これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

核兵器の開発と現状 (その1)

2024-06-01 12:20:07 | 原爆
【はじめに】
 今回と次回は、核兵器の恐ろしい現状について書きます。「憲法9条の遵守と核兵器反対」を呪文の様に毎日唱えておけば、「平和に暮らせる」と考えている方が日本には沢山おられます。 然し、爆心から半径『100km』の生物を皆殺しに出来る核爆弾が製造出来、高さ『500m』の津波を発生させる事が出来る核魚雷の製造技術も確立されていますよ!

 本稿を書いていて、「人間は何と愚かなのか!」とツクヅク思いました。 人類は『霊長類』に分類されていますが、おこがましいです! 『阿呆類』か『浅短(せんたん)類』がお似合いの様に思えます。

・・・ 私の核兵器に関連する投稿 ・・・
① 核兵器保有国 (その2) :投稿日;2024年5月18日
② 核兵器保有国 (その1) :投稿日;2024年5月11日
③ 広島の原爆と父      :投稿日;2018年7月21日

【広島と長崎に使用された原爆】
 北マリアナ諸島に有るテニアン島を飛び立った『B-29爆撃機』が、およそ2,500kmも離れた広島と長崎に原爆を投下しました。

 広島と長崎で民間人が沢山亡くなられましたが、現在は凄まじい威力の核爆弾が多量に蓄積されており、アメリカ、ロシア及び中国が核戦争したらトンデモナイ事になってしまいます。

 ソビエト連邦が1961年に実験した『ツァーリ・ボンバ』は、爆発威力を設計値の『1/2』に減らして爆発させましたが、爆心から『半径100km』の人間が『三度の火傷』を負うと言う実験結果になりました。『三度の火傷』になると、速やかに救急救命室に運んで手術しないと助かりません。 広島の惨状から現在の核戦争を想像するのは誤りです!原爆の威力が桁違いに大きいのです!

★ 爆撃機 :B-29 ・・・ガソリンエンジン駆動のプロペラ機で航続距離≒6,300km程しか有りませんでした。爆弾搭載量≒4,500kgで、原爆をヤット1発積める能力しか無かったのです。
★ リトルボーイ :ウラン爆弾  ・・・広島、威力≒15kt
★ ファットマン :プルトニュウム爆弾 ・・・長崎、威力≒20kt

★ リトルボーイ :ウラン≒60kg、全体質量≒4,400kg
★ ファットマン :プルトニュウム合金≒6.2kg、全体質量≒4,672kg

(御参考 :広島と長崎で亡くなった方 )
 1945年末までに原爆で亡くなった人の数は、以下の通りです。

★ 広島≒14万人 ・・・広島の原爆死没者名簿には『333,907人』の名前が記載されています。
★ 長崎≒7.4万人 ・・・長崎の原爆死没者名簿には『195,607人』の名前が記載されています。

(余談 :父の被爆) 私の父は、広島で被爆しました。 その悲惨な状況は次のブログに書きました。
     投稿日=2018年7月21日 『広島の原爆と父』

(余談 :私とB-29)  1953年に私の故郷・和歌山県龍神村は豪雨で→→殆どの橋が流され→→道は崩壊して→→『陸の孤島』になってしまいました。 アメリカ軍が『B-29』で、何回も飛来して、落下傘を付けた重い救援物資を沢山!沢山!落としてくれました。 B-29が低空飛行したので、その雄姿をハッキリ見る事が出来ました。

【現在の核兵器の恐怖】
 アメリカ、ロシア及び中国が保有する核兵器の威力と数は、これらの国が全面的な核戦争をしたら→→殆どの国民が亡くなって→→国土は放射性物質で汚染されてしまうと予想します。

 プーチン大統領は、「核兵器は恫喝の道具としては使用出来る」と考えています。 私は国連総会で、「核兵器で恫喝した人間は犯罪者で、国際司法裁判所(ICJ)に訴追出来る」と言う決議をすべきだと考えています。

(核兵器の使用する意味❶ :戦意の喪失)
 核爆弾は、兵隊と一緒に(戦場の近くにいる)民間人も殺す兵器です。アメリカが広島と長崎で核爆弾を使用したのは、「民間人を沢山殺したら日本はギブアップするかも?」と考えての事でした。日本軍は広島と長崎の惨状を見ても、ギブアップする考えは無かった様です。 昭和天皇が英断されて停戦しました。

 戦争で民間人を殺害する事は『ジュネーブ条約と第1及び第2追加議定書』で禁止されています。  『ジュネーブ条約』が出来たのは戦後の1949年です。日本は1953年にサインしましたが、アメリカは『第1及び第2追加議定書』にはサインしていません。 ロシア、中国、北朝鮮はサインしています。

 ロシアがウクライナで小威力の核爆弾を使用したら、ウクライナ人は降伏するでしょうか? 欧米諸国の支援が続く限り、ウクライナ人は一層必死になって戦うと私は予想します。欧米諸国は、今まで以上に武器/弾薬を送るでしょう! フランス等がウクライナに軍隊を派遣する可能性が有ります。

 核兵器を保有する国が、持たない国に核爆弾を投下したら→→日本の様に戦意を喪失して降伏すると単純に考えるのは誤りだと私は思います。

(核兵器の使用する意味❷ :戦争の抑止)
 第二次世界大戦後、アメリカとソビエト連邦は必死になって「核爆弾の開発」と「運搬手段の開発」に取り組みました。そして、沢山の核兵器を保有する様になりました。現時点で、アメリカとロシアが核戦争をしたら→→両国は壊滅的な損害を被り→→大都市の住民の大半は生き残れないと思います。

 核大国のアメリカ、ロシア、中国は直接戦争が出来なくなっていいます。大国間の直接戦争を防止する手段としては、核兵器は有意義です。

(余談 :キューバ危機) 1962年にソビエト連邦がキューバに核ミサイルを搬入しようとしました。ケネディ大統領は断固とした態度で、この問題に対処しました。 当時、米ソの核戦力の差は、圧倒的にアメリカの方が優位でした。フルシチョフ書記が折れて→→核ミサイルの搬入を諦めたので→→事なきを得ました。 その後、ソビエト連邦は一層核兵器の開発と蓄積に励む様になったのだと思います。

(核兵器の使用する意味❸ :局所的核攻撃)
 軽量小型で威力を調節出来る核爆弾が開発されました。 この核爆弾は、限定された目標を叩く事を想定して開発されたと言われていますが、ウクライナの様に核を持たず、核の傘を差し掛けてもらっていない国に使用したら→→全面的な核戦争にはならないでしょう! 然し、核を持っていないNATO加盟国に、威力の小さい核を使用しても→→段々エスカレートして→→全面的核戦争に突入する可能性が高いと予想します。

 経済的に豊かな核兵器を保有しない国は、核兵器を持つ国と同盟して→→核の傘を差し掛けて貰う必要性が高まって来ている様に思えます。

(核兵器の使用する意味❹ :恫喝)
 プーチン大統領は、核兵器を持っていないウクライナに「核攻撃するぞ!」と頻りに恫喝しています。 「ロシアは国連の常任理事国ですから、世界の平和に貢献する義務が有る」と私は思っていますが、ウクライナに侵攻して、更に核兵器で恫喝するトンデモナイ国ですね!

 核兵器を恫喝の道具に使用する事を絶対に認めてはいけません。 ロシアがウクライナ戦争で勝利したら→→別の獲物を探して→→襲い掛かるでしょう! 日本に「北海道をよこせ! 然(さ)もなくば、核兵器を使用するぞ!」と威嚇してくる恐れが有ります。

【核爆弾の種類】
 ウラン爆弾を製造する為には『ウラン235』を90%以上に濃縮する必要が有ります。『プルトニュウム239』は天然には殆ど存在しませんが、原子炉でウランを燃やすと、生成します。 広島はウラン爆弾で長崎はプルトニュウム爆弾でしたが、この2種類の核爆弾は(製造コストが高いので)直ぐに製造され無くなりました。

 ウラン爆弾とプルトニュウム爆弾の大型化には限界があり、広島と長崎で使用された原爆の『10倍』が最大だと言われています。戦後直ぐにアメリカとソビエト連邦は大威力化が可能な水素爆弾(核融合爆弾)の開発競争に突入しました。

 1952年に、アメリカが液体の重水素と三重水素を用いた水素爆弾の実験をしました。 出力が『10.4Mt(=10,400kt)』も有りましたが、爆弾の質量が65トンも有り、実用化は出来ませんでした。

 1953年、ソビエト連邦が重水素を固体の『重水素化リチウム』にした画期的な水素爆弾の実験に成功しました。 アメリカもこの方式に切り替えて開発を続けました。

 核爆発で中性子が発生しますが、普通の核爆弾の場合は中性子の発生を少なくする工夫が施されています。 中性子が多量に人間に振り注ぐと死亡します。 中性子は金属やコンクリートも透過するので、中性子を多量に発生する核爆弾(中性子爆弾)を爆発させたら建物の中に隠れている人間も殺戮出来ます。 アメリカとソビエト連邦は、『中性子爆弾』の開発をしました。

 中性子爆弾には放射性物質の『トリチウム(三重水素)』が必要ですが、トリチウムの半減期は『12.3年』と短い為に、保管している中性子爆弾にトリチウムの補充又は交換が必要になります。 結局、この問題の為に米ロ共に中性子爆弾は配備していないのだと思います。

★ ウラン爆弾     :広島に投下された。 TNT火薬15キロトン ウランを90%以上に濃縮
★ プルトニュウム爆弾 :長崎に投下された。 TNT火薬20キロトン
★ 水素爆弾      :核融合爆弾 ・・・1952年にアメリカが実験した。
★ 乾式水素爆 :1953年にソビエト連邦が実験に成功しました。
★ 中性子爆弾 :小威力の人間だけを殺す爆弾を開発する狙いで、アメリカとソビエト連邦は中性子爆弾の実験をしましたが、配備はされませんでした。

(豆知識 :水素の同位体) 自然界の水素(H)には、普通の水素(軽水素)、重水素及び放射性物質の三重水素が存在します。 重水素は水を電気分解する等の方法で製造されています。

★ 軽水素 :自然界に存在する水素の『99%以上』は軽水素です。
★ 重水素
★ 三重水素(トリチウム) :自然界に微量に存在する。 ・・・放射性物質で半減期≒12.32年

【核爆弾の小型軽量化と大威力化→→小威力化】
 広島と長崎に投下された原爆は質量が約『4,500kg』も有りましたが、現在では『戦術核爆弾』に分類される小さな威力しか有りませんでした。アメリカとソビエト連邦は、安価に製造出来る乾式水素爆の技術を開発して→→小型軽量化と大威力化の開発を進めました。

 1961年、ソビエト連邦が超!超!大威力の核爆弾『ツァーリ・ボンバ』を実験しました。ツァーリ・ボンバの設計値の威力は『100Mt』でしたが、余りにも大きいので『50Mt』にして実験しました。『50Mt』は広島に投下された原爆の『3,300倍』もの威力です。実験に使用されたツァーリ・ボンバは、質量が27トン、直径が2m、長さが8mでした。 (爆撃機から投下して爆発させました。)

 アメリカは小型軽量で、使用前に威力を調節出来る核原爆(B61とB83)を開発しました。「ロシアが、このタイプの核爆弾を保有しているか?」は分かりませんが、広島の3倍程度の威力を持つ小型の原爆は持っている様です。

 『B61』の質量は、広島で使用された原爆の『7%』程しか有りませんが、威力は『0.02~23倍』です。小型軽量なので、F-16やB-35A戦闘機に搭載可能です。

・・・ アメリカの威力調節可能原爆 ・・・
★ B61シリーズ :配備開始は1966年、威力≒0.3kt~340kt、質量≒324kg ・・・戦闘機に搭載
★ B83 :配備開始は1983年、威力≒80kt~1,200kt、質量≒1,089kg  ・・・爆撃機に搭載

【戦略と戦術核兵器】
 1972年に米ソ間で締結された『核軍縮条約(ABM条約)』では、射程距離が『500km以上』の核弾道ミサイルを『戦略核兵器』と定義していました。 (ABM条約は2002年に破棄されました。)

 最近マスコミが、(時々ですが)戦略核兵器と戦術核兵器と言う言葉を使用しますが、定義は曖昧です。 私の理解している用語の定義を下に書いておきます。

★ 戦略核兵器 :アメリカ、ロシア、中国が直接戦争をする場合に用いる事を想定して製造された大威力の核兵器。
★ 戦術核兵器 :局地戦争で用いる事を想定した、小威力の核兵器。

【ウランの濃縮】
 ウランは海水中にも微量に存在していますが、まだ海水中のウランは利用されていません。ウランはマントルには存在し無いと考えられています。 地殻のウランが局在する場所(鉱山)から掘り出した鉱石を粉砕して→→化学処理を繰り返し→→二酸化ウラン(UO2)→→四弗化ウラン(UF4)→→六弗化ウラン(UF6)にします。

 原子炉には種々の方式が有りますが、『黒鉛炉』と『重水炉』は天然ウランを燃料として使用します。 日本の原子炉は『軽水炉』ですが、軽水炉では六弗化ウランを使用しています。

 下に示す様に、用途によってウラン235の濃度を高める必要が有ります。 六弗化ウランの沸点が『56.5 ℃』と比較的低温のため、気体の状態の六弗化ウランを遠心分離機に入れてウラン235の濃度を高めています。 ウランの濃縮には、超高速で多数の遠心分離機を動かす必要が有り、多量の電力が必要になります。

 原子炉の燃料棒は、10年間隔で交換されますが、原子力空母や原子力潜水艦のウラン燃料は『30年間』使用出来る量を、最初から原子炉の中に入れています。 燃料が切れたら→→艦も寿命になったと考えるのです。(換言すると、原子力空母や原子力潜水艦ではウラン燃料の補給/交換は行われません。)

 ウラン爆弾では、ウラン235の濃度を『90%以上』に高める必要が有りますが、膨大なコストが掛かるので、ウラン爆弾は殆ど製造されませんでした。

・・・ 天然ウラン ・・・
★ ウラン238 :自然界の濃度:99.2742 % (半減期≒44.7億年)
★ ウラン235 :自然界の濃度: 0.7204% (半減期≒7.07億年)
★ ウラン234 :自然界の濃度:  0.0054% (半減期≒25万年)
★ その他のウランの同位体 :自然界に存在するのは極!極!微量

・・・ 用途によるウラン235の濃縮 ・・・
❶ 原子力発電所用 :ウラン235の濃度;3%~5% ・・・軽水炉の場合
❷ 原子力空母や潜水艦用:ウラン235の濃度;93%~97%
❸ ウラン爆弾用 :ウラン235の濃度;最低20%、通常は90%以上

核兵器保有国 (その2)

2024-05-18 06:09:01 | 原爆
【はじめに】
 先週は核兵器の拡散状況について書きましたが、今回は核兵器保有国の開発の歴史/経緯について書きます。

 核保有国の間で現在も紛争しているのは、『中国vsインド』、『インドvsパキスタン』です。イランとイスラエルは対立しているので、イランが核を保有すると、危うい事にならないか危惧しています。

『中国の核開発』
 毛沢東主席(1893年~1976年)の夢だった核爆弾は生前に実現しましたが、もう一つの夢だった原子力発電所は没後15年して(1991年に)ヤット完成しました。

 2023年4月時点で、中国は原子力発電所を『54基』完成させており、『24基』も建設中です。毎年、膨大な量のプルトニュウムを生産して、蓄積しています。 2023年1月時点の核爆弾の保有数は『410発』でしたが、中国が本気になって核爆弾の製造に取り組めば、アット言う間に米ロと同じ数の核爆弾を保有する事になりそうです。

 中国は核爆弾の運搬手段を自力で開発してきましたが、ステルス機の開発などでは、アメリカの技術を盗んだと言われています。 私の見立てでは、まだまだ改良の余地が有る様です。 現在の水中の音を拾うマイクロフォン(ソーナー)の感度は想像を絶する値ですが、中国の原子力潜水艦は「太鼓を叩きながら走っている様だ!」と揶揄されるほど、大きな音を出す様です。 水中航行しても、自衛隊や米軍は簡単に居場所を特定出来ます。

 中国は、ウクライナ戦争でロシアに協力する見返りに、「潜水艦の低騒音化技術」などの軍事機密情報を得る可能性が有ります。

(注記 :空母) 中国は空母を『3艦』保有していますが、原子力空母は持っていません。

・・・ 中国の核兵器に関する歴史 ・・・
★ ウラン鉱床の発見 :1955年
★ 第1回目の核実験 :1964年
★ 水爆実験   :1967年
★ 戦略爆撃機 :初飛行=1968年 ・・・H-6(轟炸六型)
★ 大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験  :1971年
★ 『JL-1』潜水艦発射弾道ミサイル :1980年製造開始
★ 原子力潜水艦 :『091型』が1974年に就役 ・・・対艦ミサイルを搭載している。
★ 原子力潜水艦 :『092型』が1983年に就役 ・・・潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を搭載している。
★ 中国が独自に開発した原子炉   :1991年に運転開始
★ フランスから2基の原子炉導入  :1993年と94年に運転開始 ・・・90万kW/基
★ ステルス爆撃機         :初飛行=2011年 ・・・J-20(殲-20)
★ 『JL-2』潜水艦発射弾道ミサイル :2015年配備

【北朝鮮の核開発】
 北朝鮮には1986年に稼働した小型の原発(5MW=5,000kW)が有ります。プルトニュウムを『5.5kg~8.3kg/年』得る事が出来る様です。プルトニュウム爆弾を1個作る為には『5kg』必要なので、年間原爆を『1個』製造出来る事になります。2023年時点での原爆保有数は『30個』と推測されています。

 北朝鮮は、50MWと200MWの原発を建設していましたが、両方とも中断しました。 50MWの原発はボロボロの状態になっており、建設再開は難しい様です。200MWの原発の建設再開は可能な状態の様ですが、現時点で完成したと言う情報は有りません。 万一、200MWの原発が稼働したら、毎年『50個』ほどプルトニュウム爆弾を製造出来る事になります。

 北朝鮮は2016年に水素爆弾の実験に成功したと発表しました。 これが真実だったとすると、広島に投下された原爆の『100倍以上』の威力が有る爆弾の製造が可能になった事になります。

 2023年12月に北朝鮮が発射した弾道ミサイルの射程は『15,000km以上』だったと、防衛省の高官が発表しました。平壌とニューヨークの距離は『11,000km』ほどですから、北朝鮮はアメリカ全土を狙える様になったのです。

【インドとパキスタンの核兵器】
 インドとパキスタンはイギリスの植民地でした。 1947年にインド(ヒンドゥー教の国)とパキスタン(イスラム教の国)は独立しました。

 インドとパキスタンの北部山岳地帯の『カシミール』は、両国が独立した1947年の時点ではヒンドゥー教徒の藩王が治めていて、住民はイスラム教徒が大半でした。 パキスタンの東の飛び地は、1971年に独立してバングラデシュ人民共和国になりました。

 カシミール地方の領有権問題で、第一次印パ戦争、第二次印パ戦争が発生しました。 第三次印パ戦争は東パキスタン(現在のバングラデシュ)で発生していた独立運動を助ける為に、インド軍が東パキスタンに侵攻したのです。 3回の印パ戦争は、いずれもインドの勝利で終わりました。

 1998年にインドとパキスタンが核兵器を所有していると発表しました。 2023年時点で、インドが『164発』、パキスタンは『170発』の核爆弾を保有している様です。

 近年、インドがパキスタンに対して強硬な態度に出ている様に見受けられます。カシミールでの小競り合いは収まりませんから、「核戦争になる恐れが有るのでは?」と危惧しています。

・・・ インドとパキスタンの紛争と核開発 ・・・
★ インド&パキスタンの独立 :1947年
★ 第一次印パ戦争 :1947-8年 ・・・インドが勝利
★ 第二次印パ戦争 :1965年 ・・・インドが勝利
★ 第三次印パ戦争 :1971年 ・・・インドが東パキスタンの独立を支援する為に始めた戦争→→インドが勝利したので東パキスタンは→→バングラデシュとして独立しました。
★ インドの核実験 :1974年
★ インド&パキスタンが核実験 :1998年 →→両国が核兵器の保有を宣言しました。
★ 第四次印パ戦争 :1999年にカシミールのカルギリ地域で、両国軍隊が直接衝突しました。

【インドと中国の国境紛争】
 チベットは独立した国でしたが、1724年に清朝が侵攻して併合しました。清朝が滅亡した後、チベット人達は独立を目指して蒋介石の中華民国と戦いました。毛沢東の中華人民共和国(中国)になって、1951年にチベットを併合しました。 (以前、「チベットの地下資源が豊富なので、中国が併合した」と言う記事を読みましたが、それは誤りです。地下資源を発見したのは、併合の後だったと思います。)

 中国がチベットを併合したので、インドと直接国境を接する事になりました。国境線の長さは『3,500km』も有ります。中印間の国境は未だに確定していません。1990年以降は、銃や大砲を使用した抗争は発生していませんが、棒や素手による戦闘(?)は発生しています。 原始人の様に殴り合いをして、時々死者が出ている様です。

 1993年に『LAC管理協定』を締結して、仮の国境線を認め合いましたが、殴り合いによる国境紛争は続いています。 2010年にインドが「核弾道ミサイルを中国とパキスタンに対して配備する」と発表しました。核戦争にならない事を願うばかりです。

★ 中国のチベット併合 :1951年
★ チベット動乱 :1959年 →→ダライ・ラマ14世がインドに亡命
★ 中印国境紛争 :1962年 ・・・中国が勝利
★ LAC管理協定を締結 :1993年 ・・・実行支配している国境線(仮の国境線)に関する協定
★ 2010年、インドが、「核爆弾を搭載できる弾道ミサイルを中国とパキスタンに対して配備する」と発表しました。

【リビアの大量破壊兵器】
 リビアは20世紀の初めにイタリアの植民地になりました。第二次世界大戦でイタリアが敗戦したので、リビアはイギリスとフランスの共同統治国になりました。 1951年に独立して『リビア連合王国』となり→→『リビア王国』になりました。

 1961年に革命が起こり→→『リビア・アラブ共和国』た改名し→→カダフィ大佐が支配する様になり→→ソビエト連邦の援助を受ける様になりました。(然し、カダフィ大佐は共産主義は嫌いでした。) 1986年にアメリカが、カダフィ大佐を暗殺する目的で空爆しました。

 カダフィ大佐は、口では大量破壊兵器の開発を否定していましたが、化学兵器の開発には成功していた様です。生物兵器の開発は、あまり進んでいなかった様です。

 1975年頃からソビエト連邦の支援を受けて、核兵器の開発を始めましたが、結局、核爆弾を製造する事は出来ませんでした。 2003年にカダフィ大佐は大量破壊兵器を破棄しました。

 2011年にリビアで内戦が勃発して→→カダフィ大佐は殺害されました。

★★★ リビアの大量破壊兵器については『木村修三著:リビアの大量破壊兵器完全廃棄とその背景』が参考になります。

【南アフリカの核兵器開発の経緯】
 南アフリカは経済的にはアフリカ大陸の中では豊かな国の一つですが、非白人は貧しく、殺人事件が多発している等、問題の多いい国です。 2020年の日本の殺人は『0.25人/10万人』でしたが、南アフリカは日本の『136倍』も多いい、『33.96人/10万人』でした。

 第二次世界大戦の末期(1944年)に南アフリカでウラン鉱石が発見されました。当時はウランの需要は殆ど無かったので、南アフリカが多分産出量世界第1位だったと推測します。1950年にアメリカ、イギリス、カナダの3国がウラン鉱の開発に協力する事になりました。アメリカが小型の研究用原子炉を南アフリカに供与し、65年に臨界点に達しました。 南アフリカは鉱山で使用する火薬の代わりに、プルトニュウム爆弾(PNF)の開発を目論んでいた様です。 (結局、PNFの開発は断念しました。)

 南アフリカは、1948年から非人道的な『アパルトヘイト(人種隔離)』政策を続けていました。 アフリカの国だけで無く欧米諸国も、アパルトヘイトを問題視する様になって来たので→→他国から攻撃されない様に→→核爆弾の開発を始め→→82年に完成させました。

 93年に南アフリカは核兵器を廃棄すると宣言しました。この時、核爆弾を6個保有していました。 94年にアパルトヘイトを廃止ししました。

★ ウラン鉱石の発見 :1944年
★ アパルトヘイト法制定 :1948年
★ ウラン鉱の開発 :1950年 ・・・アメリカ、イギリス、カナダの3国
★ 研究用原子炉 :アメリカが南アフリカに研究用原子炉を供与→→1965年に臨界に達した。
★ 平和利用の核爆弾(PNE)の検討
★ 南アフリカを批判する国際世論が高まる :非人道的なアパルトヘイト政策に対する批判
★ 核爆弾を完成 :1982年
★ 核兵器の破棄を公表 :1993年 ・・・核爆弾を6個保有していました。
★ アパルトヘイトの廃止 :1994年

【御参考 :ウラン生産量と埋蔵量】
 御参考までに、近年のウラン生産量と埋蔵量を下に整理しました。生産量の世界第1位はカザフスタンで、埋蔵量の第1位はオーストラリアです。

 モンゴールは現時点ではウランを生産していませんが、埋蔵量は『144,600tU』も有ります。 埋蔵ウランを狙って、中国がモンゴールに侵攻して、併合するのでは?と心配しています。

・・・ ウラン生産量と埋蔵量 ・・・ 出典:グローバルノート 生産量は2022年、埋蔵量は21年の値
★ カザフスタン  :生産≒21,227tU、埋蔵≒815,200tU
★ カナダ     :生産≒ 7,351tU、 埋蔵≒588,500tU
★ ナミビア    :生産≒ 5,613tU、埋蔵≒470,100tU
★ オーストラリア :生産≒ 4,087tU、埋蔵≒1,684,100tU
★ ウズベキスタン :生産≒ 3,300tU、埋蔵≒131,300tU
★ ロシア     :生産≒ 2,508tU、埋蔵≒480,900tU
★ ニジェール   :生産≒ 2,020tU、埋蔵≒311,100tU
★ 中国       :生産≒1,700tU、 埋蔵≒223,900tU
★ インド     :生産≒ 600tU、埋蔵≒?tU
★ 南アフリカ   :生産≒ 200tU、埋蔵≒320,900tU
★ ウクライナ   :生産≒ 100tU、埋蔵≒107,200tU
★ アメリカ    :生産≒ 75tU、 埋蔵≒59,400tU
★ パキスタン  :生産≒ 45tU、 埋蔵≒?tU
★ ブラジル   :生産≒ 43tU、 埋蔵≒276,800tU
★ イラン    :生産≒ 20tU、 埋蔵≒?tU
★ モンゴール   :生産≒?tU、 埋蔵≒144,600tU
★ ボツワナ  :生産≒?tU、 埋蔵≒87,200tU
★ タンザニア  :生産≒?tU、 埋蔵≒58,200tU
★ ヨルダン  :生産≒?tU、 埋蔵≒52,500tU
● 世界合計   :生産≒48,888tU、埋蔵≒6,078,500tU

単位の『tU』はトンウラン ・・・ウラン鉱石では無く、精製されたウランの質量の事です。

核兵器保有国 (その1)

2024-05-11 10:15:13 | 原爆
【はじめに】
 左派系の人達や日弁連は、「憲法9条の遵守と核兵器反対」を呪文の様に毎日唱えておけば、日本は二度と核攻撃されないと考えている様です。

 核兵器を所有する覇権主義国が現在でも存在しています。ウクライナ戦争からロシアは、隙あらば身勝手な理由をでっち上げて核兵器を持たない国に侵攻すると考えるべきです。北海道には米軍の通信所が有るだけです。アメリカが参戦しないと判断したら、ロシア軍は北海道に攻めてくると考えるべきです。

 今回と次回は、核兵器が拡散してしまった恐ろしい世界の現状について書きます。

【大量破壊兵器】
 オウム真理教は、化学兵器の一種『サリン』と『VXガス』の製造に成功し、生物兵器の『ボツリヌス菌』と『炭疽菌』を開発しようとしていました。オウム真理教は、貧しい小国やイスラム国(ISIL)の様なテロ集団でも、化学兵器と生物兵器を製造出来る事を教えてくれました。 (金正男氏はVXガスを顔に塗られて暗殺されました。従って、北朝鮮はVXガスを製造出来るのです。)

 CIA、MI6、モサドでも化学兵器や生物兵器の製造場所や保管場所を特定するのは至難の業だと思います。 万一使用された場合の対策/方法を準備しておく必要が有ります。

・・・ 大量破壊兵器 ・・・
❶ 生物兵器
❷ 化学兵器 :第一次世界大戦で多量に使用されました。
❸ 核兵器
❹ 放射能兵器

・・・ 大量破壊兵器等に関する条約 ・・・
① ジュネーブ条約 :1886年に発効
② 生物兵器禁止条約(BWC) :1975年に発効 ・・・条約に違反していないか?を検証する方法については全く規定が無い! 有名無実な条約です。
③ 化学兵器禁止条約(CWC) :1997年に発効

◎ 化学兵器禁止機関(OPCW) :1997年にオランダのハーグに設置されました。 化学兵器の査察を行うのが使命です。

【核兵器に関する条約】
 20世紀に入って「戦争で一般市民を殺戮してはいけない」と言う考え方が広まって来ていたと思われますが、核兵器は「一般市民を多量に殺して、相手の国が戦意を喪失する事を狙う兵器」です。

 第二次世界大戦後に、アメリカとソビエト連邦が競争して多量の核兵器を製造しました。 ほぼ全人類を殺せる数の核兵器を備蓄する状態になったので、製造競争を続ける意味が無くなりました。

 ウクライナは核兵器をロシアに返しましたが、ロシアはウクライナ戦争で「核兵器を使用するぞ!」と恫喝しています。 核兵器を保有する国が、持たない国で使用する事と、核兵器の使用を仄めかして脅迫する事を禁止する条約が必要だと私は考えています。プーチン大統領やメドヴェージェフ氏を国際司法裁判所で罰せられる条約を作るべきです。

 プルトニュウム爆弾に使用されるプルトニュウムは、原発を運転すると得られます。 原発の年間発電量からプルトニュウムの生産量が計算出来ます。国際原子力機関(IAEA)がプルトニュウムの生産量と保管量をチェックして、「プルトニュウム爆弾を製造していないか?」監視しています。

① 核兵器不拡散条約(NPT) :1970年に発効 ・・・国連の常任理事国(5ヶ国)以外には核兵器の保有を認めないと言う条約。日本も署名しています。
② 核兵器禁止条約(TPNW) :2021年に発効 ・・・日本は不参加
③ 包括的核実験禁止条約(CTBT) :現在まだ未発効 ・・・日本は1997年に批准

◎ 国際原子力機関(IAEA) :1957年に設立

【核兵器保有国】
 国連の常任理事国(5ヶ国)だけが、核兵器不拡散条約(NPT)で核兵器の保有が認められています。 NPTで認められていなくても、核兵器を開発した国が4ヶ国も有ります。

 原子炉を稼働させればプルトニュウムを手に入れる事が可能です。原子力委員会のデータによると、2018年時点で原発を保有する国は『31ヶ国』で、原発を計画中の国が『9ヶ国』有ります。 これ以上、核保有国が増えない事を私は願っています。

以下の記事の出典 :世界平和拠点ひろしま 『世界の核兵器保有数(2023年1月時点)』
・・・ 核兵器不拡散条約(NPT)で認めている核兵器保有国 ・・・
❶ アメリカ :配備=1,770、貯蔵=1,938 ・・・水素爆弾を所有している。
❷ ロシア  :配備=1,674、貯蔵=2,815 ・・・水素爆弾を所有している。
❸ 中国   :配備=0、貯蔵=410    ・・・水素爆弾を所有している。
❹ イギリス :配備=120、貯蔵=105 ・・・水素爆弾を所有している。
❺ フランス :配備=280、貯蔵=10 ・・・水素爆弾を所有している。

・・・ NPTで認められていない核兵器保有国 ・・・
❻ 北朝鮮 :配備=0、貯蔵=30 ・・・2016年に水素爆弾の実験に成功したと発表。
❼ インド  :配備=0、貯蔵=164
❽ パキスタン :配備=0、貯蔵=170
❾ イスラエル :配備=0、貯蔵=90
● 世界合計 :配備=3,844、貯蔵=5,732

・・・ 核兵器開発中の国 ・・・
❿ イラン :ロシアの援助で100万kWの原子力発電所を建設し、2011年から運転しています。 更に、原発建設計画を進めています。

・・・ 核兵器を開発しているのでは?と疑われている国 ・・・
⓫ シリア :1991年に中国が研究用小型原子炉(30kW)を提供しましたが、イスラエルが破壊しました。 現在も原子力発電所は持っていません。
⓬ ミャンマー :原子力発電所は持っていません。

【核兵器を廃棄した国】
 アフリカ大陸で唯一の核保有国だった南アフリカは1993年に廃棄しました。 その経緯は後日書きます。

 下記の②~④の3ヶ国は、ソビエト連邦の一部で、ソビエトの核兵器が配備されていました。 1991年にソビエト連邦が崩壊した時に独立しました。 その後、3ヶ国に有った核兵器はロシアに返却されました。

 昨年(2023年)、ロシアはベラルーシに核兵器を持ち込みました。 ベラルーシには核兵器を使用する権限は与えられていない様です。ロシアの狙いは理解出来ませんが、「ベラルーシに核兵器を保管して置けば、多分ヨーロッパ諸国を脅せる」と思っているのでしょう!?

・・・ 核兵器を廃棄した国 ・・・
① 南アフリカ
② ウクライナ
③ ベラルーシ
④ カザフスタン

【核シェアリング】
 「西ドイツに何時からアメリカが核兵器を持ち込んだのか?」は分かりませんが、核兵器を搭載出来る爆撃機をアメリカは1950年頃に西ドイツに配備していた様です。

 ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギーに、アメリカの核爆弾・『B61-3』と『B61-4』が配備されており、数は各国・15発です。 いざと言う時は、各国が保有する戦闘機『F-16』か爆撃機『PA-200』に搭載されます。 ・・・これが『核シェアリング』です。

 『B61-3』と『B61-4』は威力を調節する機構が付いています。『B61-3』は0.3~1.7kt、『B61-4』は0.3~5ktの範囲で調節出来ます。 最近、アメリカ製ステルス戦闘機『F-35A』に『B61-12』が搭載可能になったと報じられました。『B61-12』の出力は0.3~50ktです。ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギーは『F-35A』を所有していますから、近い将来『B61-12』に置き換えると予想しています。 (因みに、広島に投下された原爆の威力は『15kt』でした。)

 イタリアにアメリカ軍のアヴィアーノ空軍基地が有り、そこにも核爆弾が20発保管されており、この核爆弾の使用はアメリカ軍が行います。

 トルコにアメリカ軍のインジルリク空軍基地があり、そこに核爆弾が保管されています。 いざという時には、トルコはアメリカ軍に核攻撃してもらう事になります。

・・・ アメリカの核を共有する国 ・・・
❶ ドイツ   :15発
❷ イタリア  :15発
❸ オランダ  :15発
❹ ベルギー  :15発
❺ トルコ   :20発

・・・ 核シェアリングを止めた国 ・・・
① カナダ :~1984年まで核シェアリング
② ギリシャ :~2001年まで核シェアリング

広島の原爆と父

2018-07-21 09:20:59 | 原爆
 もうすぐ広島に原爆が投下された8月6日が来ますので、いままで家族以外に話したことの無い、私の父が広島で被爆した話しを書きます。
 広島に原爆が投下された時、父は広島に住んでいましたが、家族は福山市に疎開していました。父は被爆しましたが、奇跡的に助かり87才まで生きました。
 父はノモンハン事件、シンゴラ上陸作戦等々、戦争の話をよくしていましたが、広島の原爆にについて私に語ったのは2回だけでした。

【小学6年生の夏休み】
 私の父が被爆したことは、姉達から聞いていましたが、父は広島の原爆については一切話しませんでした。私が小学6年生の夏休みの夜、私だけを呼んで原爆の経験について話してくれました。(姉達には、死ぬまで話さなかった様です。)

 父から聞いた内容を長文の作文にして、学校に提出したのですが、何故かその作文は返してもらえませんでした。従って、私のおぼろげな記憶を頼りに、この記事は書きました。

【父は陸軍の軍人でした】
 私の父は旧姓”寒川(そうがわ)”で、船舶砲兵団司令部に勤務する少佐でした。原爆が投下された日は上官二人が東京に出張していたため、父が司令部の責任者だったそうです。
 『広島原爆戦災誌』によれば、船舶砲兵団司令部は『比治山』に有りました。父はそこで被爆したのだと思います。

【父が原爆について話したこと】
 高台の広場に兵隊を整列させ、父が台の上に立って朝の訓示をしていたそうです。父の背後、数百メートル(注記:1)の所で原爆が爆発し、父は十数メートルほど吹き飛ばされて、気絶していた様です。

 覚醒すると、多くの兵隊さんが焼け焦げて”呻いて”いました。生き残った兵隊さんは極少数だった様です。 父の背後に立っていた大きな木は、葉っぱが殆ど吹き飛ばされていました。この木が閃光を遮ってくれたので、父は助かったのです。

 焼け焦げた兵隊さんは、次々と息絶えていったそうですが、父は「何も出来なかった」と言っていました。 (注記:2)

 生き残った兵隊さん達を連れて、市内にリヤカーや大八車を調達しに出掛けると、夥しい人が亡くなっており、苦しそうに呻く人が沢山おられたそうです。

 それから何日も掛けて、兵隊さん達とリヤカーと大八車で遺体を運びました。余りにも多かったので、穴を掘るのは無理と考え、小さな谷の奥に運び、最後に土を被せた様です。二か所に埋めたと言っていました。

 遺体を運んでいた時、”黒い雨”が降ったとも言っていました。後に井伏鱒二の小説『黒い雨』を読んで、本当の話しだった事を知りました。

 注記:1) 父は爆心から数百メートルと言ってましたが、2kmが正しい様です。余りにも凄まじい爆発だったので、直ぐ近に落ちたと錯覚していたのだと思います。

 注記:2) 『広島原爆戦災誌』によると、『比治山』の船舶砲兵団司令部にいた500名の内、生き残ったのはわずか35名だった様です。

 {疑問} 『広島原爆戦災誌』の”ページ113”に、父達の活躍についての簡単な記述が有りますが、不思議な事に数日前に着任したばかりで、爆発時に不在だった主計大尉からのヒヤリングによるものです。何故、実際に遺体の処理に当たった(父を含めた)兵隊さんからヒヤリングしなかったのでしょうか? きっと、違った内容になっていたと思われます。

【終戦後の父】 
 父の残した記録では、1945年(昭和20年)12月1日まで、広島で残務整理をしていた様です。その後、福山市の家族のもとに帰りましたが、二か月ほど寝込んでいた様です。母は『原爆性白血病』だったと言っていましたが、真否の程は分かりません。

 1946年(昭和21年)の春先に、家族揃って和歌山県の山奥の貧しい父の実家に帰りました。

 開業医だった叔父が、『被爆者の無料検診』を受ける様に何度もアドバイスしましが、死ぬまで受診しませんでした。それでも84歳まで、元気に野良仕事をしていました。

  1952年に警察予備隊が出来ました。何回も入隊の誘いが有りましたが、毎回、丁重にお断りしていました。母・姉達・私も、都会に戻るために警察予備隊に入って欲しかったのですが。

【二回目に話したこと】
 1985年、「死ぬ前にもう一度広島に行ってみたい」といって、父が母を連れて出掛けました。何泊かの予定でしたが、二人とも疲れた様子で、その晩に帰って来てしまいました。

 次の日、「遺体を埋めた所は探し当てたが、二か所とも沢山住宅が建っていた。奥さん達に、この下に夥しい数の遺体を埋めましたとは言えなかった!」とだけ話しました。

 父は、埋めた場所に碑を建てるなどして、丁重に扱われていることを確認しに行ったのだと思います。自分の部下だった方も沢山眠っているわけですから。

 注記) 宅地造成で出て来た遺骨は、『原爆供養塔』に埋葬されているそうです。父が知ったら喜んだと思います!

【威力3,000倍の水爆】
 ロシアとアメリカは、広島の原爆より威力が3,000倍以上ある水爆を保有している様です。何と愚かなんでしょう!

 私は、「原爆や水爆を保有する国から、国連の安全保障理事会の”拒否権”を剥奪する世界的な運動」を提唱します。 剥奪出来るとは思いませんが、原爆と水爆を保有国が国連を支配する現実を問題視して欲しい!


【お詫び】
 私が小さいころ、「父が被爆した後で出来た子だから、染色体に異常があるかも?」と何人かに言われました。『10月10日』のひと月を30日で数えるとそうなります。真実は、原爆の前に母が身ごもった子です。

 説明が面倒なため、(若い頃から髪の毛が少ない事もあって、)年齢を誤魔化してきました。そんな訳で、このプログの自己紹介に『喜寿』を過ぎていると書きましたが、『古希』が正しいです。