これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

私のクリスマス

2020-12-19 12:00:06 | クリスマス
【教会のクリスマス】
 私は5歳か6歳の時、両親の同意を得ずに、自分の意思でカトリック信者になりました。 洗礼を受けてから毎週・教会の日曜学校に通いました。 クリスマス(降誕祭)の前には賛美歌の特訓が有って、教会の中の大掃除をして、(キリストが生まれた)馬小屋の飾りを取り出して飾り付けました。

 12月24日の夜の11時過ぎに、子供も含めた信者達が教会に集まって来て、12時少し前頃にミサが始まりました。 (今から考えると下手くそな)賛美歌を沢山歌って、25日の午前1時頃までミサは続きました。

 村で一、二を争う商店の主人(MY氏)は信者では無かったと思うのですが、クリスマスのミサが終わる頃に色々な飴/お菓子を一杯入れた紙袋を沢山持って、教会に来てくれました。 MY氏が子供・一人一人に手渡してくれるのです。

 MY氏は二、三年後にサンタクロースの帽子、服と白い付け髭を付けて登場する様になりました。 私は大人になって、「子供達が喜ぶ顔が素敵だったので、MY氏は自腹でお菓子を配った」のだと気が付きました。 飽食の時代になってしまったので、MY氏の楽しみを味わう事は、現在では難しくなっていると思います。

(余談 :昔の寝る時間) 私の故郷・竜神村には大正時代(1919年と25年)に出来た水力発電所が、今でも2か所有ります。民家に電気が供給され始めたのは1955年頃です。それまでは、蠟燭や灯油ランプを使っていました。 1965年頃までは、『日の出と供に起き、日の入りと供に寝る」に近い生活が普通でした。子供は8時頃には寝ていた(?)と思います。 クリスマス・イヴのミサが終わった時、何時もの寝る時間から5時間は経っていました。 子供達は皆、目をショボショボさせて、お菓子を待っていたのです。

(余談 :子供のお小遣い) 大抵の子供は毎月決まったお小遣いを貰っていますが、私の子供の頃はそんな習慣は有りませんでした。どの家の子供もお年玉は頂いたと思いますが、子供達は自分で小遣い稼ぎをしました。 鰻を取ったり、自然薯を掘ったり、金属の廃材を集めたり、雁皮(ガンピ)の皮を集めたりして、町から来る業者に売りました。

(余談 :子供のお八つ) 小遣いの殆ど貰えない昔の田舎の子供達は、お菓子を買えませんから「どうした?」と思われますか? 自分達で調達したのです。焚火している所が有ったら薩摩芋を持って行って、焼き芋を作りました。秋には山や川原に行くと、むかご(自然薯の実)、アケビ、山栗(柴栗)、山柿、椎の実、グミの実、桑の実を食べました。

 春には、芽を出したばかりのイタドリ(スカンポ、ゴンパチ)や細いタケノコの皮を剥いて、そのまま食べました。 夏には川エビや小魚を取って、塩を振りかけてフライパンで炒めて食べました。キュウリをそのまま齧る子もいました。 蜂の巣を見付けると幼虫を取り出して、フライパンで焼きました。結構・美味しかったです。 木苺も美味しかったです。特に実が黄色に熟する木苺は最高でした。

 シナモンはご存知だと思いますが、あれは肉桂(ニッケイ)の木の皮です。私の故郷には肉桂が自生していました。 時々でしたが、肉桂の根を掘り出して、皮を剥いて乾燥させて食べました。 私は必ず、胃が悪くなって唇がおかしくなりましたが、好きだったので毎年食べました。

 「日頃、こんな御八つを食べていたので、子供達が一年に一度、MY氏から貰えるお菓子を首を長くして待っていた!」事が分かって頂けたと思います。

【讃美歌行列】
 東京の西武池袋線・練馬駅から徒歩7分ほどの所に、3番目の姉の家が有りました。 そこに1965年頃に居候していました。 徒歩・数分の所にキリスト教の教会が有り、(24日の夜だったと記憶しているのですが、)信者達が手に手にローソンを持って、賛美歌を歌いながら町内を回ってくれました。

 本格的に練習した様で、凄く上手でした。「賛美歌とはこんなに綺麗な歌なのだ」と感心しました。 クリスマス・イブに近くの教会に行って、キャンドルサービスに参加して見て下さい。信者で無くても入れてくると思います!

【蔵王でのホワイト・クリスマス】
 私は大学1年生の時から、大学が蔵王温泉で開催していた格安のスキー教室に毎回参加しました。1年生を終わる頃には、パラレルクリスチャニアが出来る様になっていました。

 2年生の年の最初のスキー教室は12月24日からでした。その年は雪が殆ど降らず、蔵王でも滑れる状態ではなかったのですが、下宿の小母さんに私だけの食事を作って頂くのは気の毒だったので、蔵王に出掛けました。(他の下宿人は全て帰省していました。)

 旅館に着くと生徒は7人しか来ていませんでした。 その内の一人は、(奨学金担当部署の)皆の憧れの的だった女性(LLさん)でした。 他は、皆・初対面の男性でした。暖房費を節約する為に、7人・雑魚寝する様に言われました。 この時、何故か?「七福神が集まったのだ!」と思いました。

 LLさんは部屋の隅で読書していたと思いますが、男達6人は麻雀を始めました。 麻雀の腕がプロ並みの大学院生がいました。 イカサマのやり方を”微に入り細に入り”教えてくれました。マジシャンの様な手つきでした。皆で真似しましたが、才能が無いと出来ない芸でした。 私は麻雀には少し自信が有ったのです。結構レベルの高い学生とも打っていたので、盲牌(指の腹で牌を識別する事)や理牌(リーパイ)しないで(牌を順番に整理しないで)打っていました。 然し、彼には勝てませんでした。

(余談:イカサマ) この時の学習で、入社後に(負けが込んでいた)大切な友人のイカサマを見抜く事が出来ました。 彼がイカサマを2回目やった時、下手くそな彼を借金漬けにした自分に腹が立って、数年間・麻雀を止めました。 勿論、彼への貸しはチャラにしました。 (彼は40歳程の若さで、残念ながら急逝してしまいました。)

 次の日の朝起きると、何と!ホワイト・クリスマス!沢山・雪が積もっていたのです。 皆・テンデバラバラに出掛けました。 2回目に滑って降りて来た時、コースの途中に昨夜同室だった学生が3人ほど集まって女性の介護をしていました。LLさんが、太腿を深く切って沢山・血を流していたのです。止血の為に布を巻いて、交代で太腿を押さえていました。 私も参加しました。

 指先の感覚が無くなるほど寒かったです。一人抜け→二人抜け、最後は私一人になってしまいました。血が止まらないので、私は必死にLLさんの太腿を押さえ続けました。パトロール隊が来てくれたのは、1時間以上あとだったと思います。

 奨学金を貰いに行って、LLさんから郵便局でお金が貰える紙切れを手渡して貰いましたが、介護のお礼は一言も有りませんでした。 弁天さんだと憧れていたのに、私の顔なんか覚えて無かったのです!

【妻の誕生日】
 妻の誕生日は12月25日です。妻はカトリック信者ではないので、結婚してからは25日は妻の誕生日を祝う日になりました。 日本ではいつの間にか、誕生日にケーキを食べる様になりましたが、我が家では子供を授かるまでは、妻の好きな苺タップリのショートケーキを頂きました。

 子供を授かってからは、玩具、お菓子、そしてクリスマス・ケーキを買って普通のクリスマスになりました。 どこの家でもする様に、子供が寝てから枕元にお菓子や玩具を置きましたが、長男は親が置いている事が直ぐに分かった様でした。 次男は幼稚園に入っても、目が覚めると「サンタクロースさん有難う!」と大きな声で言っていました。 可愛かったです。

【グレゴリオ暦】
 世界の多くの国で採用されているグレゴリオ暦は、1582年にキリストの生まれた年をベース(?)にして制定されたものです。 生まれた年を元年(1AD)として、誕生日を12月25日としています。 然し、キリストが生まれた年も誕生日も諸説有って、今から究明する事は不可能だと思います。 1ADの前の年は紀元前1年(1BC)で、0年は有りません。

 灘→東大卒の私より数歳若い社員と同じ部署に所属していた事が有ります。 彼は仕事が殆ど出来ず、愚にもつかない事を色々考えていた様でした。 彼の馬鹿馬鹿しい考えを、勤務時間中に、誰かを捕まえて話すのです。 その話の一つを要約すると、「ユダヤ人は誕生日よりも割礼の日を大切にするから、キリストが割礼をした日を『元旦(1月1日)』にした。生まれて7日後に割礼したから、誕生日が12月25日なんだ」でした。 彼は、この話しだけでも1時間以上、微に入り細に入り説明し続けました。

 半信半疑だったのですが、ウイキペディア『割礼』を検索すると、彼の説は正しかったのです。

【シュトーレン】
 私の家から車で10分ほどの所に『ファンベック』と言う美味しいパン屋が有ります。12月になると、ドイツでクリスマスに食べる『シュトーレン(シュトレン)』と言うお菓子を作ります。子供達が独立してからは、クリスマス・ケーキの代わりに毎年シュトーレンを買います。 今年も買いましたが、もう殆ど残っていません。

 工房と店の間がガラス張りになっていて、職人さん達が手際よく、無駄話をせずに、一生懸命働くのが見えます。 パンも美味しいですが、作っているのを見るのは楽しいです。 10台ほどの駐車場が有りますが、客が多いいので停められない時も有ります。

 長男のお嫁さんは、ファンベックの大ファンで、帰省したら多量に買って、宅急便で送っています。冷蔵庫で保管して、少しずつ食べるのだそうです。 彼女は時々、ファンベックの通販も利用している様です。 私はポム(アップルパイ)も大好きです。

 神戸には美味しいケーキ屋、パン屋、クッキーなどの店が結構有ります。吉田茂が毎日・飛行機で食パンを取り寄せていた『フロイン堂』の近くの社宅に3カ月ほど住んでいましたが、何時でも買えると思っていたら、慌ただしい転勤になってしまい、結局買えませんでした。

【孫がカトリック系の学校に入りました】
 長男の嫁さんは、初対面の時から不要な遠慮はせず、自分の考えはハッキリ言い、でも我が強い分けでは有りません。頭の良い、優しい女性です。御両親は子供を大切にする、普通の男性と女性です。 「ドンナニ育てたら、こんな子供になるのか?」、妻と私には想像も出来ませんでした。

 今年、民放で嫁さんの卒業した女子高校を紹介する番組を見ました。 カトリック系の素晴らしい学校でした。正に『氏より育ち』だと気付きました。 進学校に分類されている様ですが、勉強が出来ない子供には、その子に合う様に教えている様です。

 私の独断の解釈ですが、キリストが教えたのは「清く、正しく、愛を持って、一生懸命・努力して生きなさい!」と言う事だと思います。 この学園では、私の考えの様に子供達を指導している様です。

 お嫁さんは学校生活が素晴らしかった様で、娘を母校の付属幼稚園に入れました。 孫は今年、小学生になりました。 孫は小さい時から思いやりの有る、優しい子なので、お嫁さんの様な立派な女性になると、期待しています。

 「孫が賛美歌を練習して、クリスマス・イヴのミサに参加したら、ジージと同じ様に楽しい思い出が出来るだろう!」と願っています。

Merry Christmas to you