これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

南高梅の収獲

2023-06-18 12:45:43 | 果樹
 我が家の狭い庭に、南高梅を1本育てています。 毎年、6月の末に収穫しているのですが、今年は都合が有って、昨日(17日)収獲しました。

 次男夫婦が今年小学生になった娘(孫)を連れて来てくれました。近所の梅が大好物の小学5年生の女の子が、今年も手伝ってくれました。妻と私を含めて六人で、捥ぎ(もぎ)取りました。10時頃に初めて、2時間ほど掛かりました。

 去年は沢山取れすぎて、妻が梅の貰い手を探すのに苦労しました。今年は、50~60kgを目標に、結構沢山摘果したのですが、72kgにもなってしまいました。 もう少し、太い枝を切るなどして、目標に近づける必要が有ります。

・・・ 収穫量の推移 ・・・
★ 23年≒72kg
★ 22年≒98kg
★ 21年≒63kg
★ 20年≒32kg
・・・ 2009年5月に、コーナンで買った苗を植えました。

 去年から、私が懸賞金(1,000円)を出して、参加者全員で収穫量を当てるゲームをしています。一番近い予想者が懸賞金をゲットします。 今年は、近所の女の子が一番でした。 お金を上げようとしたら、「バーバが、『お金は貰ってはいけない!』と言ったので、貰えません」と少し残念そうな顔で言いました。 妻が、「バーバに後で説明するから、貰いなさい」と言うと、嬉しそうに受け取りました。

 去年は次男が一等賞だったのですが、1,000円渡すと財布から500円硬貨を2枚出して、「お手伝いのお礼です」と言って、近所の女の子と孫に1枚づつ渡しました。 私は、「息子が機転が利く様になった」事が嬉しかったです。

 我が家には3段と5段のアルミ製折り畳み式脚立(踏台)が有ります。去年から近所の女の子は使用出来る様になりました。 孫は1年生ですが、最初3段の脚立に挑戦して、直ぐに危なげなく登れる様になり→→いつの間にか5段の上の方に登って、捥ぎ取っていました。

 妻が買い物バッグにビニーの紐を取り付けて、首に掛けられる様にしたのを、6人分用意していました。 まだ小さい孫も、捥ぎ取った実をバッグに入れて→→一杯になったら→→大きな籠に移していました。

 孫は丸顔でしたが、今年に入って急に顔が長くなり、少女の顔付きになりました。まだ甘えん坊さんですが、難しい言葉を覚え、順調に成長している様に見えます。嬉しい限りです。

・・・ 南高梅についての投稿 ・・・
 私の父と母が南高梅で大変苦労したので、私は南高梅に関連した記事を過去に2回投稿しています。暇を見つけて是非とも読んで下さい!

❶ 2018年5月20日 :父と母と南高梅
❷ 2021年6月27日 :我が家の南高梅を収穫しました。

我が家の南高梅を収穫しました。

2021-06-27 12:49:23 | 果樹
【はじめに】
 6月20日に庭で育てている南高梅を収穫しました。 妻は当分、梅ジャム、梅酒、梅甘露煮、梅蜂蜜漬け、梅干し作りに大忙しです。

【近年の収穫量】
 神戸市の住宅街の狭い庭で一本だけ育てているのですが、近年・沢山収穫出来ます。

 梅のサイズの等級は、一個の質量が32g以上を『5L』、25g~32gが『4L』です。 我が家の梅は、殆ど5Lか4Lでした。 近所のスーパーで売っている物より大粒です!

★ 2021年 : 63kg
★ 2020年 : 32kg
★ 2019年 : 45kg
★ 2018年 : 23kg
★ 2017年 : 19kg
★ 2016年 : 17kg
★ 2015年 : 11kg
★ 2014年 : 3kg
★ 2013年 : 2kg
◎ 2009年5月2日 :コーナンで買った苗を植えた。

【記念植樹のつもりでした!】
 2009年3月に長男が立派な女性と結婚して、5月2日に初めての里帰りをすると連絡が有りました。 記念に何か植えようと考えて、1日に近くのコーナンに行くと、父と母が情熱を注いだ南高梅の苗木を売っていました。 以来12年間、妻と二人で大切に育てて来ました。

 次のブログも読んで見て下さい。
 ★ goo ブログ 『父と母と南高梅』 :2018年5月20日に投稿
https://blog.goo.ne.jp/matetoyoya72/e/ad58eb0d9be2f2397a239a762a42c362

【梅の手入れ】
 一本だけ育てているので、梅農家よりも手間をかけていると思います。 ご参考までに、私の育て方を書きます。 (責任は負いかねます!)

①  剪定 :父がやっていたのを思い出して、毎年・何回かに分けて剪定しています。 上向きに伸びた枝は全て切り落とします。 狭い庭に植えているので、私が決めた範囲から外に伸びた枝も切り落としています。 毎年、75%程の枝は切っていると思います。(葉が落ちた時、スカスカになるのが良いと思います。)

② 農薬 :3月にアブラムシ対策にスミチオンを散布しています。 去年、少しカイヨウが発生したので4月にボルドーを散布しましたが、今年の方が酷かったので、来年は抗生物質も考えないとだめか?と思っています。

 触ると酷い事になるヒロヘリアオイラガ対策に7月か8月にスミチオンを散布しています。 タマカタカイガラムシは、見つけたら小まめに、マイナスドライバーとヘラで掻き落としています。 去年・コナジラミが多量に発生したので、農薬を買っていますが、まだ発生していないので、効果は未確認です。

③ 施肥 :根が張っていると思われる範囲に、3月、7月と12月に固形の発酵油粕を押し込んだり、小さな穴を掘って埋めます。7月には少量の化成肥料を地面にばらまいています。

④ ネット :地面に実が落ちると、ひび割れたり/傷が付くので、6月の上旬に地上1メートル程の高さにネットを水平に張ります。 長さ4m✕幅2m程の防鳥ネットを幹を挟む様に二枚取り付けています。 従って、我が家の梅は、上から見ると3.5m✕3.5m程の正方形に近い姿になっています。

(余談 :PH計) 私は花壇や鉢植えのPH(水素イオン指数)を時々測定して、植える植物の適正値に調節しています。梅は少し酸性なのが良い様です。 私の使用している土壌PH計はamazonで、4,000円程で売っています。
★ シンワ測定社製 : 土壌酸度計 A 72724

【近所の梅】
 私の家から直線距離で100m程の、庭の広い家に梅の老木が3本植わっています。植木屋さんが手入れをしていて、樹形は素晴らしいです。 毎年数十個ほど実を付けます。 (この梅は南高梅では有りません。)

 この家の花粉のお蔭で、我が家の梅は沢山実を付ける事が出来るのでしょう!

【目白(メジロ)】
 1985年に家を建てた頃は、蜜蜂が飛んできていましたが、十年以上前から蜜蜂を全く見なくなりました。 梅の花が咲くと目白が番(つがい)で、日に数回・蜜を吸いにやって来ます。 南高梅は自家受粉しないようなので、「目白が花粉を運んでくれているのだ!」と思います。

 直ぐ近くに木が沢山植えられた3,000坪ほどの邸宅が有ったのですが、伐採して、一戸建て✕40軒にして分譲しました。 その他にも、広い雑木林などが一戸建てになったり、目白の住める環境は狭まって来ています。 「目白が来なくなったら、我が家の梅はどうなるのか?」心配です。

【女の子に今年も手伝って貰いました!】
 近所に、梅干しが大好きな・可愛い女の子がいます。 小学3年生ですが、1年生の時から収穫を手伝って貰っています。 1年生の時は、手助けにはなりませんでしたが、3年生になった今年は身長が伸びて高い所の実も一人で取れる様になっていました。

 女の子、妻、私の三人でペチャクチャ喋りながら楽しく収穫しました。来年も手伝ってくれるそうです!

【山桜桃梅(ゆすらうめ)】
 1995年頃に有機農業用の肥料製造機械の開発に取り組んでいました。 有機農業に詳しい方(HM氏)に弟子入りして、田圃を借りて、指導を受けながら野菜を育てる実験を(仕事の一環として)やりました。 阪神・淡路代震災が発生したので、2年間ほどで止めました。

 HM氏は、桃農家など向けに『甘くなる有機肥料』を製造(?)/販売していました。 市販の発酵油粕、腐葉土等々を簡単な混錬機で混ぜ合わせているだけでした。 結構沢山の農家から、毎年注文が来ていたので、果実が甘くなるのは嘘では無い様でした。 

 HM氏は、平気で嘘をつきました。 例えば、「この肥料は、どういう原理で果実が甘くなるのか?」と聞いたら、確実に尤もらしい嘘を言います。 「この肥料の○○の効果で甘くなるのでは?」と聞いて、それが正しかったら、「その通りだ!」と答えて貰えるのです。

 HM氏達の作業を見ていて、ハット気付いたのですが、市販の『苦汁(にがり)』を添加していたのです。 「苦汁に含まれるマグネシウムなどのミネラルが、果実を甘くするのですか?」と質問したら、HM氏が「その通りだ! 魚粉にも同じような効果が有るが、魚粉は高価だから」と答えてくれました。

 我が家の庭に山桜桃梅(ゆすらうめ)を植えていたので、魚粉をやってみました。 3年ほど少量の魚粉と発酵油粕をやると、ビックリするほど甘くなりました。 山形県のサクランボに匹敵する程になったので、散歩する人達に試食して貰いました。 皆さん、「こんな甘い山桜桃梅は食べた事が無い!」と言われましたが、「何故、甘いのか?」とか「どんな肥料を使っているのか?」と言う質問は出ませんでした。

 当時、HM氏はお元気で、例の肥料で収入を得ていたので『苦汁の効果』は口外しませんでした。10年ほど前に亡くなり、例の肥料の販売はしていない様なので書きました。 永く耕作している田畑には肥料が沢山残っていますから、有機肥料でも沢山やったら病気になります! ほどほどの施肥を推奨します。

父と母と南高梅

2018-05-20 12:26:00 | 果樹
 十年ほど前に、コーナンで南高梅の苗木を見付け、我が家の庭に一本植えました。大事に!大事に!育ててきたので、三年程前から食べきれない程、沢山実を付けます。
 添付の写真は10日ほど前に撮った我が家の南高梅です。毎年、6月の20日頃にほとんど青梅で収穫しています。

 南高梅の本場は和歌山県の南部町ですが、本格的に植え始めたのは(私の故郷)龍神村だったのではないかと、私は思います。

 戦後、帰還兵や都会に移住していた人達が村(当時は合併前で下山路村)に帰ってきて、人口が急増しました。村の旦那衆が数人で、開墾の検討や現金収入の方策などを話あっていました。

 最初は、山の裾野を開墾して畑を造り薩摩芋やじゃが芋などの食糧を作り、現金を得るために杉や檜の苗を育てました。次の手段は確実なものが無く、それぞれ旦那衆が自分のアイディアを試して見る事になりました。『花き』の苗や球根、『林檎』の栽培など。

 私の父は、『村の梅は、南部町が不作の年にも多数実を付ける』と昔から言われていることを思い出し、南部高校の竹中勝太郎教諭に相談に行きました。「花が咲いた後に霜が来ると不作になる、あなたの村の開花は遅いから霜の被害が少ないのかも?」と言われたそうです。「これから始めるのなら、『高田梅』を推奨する」と言われ、苗木を手配してくれました。

 当時はまだ『高田梅』で、『南高梅』とは呼ばれていませんでした!

 最初は我が家の小さな畑、数面に十本ほど南高梅を植えました。姉達が巣立って行くと必要な食糧が減って、残りの畑にも植えていきました。1958年頃には殆どの畑と、栗畑が梅畑になっていました。

 1960年代の初め頃には沢山収穫出来る様になりましたが、梅のお金の話は母が亡くなる年まで私には一切言いませんでした。母は病床で、「近所の人達とトラック一台分の収穫が得られる様になった時、大阪の市場に出荷したけど、一粒も売れないでトラックが帰ってきた。次の年も全く売れなかった。3年目になってやっと、(完売した)トラックが空で帰って来た時は、涙が出た」と話しました。

 父は、村の人達に『南高梅』を推奨していましたので、売れなかった2年間は辛かったと思います!

 その後、龍神村でも沢山『南高梅』が植えられましたが、高齢化が進んで、近年は殆ど手入れのされていない梅畑が増えて来ています。残念です!