世界的な児童文学「ムーミン」シリーズを生み出したフィンランドの画家トーベ・ヤンソン(1914~2001)が生誕100周年を迎えた。個性豊かな仲間の友情と家族愛に満ちた世界は母国だけでなく、日本でも大人気だ。第2次世界大戦のさなかに誕生したムーミンには、ヤンソンが経験した戦争の暗い記憶と、平和への願いが込められているという。

■最初の2作、戦争の暗い影

 ヤンソンの誕生日の8月9日、生誕100年を記念し、子供時代を過ごした首都ヘルシンキ東部カタヤノッカ地区の小さな公園が「トーベ・ヤンソン公園」に改称された。公園には、ムーミンも登場し、子どもたちは大喜びだった。

 ムーミンシリーズはフィンランドの子供に広く親しまれてきた。公園前でギャラリーを開く建築家ヘンドリック・ドルーバさん(36)は「少し怖くて不思議な雰囲気が好きで、子供の頃によく読みました。哲学的な意味が重ねられていて何歳になっても読めるのがいい」。近くに住む元雑誌記者のアスタ・ヘイケルさん(85)は1950年代半ばにヤンソン本人に取材した経験がある。「クールで知的な人でした。彼女は何を恐れるべきか知らない子供たちに、平和の大切さを伝えようとしたのではないでしょうか」と話した。

 ヤンソンは1914年、ヘルシンキで彫刻家の父ビクトルとスウェーデン人でグラフィックデザイナーの母シグネという芸術一家に生まれた。

 ヤンソンを世界的に有名にしたムーミンシリーズの1作目「小さなトロールと大きな洪水」が出版されたのは第2次世界大戦直後の45年。だがヤンソンが物語を書き始めたのは、39年の開戦の年だ。国境を接する旧ソ連の侵攻でフィンランドが「冬戦争」(39~40年)に突入した年でもある。旧ソ連との「継続戦争」(41~44年)でもヘルシンキの街は空爆され、人々は食糧難にも苦しんだ。

 「シリーズ最初の2作は戦争の暗い影を強く感じさせます」。絵画史研究家で評伝「ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン」(河出書房新社から9月下旬発売予定)の著者トゥーラ・カルヤライネンさん(72)はそう分析する。

 1作目で主人公のムーミントロールとムーミンママは、旅の中で行方知れずのムーミンパパを捜す。戦争中、多くの家庭で父親が出征し、家族と離ればなれになったことを思わせる。

 46年出版の2作目はムーミン谷に落ちてくる巨大彗星(すいせい)がテーマだ。生前のヤンソンが明言した資料はないが、カルヤライネンさんは「真っ赤に燃える彗星が地球に衝突する様は広島・長崎の原爆と重なる」とみる。

 戦争は、ヤンソンの家族や親しい友を引き裂きもした。6歳下の弟ペルウロフは徴兵され、当時の恋人も激戦地の前線へ送られた。失意に加え、家族や恋人を失う不安や緊張で一時は絵が描けなくなるなど、うつ状態に陥ったという。「ムーミンたちは恐怖や危険を乗り越え、最後はいつも家族と平穏な世界に戻る。ヤンソンは厳しい戦争の現実の中で、自分自身の心の安らぎを求めて、ムーミンを生み出したのではないか」とカルヤライネンさんはみている。

 ムーミンはいつ誕生したのだろう。

 幼い頃から絵を描くのが好きだったヤンソンは、母シグネが挿絵を描いていた左翼系の政治風刺雑誌「ガルム」に、15歳の若さで挿絵や風刺画を描き始めた。ガルム誌でヤンソンは反戦、反ファシズム、そして平和のメッセージを一貫して訴えた。

 ムーミンの原型とされる「スノーク」は43年以降にガルム誌に登場する。スノークはのちのムーミンに比べ、不機嫌で不安そうな表情が多い。ヤンソン作品の翻訳や研究を続ける聖心女子大学哲学科の冨原真弓教授(60)は「スノークの絵を通じ、自由や個人を抑圧するものを批判しようとしたのでしょう」と語る。

 ムーミンの著作権管理会社の会長などを務めるヤンソンのめいソフィアさん(52)によると、ヤンソンが生前、戦争について多くを語ることはなかった。だが、「言葉で語らずとも、非暴力で他者と調和し共生するムーミンの世界観に、戦争はもう嫌だという思いがはっきりと表れている」と話した。(ヘルシンキ=渡辺志帆

■大人の女性に大人気

 最初のアニメ放送から40年以上たった日本ではここ数年、「大人向け」のムーミンショップが相次いで開店。母国フィンランドに匹敵する人気だ。

 今年4月に東京都足立区のルミネ北千住店内にオープンしたムーミンの公式ショップ。20~40代の女性を中心に連日、買い物客が詰めかける。ポーチを買いに来た会社員中村多賀子さん(48)は「アニメの懐かしさもあるけど、大人にも合うデザインがステキですね」と笑みをみせた。運営会社によると、2012年以降、都内や名古屋に開店し、先月28日には大阪・梅田に6店目を出店した。

 インターネット上で約2千点の商品を販売する「ドリーム・ぽけっと」でも、アニメ版より渋めに描かれた原画の商品が人気を集め、約4年前から売り上げが増加。今年も昨年比で1・5倍の売れ行きという。

 売り上げの約7割を占めるのは、とげのある発言が多いちびのミイの商品。同社商品企画部の大野あすかさん(38)は「会社などで本音が言えず、うっぷんがたまった女性にとって、憧れの存在なのかも」と人気の秘密を分析する。

 フィンランドでムーミン公式サイトを運営する会社などが今年から募集しているファンクラブは、約1万人の会員のうち、フィンランド人とほぼ同じ半数近くを日本人が占める。距離が近いスウェーデンや英国、ドイツなどを抑える人気ぶりで、来年2月にはフィンランドで制作された長編アニメ映画の上映も決定。テーマパーク建設計画も持ち上がっている。

 今春から1年かけて全国10カ所以上を巡回しているムーミン展も、予想を上回る盛況ぶり。既に終了した東京の会場では女性を中心に約13万5千人が来場。ほぼ同期間で開催された09年の時に比べて2・5倍以上の人が訪れた。

 担当する東映の今成善仁さん(39)は「大人を意識したデザイン性の高さに加え、原作者の世界観や哲学性がアニメを見ていない人も引きつけたのではないか」と話している。(石原孝)