰がどう読んでもヒトラー礼賛といわれてもしようがないものだった。

 まず、表紙からしてすごい。ハードカバーにハーケンクロイツ。表紙をめくると、ヒトラーの肖像画と、キャラクター化したイラストがとびこんでくる。そして、最初に掲載されているのはヒトラー政治戦略研究会によるこんな“あいさつ”だ。

「私たちは短期間に国論を統一、政権を奪取して第三帝国を建設したヒトラーは、現代選挙を考えるうえで、とても重要な教えを私たちに示しているんだと思います」

 具体的には「カギ十字の統一したイメージマーク」に「ポスター、ビラ、ラジオ、映画などのマスメディアを駆使した宣伝攻勢」などが「重要な教え」にあたるという。これが「混迷の時代、大衆文化時代の今日『ピタリ』とあてはまる政治戦略」らしい。

  

 いきなりの“かぎ十字の肯定”。こんなことを語っている「ヒトラー政治戦略研究会」というのはなんだろうと思って、奥付をみると「編集 ヒトラー政治戦略研究会」とある。どうも、同書は自民党広報部とこの団体の合作らしい。

 本文を読み進めていくと、各章の頭に『わが闘争』など、ヒトラーやヒトラー側近の著作からの引用文を掲げ、それをフックに、著者の自民党広報部長が「現代選挙の必勝法」を述べていくという構成になっているのだが、この本文もすごい。
 
 たとえば、「勝利に一直線」という項目の冒頭には、ヒトラーの側近であったへルマン・ラシュニングの著書『永遠なるヒトラー』から、まず、こんな文章が引用されている。

《私はいかなる手段もためらいはしない。私はあらゆる手段が、正当なものとなる。私のスローガンは“敵を挑発するな!”ではなく、“非常手段に訴えて敵を殲滅せよ!”である。戦争を遂行するのは私なのだ。》

「敵を殲滅せよ!」「戦争を遂行するのは私なのだ」とか、物騒きわまりない引用だが、その引用を批判するような記述は一切ない。それどころか、著者の自民党広報部長はこれを受けて、人間全てを納得させることは不可能だから、一人が反対したら三人の賛成者を生むことが大事だと説いた後、こう檄を飛ばすのだ。

そして、説得できない有権者は抹殺するべきです

 自民党広報部長が殺人教唆!?と驚愕していたら、次に「この抹殺とは人を殺すことではありません。政治的活動を一切させないように工作することです」と続き、ホッと胸をなで下ろしたのだが、いやいや、考えてみると、「政治的活動を一切させないように工作」というのも相当に恐ろしい。それって、反自民党的な有権者ならびに市民団体や政治勢力を弾圧して、政治に関与させないようにする!ってことじゃないか?

 とにかく万事がこの調子で、ヒトラーの行為や政策を批判するような文言はほとんどなし、ひたすらヒトラーはすごい!というイメージを煽り、ヒトラーの独裁的政治手法やデマゴギーに満ちた宣伝戦略に学べ!とアジり続けるのだ。

 本来なら、「ヒトラー礼讃」や「ネオナチと関係」などの話が取りざたされれば国際的な非難は免れないのだから、政治家であれば十分すぎるほど気を払うべきこと。ところが、広報部長がこんな礼賛本を出版し、安倍首相の側近中の側近である高市早苗総務相がそれを「著者の指摘通り勝利への道は『強い意志』だ」などと絶賛していたのだ。これがほんとうに民主主義国家の政権を担う政党なのか、疑わしくなってくる。

 

 しかし、考えてみれば、それも当然なのかもしれない。昨年7月には、麻生太郎副総理が、憲法改正を巡る講演で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と発言して物議をかもしたことがあったが、この政党にはもともとナチスに対する批判的視点や拒否感が欠落しているのだ。というのも、戦前、大日本帝国はヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリアという独裁主義国家と三国同盟を結んで、アメリカやイギリスなどの民主主義国家と戦争を繰り広げていたのだ。そして、安倍首相の祖父である岸信介元首相をはじめ、そのナチスドイツと日本が結びついていた時代に政権の内部にいたり官僚だった人間たちが参加してつくったのが自由民主党なのである。

 そういう意味では、敗戦と占領によってアメリカに対して恭順の意を示しているだけで、この政党の底流に流れている考え方はアメリカやイギリスなどの連合国的価値観よりも、ドイツ、イタリアなどの枢軸国的価値観に近い(とくに、安倍首相の出身派閥である清和会はその傾向が強い)。

 そして、そのDNAは安倍晋三首相や菅義偉官房長官、麻生太郎副総理、そして、高市早苗総務相や稲田朋美政調会長にも受け継がれ、ネトウヨ的な大衆の熱狂とあいまって再強化されている。今回、高市早苗や稲田朋美がなんの警戒感ももたずネオナチと接近したのも、こうした流れの延長線上に起きたことなのだ。若い世代は天皇制信仰が薄い分、古い世代よりももっとナチスとの親和性が高いといっていいだろう。

 実際、今回、高市や稲田とツーショットにいおさまっていたネオナチ団体は過去にもっとディープな形で自民党と関わりがあったこともわかっている。

 00年の衆院選の際、全国で日本共産党を攻撃するビラが大量に撒かれたことがあったのだがこのビラは、同年5月に雷韻出版という会社から出版された『誰も知らない日本共産党のホンネ』という本の“宣伝ビラ”だった。00年6月21日の『赤旗』は自民党広報本部長の名で全国の支部にあてた「通達文書」をすっぱ抜き、自民党本部がこの本を大量に買い取り、選挙に活用するよう全国に通知していたと報じている。

 ようするに選挙違反にならないよう、自民党が本の宣伝の体裁をとって共産党攻撃を仕掛けていたわけだが問題はその本の出版元だ。先述したようにこの出版元は雷韻出版という会社だが、同社の当時の代表と今回のネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」の代表が同一人物だったのである。これは偶然の一致ではないだろう。

 ネットで安倍政権=自民党をナチスになぞらえると、返ってくるのは大抵「ブサヨの妄想」という嘲笑だ。筆者も妄想であってほしいと思う。だが、こういう事実を見せつけられると「こいつらもしかしたらマジなんじゃないか」という恐怖がこみ上げてくるのである。
(エンジョウトオル)