これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

節分の思い出

2024-01-27 09:52:52 | 風俗習慣
 今年の節分は2月3日です。
 皆さんのお宅の節分は、ドンナですか? 今回は、私の子供の頃からの『節分の思い出』を書きます。

 私の故郷は和歌山県田辺市龍神村です。 龍神村は今では典型的な過疎地になっていますが、私の子供の頃は活気が有って、人口は8,000人程だったと記憶しています。

 私の妻は、田辺市に有った城『錦水城(きんすいじょう)』の近くの、商売繁盛の商家で育ちました。 私の家は、おおよそ自給自足でしたが、妻の実家は燃料、食糧などを全て買っていた様です。

 龍神村では節分になると、どの家でも『干物のイワシ』を1本・屋根の上に放り投げて、柊(ひいらぎ)の枝を玄関に飾りました。 小さい頃から、柊を山に取りに行くのは、私の役目でした。

 自家製の大豆を炒って、節分の夜に室内で播きました。我が家では、戦前から大豆と一緒に紙で包んだ御菓子を播いて、家族八人で拾って食べました。御菓子を買って来る役目も私でした。現金収入が少なかったので、多分・他の家では大豆だけ播いていたと思います。

 妻の実家では、イワシを柊の枝に刺して玄関に飾った様です。御菓子を播く習慣は無かった様でした。 その代わり、『恵方巻』を無言で食べたそうです。家業が忙しかったので、恵方巻は寿司屋から買って来たと言っています。

 我が家では、秋の祭り、運動会、遠足や正月に『巻き寿司 』を作ってくれましたが、長さが20cm程も有って、太かったので、切らないで一本丸ごと食べるのは困難でした。それで、節分の『恵方巻』の習慣は無かったのでは?と思います。 (龍神村には寿司屋は無く、店で『恵方巻』は売っていませでした。)

 我が家の『巻き寿司 』には海苔を使用しましたが、龍神村の殆どの家では、高菜(たかな)の浅漬けを使用していました。

 龍神村では、大昔から巨大な御握りを浅漬けの高菜の葉で巻いた『目張寿司(めはり寿司)』を作る習慣が有りました。一食分の麦飯の御握りです。 子供の頃、山林労務者が直径15cm程の『めはり寿司』、タクワン、イワシやアジの干しを焼いた物を、美味しそうに食べていました。

 10年程前に龍神村帰った時、知り合いの奥さんが、『めはり寿司』を作って待ってくれていました。 『白飯(しろめし)』で、普通のサイズの御握りでしたから、『めはり寿司』とは言えません! 色んな山菜の塩漬けを、塩抜きして炒め物を作ってくれたので、美味しかったです。 『心のこもったおもてなしだ!』と思いました。

 結婚してから、我が家では妻の実家のやり方で節分を迎えています。柊の枝を玄関に飾りますが、イワシは省略して、恵方巻は頂きます。妻が、「大豆を年の数・食べろ!」と言うので閉口しました。28歳で結婚したので、何とか食べられました。30歳を過ぎてからは、34歳だと「3粒+4粒」として貰いました。今年は「7粒+7粒」で『14粒』も食べなければなりません。

 家を建てた時、庭に柊を植えました。私の両親と同居する様になりましたが、父は総入れ歯になっていました。総入れ歯で恵方巻に噛り付く(かぶりつく)のは難しいです。入れ歯が浮いてしまうのです!

 息子達の家では節分の行事はやっていない様です。

(余談 :選抜高校野球) 妻と私は田辺高校の出身です。今年の選抜高校野球に、21世紀枠で田辺高校が出場する事になりました!

 妻と二人で応援に行くつもりです。1995年の夏の大会に田辺高校が出場した時、二人でバックネット裏で応援しました。 妻は今でも「アルプススタンドの方が良かった、知り合いに会えたのに!」と言っています。 当時・妻は47歳で、現在は75歳です。妻は、「今回はバックネット裏の席を予約して欲しい! 同級生に会っても、多分・顔が分からないから」と言っています。 確かに「そうです!」ね。

政治と黒い金の作り方

2024-01-20 12:17:12 | 黒い金
【はじめに】
 前回は、黒い金を集める仕組みについて書きましたが、今回は「昔、ドンナニして企業が黒い金を作ったのか」、「何故、作るのが難しくなったのか」について書きます。

 今から・たったの三十数年前までは、官庁から『100億円』の工事や品物の注文を受けると→→『3億円』程の裏金を工面して→→政治家に届ける必要が有りました。営業マンの重要な仕事の一つが『裏金作り』だったのです!

【マルサの女】
 伊丹十三監督が『マルサの女』を公開したのは、1987年です。脱税で蓄財する悪党を、国税局調査部(マルサ)が懲らしめる話です。 政治の世界では、当時まだ巨額の黒い金が飛び交っていました。  伊丹氏は、「政治の世界の黒い金についても・ある程度は把握していたのでは?」と想像するのですが、政治の世界の黒い金の流れの実態を垣間見る事が出来なかったので、政治の世界は映像化しなかったのだと推察しています。

 なお、『マルサの女』が公開された頃、黒い金はピークに達していたと思われます。

【秘密の手帳】
 私が勤務していた会社では、国、都道府県、市町村向けの商売を『官庁商売』と呼んでいました。『官庁商売』には必ず黒い金が必要でした。官庁商売を担当する営業マンは小さな/嵩張(かさ)ばらない手帳に、黒い金の受け渡しについてメモして、スーツの内ポケットに入れていました。

 会社に検察の捜索が入っても、個人の持ち物を調べる為には、事前に調べる人間を特定して裁判所の許可を取って置く必要が有ります。その為、スーツまで調べられる事は殆ど無いのです。

【黒い金の川の水量が減少したのは?】
 1990年頃から黒い金の額は減少してきたと私は思います。 地検特捜部が活躍したからでは有りません。税務署が外堀を埋めてしまったからです。 税務署が民間企業の監査を厳しくする様になって→→領収書の無い支出を洗い出し→→使途不明金としました。 使途不明金が有ると→→同額の金を徴収する様になり→→更に、毎年・多額の使途不明金を計上する会社には「名前を公表する」と脅しました。

 某企業で、1,000万円の使途不明金が見付かると→→1,000万円税務署に納めなければなりません。 税務署が使途不明金を厳しく探す様になったので、裏金を作る手段がドンドン無くなってきたのです。

(余談 :税務調査) 1985年頃、私は研究所勤務でした。毎年1回、半日ほど税務署から二、三人来て税務調査をしました。一般に役人は『ノロノロ』と仕事をしますが、税務署の役人は一心不乱にテキパキと働きました。膨大な書類を、半日ほどでチェックして帰りました。(研究所では、不正な経理処理は見付からなかった様でした。)

《 手段❶ :空出張 》
 空出張で裏金を作るのは、昔から行われています。空出張で裏金を作るのは比較的簡単ですが、多額の裏金を作るのは難しいです。

 出張すると、(社員の誤魔化し防止だと思われますが、)乗車券、ホテル代、食事代等の領収書を清算時に要求する中小企業が有りました。こんな会社では、空出張で裏金を作るのは難しいです。

 私の勤務していた会社では、事前に、日時、出張目的と出張先及び前借金の額を書いた『出張申請書』を上司に出して、決済が得られたら→→直ぐに現金が貰えました。帰社後に、設計部署は出張報告書と清算書の提出が義務付けられていたので、空出張は出来ませんでした。

 営業部では、出張報告書は原則として提出しなかったので、空出張が可能でした。

 JRの在来線や新幹線の切符をチケットショップで、今でも売っていますが、多分・企業が多量に買って→→一部をチケットショップに売っているのだと思います。一種の空出張による裏金作りです。

《 手段❷ :裏金を作る商社 》
 東京は勿論、地方都市にも『裏金を作る商社』が有りました。 全て規模は小さく、『商社』としての商売をやっていました。『数百万円』単位の裏金が必要になると、営業が利用していました。 『600万円』の裏金が必要になったら、700万円の品物を注文した事にして→→700万円振り込んで→→600万円現金で返してもらうのです。 私は、営業活動をサポートする技術者だったので、『裏金を作る商社』は1社しか付合いが有りませんでしたが、官庁案件を受注すると→→必ず『裏金を作る商社』を利用していた様でした。

 『裏金を作る商社』が、「ドンナニして裏金を作っているのか?」色々考えて見ましたが、私の頭では裏金を作る方法は思い付きませんでした。

(余談) 1995年頃の話ですが、当時・私は小さな会社(N社)に出向していました。東南アジアの某国向け案件で。税務署が認めてくれない金『約300万円』が必要になりました。 時々仕事を依頼していた社員10人程の社長(T氏)が遊びに来た時、N社の社長が「領収書が貰えない金・300万円必要になって困っている」と話したら、T氏が「我が社が330万円の仕事をした事にして、現金で300万円お返しする案はどうですか?」と言うのです。

 T氏の会社の仕事の半分は『官庁商売』でした。こんな小さな会社でも、官庁商売をする為には『黒い金』が必要だったのです。

《 手段❸ :チケットショップ 》
 1980年頃、私は東京の八重洲に有った本社勤務で、土曜日は半ドンでした。「御徒町にデパートの商品券を売る店が開店した」と言う新聞記事を読みました。私は「裏金を作る店だ!」とピント来たので、土曜日に昼食後行ってみました。小さな店で、ショーケースの中に何店かのデパートの商品券を並べ、『5%引き』で売っていました。 (チケットショップの元祖だったと思います。)

 電柱の陰に隠れて、探偵の真似をしました。暫くすると、大きな風呂敷包みを持った男性が来店し、店員が奥から数百万円は有りそうな札束を持ってきました。十数分すると、アタッシュケースを持ったスーツ姿の男性が来店して、さっきの商品券を買って行きました。 (多分、店員がデパートに商品券が入荷したと電話連絡していたのでしょう。)

 この店は30分も経たない間に二、三十万円稼いだのです。「素晴らしい商売だ!」と感心しました。 少しずつ、チッケットショップは増えて来ました。 (近年は逆に、店仕舞いするチッケットショップが全国的に増えています。)

★★★ チケットショップの仕組み ★★★
 A社が『1,000万円』裏金が必要になったら、Bデパートで『1,100万円』の商品券を買います。A社はその商品券をCチケットショップ(C社)に『1,000万円』で売ります。C社が、Bデパートに『5%』引きで『1,045万円』で買い取って貰うと『45万円』儲けた事になります。Bデパートの儲けは『55万円』です。

 A社は、『1,000万円』の使途不明金を発生させると、税務署に『1,000万円』収めるなければなりません。つまり、A社は『900万円』節約出来た事になります。

(注記) 昔、デパートは繁盛していたので、値崩れ防止のために、商品券を買い戻ししていました。 然し、デパートの現在の問題は客の減少です。 チケットショップで商品券を買って→→デパートで買い物してくれたら、前金で買ってくれたのと同じですから、デパートは大歓迎だと思います。

 チケットショップでは、現在・デパートの商品券を2%~5%引きで売っています。

(余談) 一生お金に不自由しない方がおられるのですが、彼は電車に1時間程乗って→→デパートで買い物しています。必ずチケットショップに寄って商品券を買って、段ボール箱に入った下着を纏め買いしています。スーパー等で買った方が得だと思うのですが、彼は食品以外はスーパーでは買わない主義なのだそうです。

《 手段❹ :野球場の指定券 》
 どの球場でもバックネット裏などの一番良い席は、年間契約の指定席で、民間企業が殆ど買っています。 接待に使うのが建前ですが、「一部の企業は裏金作りに利用しているのでは?」と私は疑っています。

 年間契約の指定席を買うと、領収書が貰えるので、経費として落とせます。 そして、試合の有る全ての日の券を発行して貰える様です。その券をチケットショップに売ったら現金が得られ→→裏金が出来るはずです。

 私は甲子園球場の年間契約の指定席券を何回もチケットショップで買いました。 雨で試合が流れても払い戻しは有りません。『一か八か』の券です。

《 手段❺ :神保町の古本屋 》
 東京勤務だった時は勿論、関西勤務だった時も、私は東京の神保町の古本屋で古本を纏め買いしました。 印刷が追っつかないベストセラーが出ると、新品の本が20%~30%値引で数十冊も積まれているのを、何回か見掛けました。 機械工学便覧の新版が出た時、新品が十数冊店先に置いていた店で買った事が有ります。 裏金を作る為に古本屋を使うのも、昔から企業がやっている手段の一つなんです。

【黒い金を作るのが難しくなってきました!】
 昔の黒い金を作る手段を、上に5点書きましたが、現在は税務署が頑張るので→→これらの手段は通用しなくなっていると思います。

 新聞赤旗や週刊文春は今まで取り上げ無かったと思いますが、今でも一部の分野では『族議員』が暗躍しています。 国立の研究機関が、民間企業に研究開発費を支援する制度が幾つも有ります。 建前は『公募』ですが、実態は『族議員』達が話し合って支援する企業を決めているケースが多々有ります。

 『族議員』の一部は、今でも黒い金を要求している可能性が有ります。 「民間企業は、こんなに難しくなっても裏金作りをする必要があるのでは?」と想像しています。

【デジタル化とキャッシュレス化が必要です!】
 キャッシュレス化を進め→→クレジット決済と銀行振込に限るとしたら→→政治の世界に流れる黒い金を作るのが難しくなるだけで無く→→脱税して蓄財する輩や相続税を誤魔化そうとする輩にとっても困ったことになります。

 キャッシュレス化を進めるためには、種々の分野でデジタル化を進める必要が有ります。 日本のデジタル化は遅々として進みませんが、2020年以来、デジタル大臣を置く事になりました。 然し、歴代の3大臣はコンピューター・プログラムの知識/経験が全く無い不適任者でした。日本の発展に必要不可欠なデジタル化を進める為には、コンピューター・プログラムに精通した(高橋洋一先生の様な!)民間人を抜擢してデジタル大臣に据えるべきです。

・・・ 歴代デジタル大臣 ・・・ 三人とも文科系大学卒で、コンピューターの知識は乏しいと思われます。
★ 2020年 :平井卓也氏   65歳 上智大学外国語学部卒
★ 2021年 :牧島かれん氏 47歳 国際基督教大学教養学部社会科学科卒
★ 2022年~ :河野太郎氏  61歳 ジョージタウン大学国際学部比較政治学科

【古物商や質屋】
 古物商や質屋にはインボイス制度の特例が認められていますが、取引相手の氏名、住所、取引金額、日時等を記載した書類を作成し、7年間保存する事が義務付けられています。

 将来、書類をデジタル化して、取引相手のマンナンバー又は法人番号をインプットする事を義務化したら、裏金作りや相続税の脱税を大幅に減少させる事が出来ます。

 知り合いの高齢の方が、金とプラチナのインゴットを買って、子供に残そうとしています。多分、そんな方が全国には沢山おられると想像します。『税金の公平/公正化』の為に、古物商や質屋の取引に取引相手のマンナンバー又は法人番号の記載を義務化すべきです。

《 余談 :金のインゴット 》
 近年、『金(ゴールド)』の価格は想像を絶する程、高くなっています。現在の相場は『1kg≒1,000万円』です。一万円札の重さは『1g』です。現在では、1,000万円の金と1,000万円の一万札は同じ重さ『1kg』です。

 『1kg』の金の体積は、ほぼスマホと同じですから、『20kg≒2億円』の金はスマホ20台分になります。スマホ20台を隠すのは簡単で、健康な人間だったら誰でも運べます。 金持ちの老人が相続税対策に『金』を買い漁る理由が分かって頂けたと思います。

《 余談 :山崎50年 》
 私はウイスキーが好きで、親戚から沢山送って貰っていました。 2018年にサントリーの『山崎』とか『響』を10本ほど売りました。担当者(T氏)が車で買い取りに来てくれて、写真付きの身分証明書の提示を要求しました。マイナンバーカードの番号部分を隠して、写真を撮りました。そして、現金で支払ってくれました。

 「今まで一番高かったのは何ですか?」と聞いたら、T氏が「最近、『山崎50年』を買い取って、『3,000万円』で売った」と言うのです。『山崎50年』は3回、抽選で1本『100万円』で売ったのを知っていました。「いくら何でも」と思ったので、インターネットで調べたら、『3,500万円』程で売っていました。今日、調べたら相場は『8,800万円』になっていました。

 『裏金を作る商社』が『山崎50年』を『100万円』で買って保管していたとします。社員の名前を使って売ったら、『7,000万円』程で売れそうですから、7,000万円程の裏金が出来る事になります。 古物商や質屋の取引の記録にマンナンバー/法人番号を記載させるべきです。

政治家が黒い金を集める昔の仕組み

2024-01-13 15:00:30 | 黒い金
【はじめに】
 先日(1月8日)に『黒い金』の記念碑的存在だった『目白御殿』が全焼してしまいました。 そして、とうとうパーティー券問題で逮捕者が出ました。 今年は、「黒い金を減らす」変革の年になって欲しいです!

 岸田総理は『政治維新本部』を立ち上げましたが、最高顧問の一人に派閥の長である麻生太郎氏を就任させ、メンバー38人中に問題の安倍派から10人も選びました。岸田氏の本気度が疑われます。 私は、「黒い金を必要としない、自民党に生まれ変わって欲しい!」と願っています。

 「衆議院を昔の様に『小選挙区制』に戻すべきだ」と言う方がいますが、黒い金が飛び交う事になってしまいそうなので、私は大反対です。

 本稿では、「昔、黒い金をドンナニして作ったのか?」を皆さんに知って頂く必要が有ると思ったので、私の経験談を書きます。私より詳しい方が、今でも数十万人は生きておられると思いますが、皆さん墓場まで秘密を持って行くと決められている様です。

【政治家の金が絡んだ事件】
 戦後の政治家が絡んだ、(私の記憶に残っている)黒い金の事件を以下に列記します。

・・・ 戦後の政治家が絡んだ、黒い金の事件 ・・・
★ 福島県政汚職事件 :1950年 ・・・800万円→→木村守江知事
★ 田中彰治事件 :1966年
★ ダグラス・グラマン事件 :1970年に発覚 ・・・日商岩井・5億円→→松野頼三氏
★ 東京佐川急便事件 :1987年~ ・・・発端を作ったのは総理就任前の竹下登氏、数千億円の金が動きました。事件に関する本が沢山出版されました。
★ リクルート事件 :1988年~89年 ・・・竹下登氏
★ 共和汚職事件 :1991年
★ ゼネコン汚職事件 :1993年~94年
★ 日歯連闇献金事件 :2001年 ・・・1億円→→橋本龍太郎氏、野中広務氏、青木幹雄
★ 河井夫妻選挙違反事件 :2019年
★ 日本風力開発汚職事件 :2023年 ・・・数千万円→→秋本真利衆議院議員
★ パーティー券問題 :2023年
★ 柿沢未途議員公選法違反事件 :2023年

【黒い金についての私見】
 古株の記者達は、巨額の黒い金が動いていた事は承知していたと推察しますが、あまりにも全国津々浦々に蔓延していたので、「ニュースにはならない!」と考えていた様に思います。 国民の多くは、「政治には金が要る!」と黒い金を問題視しなかったのでは?と思います。

 目白に有った田中角栄氏の御殿で、「土産として紙袋に1億円入れて持って来たのを、目撃した」と話す記者がいましたが、「彼は黒い金に麻痺して、殆ど問題視していない」様に見えました。

 今から・たったの三十数年前まで、毎年!毎年!1兆円~2兆円もの黒い金が政界に流れていました。現在60歳代の政治家の多くは、そんな黒い政治の世界に足を踏み入れたのです。先輩達は、ふんだんに入って来る黒い金で愉快にやっているのを見ていたと想像します。彼らが、当選回数を重ねるたびに黒い金の額が小さくなっていって→→高級料亭や高級クラブに行けなくなりました。

 現在55歳以下の営業マン達は、入社後に裏金作りに走り回る必要が無くなっていたと思います。 国民は段々政治家の不正を嫌悪する様になり、現在では黒い金は最盛期の『数%』まで減少していますが、収支報告書に記載しない事すら問題視する様になっているのです。

 政治家達は三十数年間に、「黒い金が悪だ!」と言う学習が出来ませんでした。国民の多くは「黒い金が悪だ!」と考える様になりました。政治家達と国民の考え方の乖離(かいり)が大きすぎる様に思います。

【政治家が黒い金を集める昔の仕組み】
 戦後、政治家の絡んだ『黒い金の事件』は沢山あり、特捜部が活躍しました。 然し、特捜部は『黒い金を集める仕組み』を暴く事は出来ませんでした。

 三十数年前の日本の政治/経済を知って頂く必要が有ると考えているので、適任者とは言えませんが、私が『官庁商売』で得た知識を以下に書いておきます。

《 第0ステップ :黒い金の相場 》
 官庁商売では、受注金額の『3%』を現金で、国会議員、知事、市町村長に渡すのが相場になっていました。千葉県は成田空港建設の頃から『7%』だったと記憶しています。発注金額が『4%』高かったので企業は損をしなかったのです。某県は何故か?『5%』で、発注金額が『2%』高かったです。

 誰も集計した事が無いと思われるので、確かな話では有りませんが、国の一般会計予算と特別会計予算、地方公共団体の予算の総額から人件費を除いた額の『3%』が黒い金になったと思います。従って、1990年頃でも、黒い金は『2兆円』に近かったと私は見ています。

(余談 :革新系市長) 1990年頃の話しですが、某政令指定都市の一市(K市)に革新系の市長が誕生しました。私が勤務していた会社では、「今後は市長が発注先を決める慣習は廃止する」と判断しました。就任して間も無く、「市長の沖縄出張の航空券、ホテルを某社が手配して、現地で大接待した」と言う情報が入りました。 新市長は、メーカー選定権を独占して、黒い金を貰ったのです! 私は、「金を何に使うのか?」不思議に思いました。

 K市では、前任の市長の時代から市民病院を建て替える計画が進んでいました。 建物の構造的問題から、非常用発電設備の燃料タンクの設計が難しく、私は知恵を絞って特殊なタンクを設計していました。 市長が、非常用発電設備を他社に発注しました。 受注した会社から、破廉恥にも「タンクだけ作ってくれ!」と言ってきました。

《第一ステップ :業界の談合組織への参加 》
 昔は、官公庁向けだけで無く大手民間企業に納入する会社は、業種毎に作られた『談合組織』に参加していました。鉛筆や消しゴムなどの文房具業界にも、『談合組織』が有りました。

 兆円単位の巨額の取引を行う『談合組織』も有りましたが、事務所は設けていませでした。 組織に参加している会社の課長か部長が、ホテルの一室で話し合いをしたのです。

 重電機器(重電)業界の談合組織は鉄壁の結束を誇る組織でした。3社組織、7社(?)組織などが有り、各案件の受注会社を決めていました。

談合体質の問題点 :競合会社がフェアーに競争して/切磋琢磨して技術を革新し、コストダウンするから国際競争力を養う事が出来ます。 談合は、この公理に反します。

 1980年代の話しですが、談合組織に入るのが嫌で舶用や海外向けにのみ製造/販売していた優良企業が有りました。ポンプの新興金属工業所(現:(株)シンコー)と発電機の大洋電機(株)です。

 ニデック(日本電産)は1973年に設立されて、精密モーターの分野では世界トップ企業に成長しています。 昔は、大型のモーターは重電が製造していましたが、現在はニデックが沢山製造しています。「多分、ニデックは談合組織に参加していないのでは?」と想像しています。

談合の擁護 :談合は昔から犯罪でした。然し、悪い面ばかりでは無かったのです。 例えば、ダムの建設は計画開始から完成まで十年以上掛かります。毎年計画変更が有って、その都度・見積書、仕様書、配置図などの図書の提出依頼が有りました。 業界で各計画毎の担当会社を決めて対応せざるを得ないのです。

 役所が経験の無い設備が必要になったとします。役人は勉強しませんから、メーカが『負んぶに抱っこ』して、計画を練り上げる必要が有り→→メーカの負担が大きくなりますが→→予算は通常の案件とほぼ同じになります→→談合が必要になります。

 談合は、関税と同様に外国企業の参入を防止する効果が有ります。(アメリカは今でも『インチ/ポンド単位』を使用していますが、外国企業の参入防止に現在は役立っていません。)

《 第二ステップ :入札参加資格 》
 国や地方公共団体が工事や物を発注する場合は原則として、『競合入札』の形にします。(稀に『随意契約』が有ります。) 入札に参加する為には『入札参加資格』を事前に取っておく必要が有ります。

 各社が→→入札参加資格審査申請を役所毎に提出→→審査→→問題が無ければ→→実績などを加味して、会社のランクを決め→→『入札参加資格』が認められます。

 国や地方公共団体の工事や物を発注する部署・それぞれに入札参加資格審査申請を提出する必要が有り、審査基準や有効期限がマチマチなので厄介です。 『入札参加資格』の詳細は書略します。

《 第三ステップ :情報の収集と担当者への働き掛け 》
 国や地方公共団体の情報は比較的簡単に入手出来ます。営業マンは自分が担当している機械装置が計画に入っている時は、役所の担当者に会って、「お手伝いさせて下さい」とお願いするのです。

 稀なケースでしたが、自民党の政治家の事務所から電話を掛けて貰わないと担当者が会ってくれない事が有りました。 役所の担当者が、「黒い金を集めるシステム」を公然と認めていたのです。

 私が勤務していた会社(K社)では、民間企業の情報を得るのは難しかったです。重電3社は、支店、営業所に情報収集のセンサー網を張り巡らしていて、重電3社に内緒にする事はほぼ不可能でした。 某国から大規模な装置をK社が受注した時、重役の一人が中堅の重電に大型のモーターを注文したら→→重電3社の1社(T社)の重役が乗り込んできて→→「貴社も談合しているでしょう! 本件は当社が受注する事になっていた。今回は目をつぶるが、次に同じ事をやったら重電3社との取引は出来なくなりますよ!」と言ったそうです。

《 第四ステップ :政治家への働き掛け 》
 官庁案件の場合は、各社がそれぞれ、別々の政治家にお願いしておきます。 例えば、A1社はa1先生、A2社はa2先生・・・A5社はa5先生に、「メーカ選定権利を得たらよろしく」とお願いしておきます。

 民間企業が顧客のケースでは、業界の談合組織の中で話し合って受注者を決めるのが原則でした。特別の県以外では、民間案件に政治家は介入しませんでした。 大手企業のKH社が、殆どの民間案件で、他社は勿論、KH社も赤字になる金額で見積書を提出して困りました。

緊急の金集め :総理大臣が代わる時は、20億円~30億円の金が必要になると言われていました。そんな時は、民間案件に政治家が介入して短時間に金を集めました。 例えば、民間企業(A社)が装置を→→B社に発注していたとします→→政治家からA社に「発注先をC社に変えてくれ」と圧力を掛けます→→A社は仕方なくC社に発注して、B社にお詫びします→→C社から黒い金が政治家に渡されたのです。

 C社は談合組織のルールを破った事になりますが、新総理大臣には逆らえませんから、談合組織内では問題になりませんでした。私は、こんな金集めで2回も被害を受けました。

《 第五ステップ :入札金額 》
 役所が「これ以上の金額では契約できない金額」を決めます。これを『予定価格』と呼びます。競争入札の場合は、各社が金額と会社名を書いた紙を封筒に入れて箱に入れます。役所の担当者が、全ての封筒を開けて→→一番安い金額を書いていた会社に発注します。 然し、全ての会社の価格が『予定価格』を上回っていたら、第2回目の入札が行われます。5回ほど入札しても、『予定価格』を下回る会社が出て来なかったら、日を改めて入札が行われている様でしたが、そんな事は私の経験では有りませんでした。

 政治家が落札して良い業者を決めましたが、『予定価格』は承知しておらず→→業者に教える事は有りませんでした。

 5社(A1社、・・・A5社)が入札するケースについて書きます。A1社がお願いしていた先生がメーカ決定権を得ました。A1社は残りのA2社~A5社にそれぞれ、第1回~第N回の入札金額を書いたメモを渡します。各社はそれぞれ、そのメモに書かれた金額で入札します。 入札を何回やっても、必ずA1社が一番安い様に仕組まれているのです。

 落札してはいけない会社(A3社)が第N回目に記入する金額を、間違えて二、三回目に書いてしまったので、A3社が落札してしまったケースが有りました。こんな場合は、(どんな業界でも)A3社がA1社にお願いして機械を作って貰い→→A3社が作った事にして納入しました。保守点検は、全てA1社が行いました。

 民間企業の入札でも同じような要領で行いました。大企業の入札で、1回だけハプニングが起こりました。私の勤務していた会社が落札する事になっていたのですが、何が何でも受注したい会社が、第1回目に『1円』と書いたのです。開封したのが、技術に詳しい温厚な紳士の重役さんでした。開封して、顔を真っ赤にされて、「君の会社の慈悲を受けなければならないほど、我が社は零落れていない!」と仰いました。

《 第六ステップ :政治家に黒い金を渡す 》
 納入が完了して役所から金が支払われると、企業が先生に黒い金を渡しました。 勿論、領収書は頂けません。

 渡す前に衆議院選挙が有るケースでは、先生は銀行から借金するケースが多かった様です。 先生が、黒い金を受け取る前に亡くなられた事が有りました。息子さんが補欠選挙で当選したら、多分、黒い金は息子さんに渡されたと想像します。血族で無い人が後を継いだら→→亡くなった先生の権利は、白紙に戻して→→先生達が話し合って→→別の先生が権利を得た様です。

 大昔、現役の国会議員(特に衆議院議員)が 急逝(きゅうせい)されて、銀行等に多額の借金が残ったケースが有りました。私は、そんな例を二、三知っています。

 黒い金は先生達の表か裏の事務所に現金で届けました。某県には黒い金を集める事務所が有って、全ての先生達の金はその事務所に一旦集めていました。別の某県では、社会党の古参の市会議員(M1氏)の事務所に一旦集めていました。 私が絡んでいた案件で、黒い金を渡す数ヶ月前に、市会議員選挙が有り、M1氏が立候補しなかったのです。 先生から、「社会党の市会議員(M2氏)の事務所に届けてくれ」と連絡が入りました。 金の一部は、M1氏とM2氏に渡っていたと想像しました。

【技術志向の役所】
 昔は、役人がメーカを決定するのは原則タブーでしたが、技術者を育てて、計画中の案件に最も適した装置/機械を製造するメーカを選定する役所が有りました。 旧国鉄や防衛省などです。

 民間企業でもプラントエンジニアリング会社(日揮、千代田など)は人材育成に力を入れて、日ごろから各種装置/機械の勉強をして、公平な機種/メーカ選定をしていました。

 近所の奥さんは免許書を持たず、体調が悪いので長時間・車に乗れませんでした。旦那さんが休みの日に、奥さんの気晴らしの為に、近くのスーパーに二人で買い物に車で出掛けていました。 大型のハイブリッド自動車に買い替えたのですが、経済的とは言えませんよね! 使用目的/条件によって機種を選定すべきなんです。

胡蝶蘭の育て方と楽しみ方

2024-01-06 11:31:10 | 趣味
【はじめに】
 昨年の年末にリホームしたクリニックに行ったら、入り口に胡蝶蘭を4鉢並べていました。先生に「見事な胡蝶蘭ですね! 私は30年以上育てていて、毎年花が咲きます。胡蝶蘭の寿命は50年以上だそうです。」と言うと、「誰も貰ってくれないので、処分に困っている。一鉢貰ってくれませんか?」と仰ったので、頂きました。

 数日後、電話が掛かってきて、「残りの三鉢も貰ってくれませんか?」と言われたので、手押し車を押して頂きに行きました。先生が「申し訳ない!申し訳ない!」と何回も仰るので、恐縮してしまいました。

 花は直ぐに切りました。妻が近所の奥さん達に配って、皆さん花瓶に生けたそうです。

【私の経験】
 私は1986年頃から『37年間』胡蝶蘭を育てています。最初の株は、近くに有った小さな花屋さんから、売れ残ったのを頂いたと記憶しています。 その花屋さんは、胡蝶蘭の育て方を知りませんでした。試行錯誤で私流のやり方で育てて来ました。 (現在は、胡蝶蘭の育て方をインターネット上で種々/丁寧に教えてくれています。) 

 私の妻は花が大好きです。街の商家の出なので→→『土いじり』の経験が無く→→庭付きの家を建てた当初は、植物を育てるのは私の役割でした。今では、『土いじり』が出来ます。

【用語】
 本書では次の用語を使用しています。

★ 胡蝶蘭=ファレノプシス
★ 茎   :葉がついている茎
★ 花茎 :花がついている茎
★ 節  :花茎に白っぽいリング状の物が有ります。茎から二番目のリングまでを第1節、・・・三番目から四番目のリングまでを第3節と呼びます。
★ 高芽 :花茎に葉と根が生えてきたものを『高芽』と呼びます。
★ 根腐れ :根腐れすると、根が黒く変色します。
★ 肥料の三要素 :Nは窒素、Pはリン酸、Kはカリウム 洋ラン用の肥料は『N-P-K:6-6-6 ビタミン入り』です。

【胡蝶蘭の寿命は?】
 胡蝶蘭は多年草で、寿命は『50年』とか『60年』と言われています。 私は『37年間』育てていますが、まだまだ元気なので寿命は『60年』以上かも知れません。多分、私よりも長生きしそうです!

 花の寿命は1ヶ月~2ヶ月ほどです。切り花にしても、結構長く咲いています。

【最適温度】
 人間が快適だと思う温度が、胡蝶蘭にとっても快適なんです。 北海道の住居では、一日中暖房するので、我が家(神戸市)よりも元気に育てられるそうです。

★ 最適温度 :18℃~25℃
★ 生育温度 :15℃~28℃

【開花時期】
 我が家の胡蝶蘭は、2月頃に花茎の下の方から開花が始まり、4月頃には花茎の先端まで開花します。先端まで開花したら、花茎を切って花瓶に差して楽しみます。

 第3節の上で花茎を切ると、四番目のリング状の所から花芽が出てきて、翌年花が咲きます。

【育てるポイント】
 胡蝶蘭は、可憐な花を咲かせるので、『か弱い』様に思われるようですが、結構・生命力が強い植物です。 普通の植物とは多々違いがあります。

 剪定ハサミの殺菌 :剪定ハサミを使用する時は、必ず殺菌しましょう! 私はタバコを吸うので、ライターで刃先を焼いています。

 胡蝶蘭に直射日光を当てるのは厳禁です。 我が家では南向きの部屋のガラス窓の内側に鉢を置いて、レースカーテン越し(ごし)に光を当てています。 2年ほど前から、妻がカーテンを開けて二、三時間直射日光を当てているのですが→→葉が青々と元気になり→→花芽が三つも出た株が有ります。

 『水遣り』は後述します。 エアコンを使っている部屋では→→部屋の湿度が低下するので→→葉の表と裏に水を噴霧器で吹き付けるのが良い様です。 我が家では冬、灯油ストーブを使っているので、噴霧はしていません。

 どんな植物を育てる場合も、植物が元気で、生育する温度の時に肥料をやるのが基本です。前述の様に、胡蝶蘭の生育温度は『15℃~28℃』です。 施肥の要領は後述します。

弱点❶ 直射日光 :直射日光が当たる所に置くと、胡蝶蘭は枯れてしまいます。
弱点❷ 根腐れ :鉢受け皿は常に乾燥している状態にして下さい。
弱点❸ 肥料過多 :胡蝶蘭はチョットしか肥料が要りません。

【頂いた後の最初の植え替え】
 花屋で売っている胡蝶蘭は、樹脂製の3号程の種苗ポット(直径9cm)に一株づつ植えて、大きな鉢に二株か三株入れています。 花を2ヶ月ほど鑑賞したら→→花茎を切って→→5号か6号の鉢に→→一株づつ植え替えましょう!

 種苗ポットから取り出したら→→黒く変色した根や枯れた根を切って→→用土はそのままにして→→植え替えて下さい。 次に書きます「植え替え要領を参考にして下さい。

【植え替えの要領】
 四、五年すると水苔が黒ずんで/劣化しますので、植え替えてやりましょう! この時、鉢を大きな物と取り換える必要は有りません。

 古い水苔を全て除去して、枯れた根、根腐れした根(黒く変色した根)を剪定ハサミを使って除去します。鉢底に少し水苔を入れ、根が水苔を抱く様にしたのを鉢に入れます。鉢の中央に株が来る様に、水苔を入れていきます。 鉢の底の方は水苔を『密』に入れる必要は有りませんが、鉢の上部は指先で水苔を強く押し込んで→→『密』にして→→株を固定させます。

 私は乾燥した水苔で植え替え、植え替えた後にタップリ水を遣ります。プロは水に浸した水苔を使用する様です。

 新しい葉が出ると、下の葉が枯れます。四、五年すると、茎の葉の付いていない部分が長くなってしまい、安定性/見た目が悪くなります。 (多分10年もすると、棕櫚(しゅろ)の様に、茎の先端に葉が茂る様になってしまいます。)

 一番下の葉が鉢の天辺になる様に、茎の下部を切除します。(切断した茎から根が出ていても大丈夫です。) そして、上述の要領で植え替えします。 長すぎる根は適当に切断して、水苔の中に押し込みます。

《鉢について》 私は6号の鉢を使用していますが、5号でも良いと思います。6号鉢の上部の内径は18cm、5号は15cm程です。通気性を良くする等の為に、胡蝶蘭用には鉢の高さは内径の半分(1/2)程度が好ましい様ですが、そんな鉢は手に入りません。なるべく、背の低い鉢を買われるべきです。

 胡蝶蘭には、通気性が良いので素焼きの鉢が好ましいと言われていますが、私は居間で育てているので、文様の付いた陶器の鉢を使用しています。

《水苔について》 私は、昔はニュージーランド産を買っていましたが、年金生活に入ってから、コーナンのメキシコ産の安い水苔(1kg入り)を使用しています。アマゾンからも入手出来ます。アマゾンの最近の価格は1kg入り=2,483円、500g入り=1,644円ですが、納期が『1ヶ月程』も掛かります。コーナンの店舗に行くと、10%以上高いですが、直ぐに買えます。

 メキシコ産には『粉状』の物が混入していますが、ニュージーランド産には少ないです。私の経験ではニュージーランド産の方が根を水苔で包み込むのが簡単なので、お金のある方にはニュージーランド産を推奨します。国産の水苔も市販されていますが、私が手を出せない価格です。

 1kg入りの水苔で、6号鉢だと『10鉢』ほど植え替える事が出来ます。

【水遣り】
 胡蝶蘭は、厚い葉や茎に水を溜めるのか?乾燥に強い植物です。寧ろ、水のやり過ぎによる根腐れが問題です。

 胡蝶蘭は乾燥に強い植物でから、頻繁に水遣りする必要は有りません。10日間ほど家を留守にしても大丈夫です。 我が家では、水苔が乾燥したらタップリ水遣りします。鉢から水が滴ら無くなったら→→鉢受け皿に戻します。 受け皿に水が溜まった状態で放置すると『根腐れ』します。

 寒くなったら午前中に水遣りします。極寒の時期は微温湯(ぬるまゆ)を与えています。

【施肥】
 花屋さんの説明書には「肥料を与える必要は無い」と書いているケースを見掛けますが、私は以下に示す時期以外に肥料を与えています。 弱った株に肥料を与えてはいけません。

 私は、適当な時期に水苔が乾燥したら→→ハイポネックスの洋ラン用原液タイプを『2,000倍以上』に薄めて→→鉢底から水が滴るほど、タップリとやっています。

・・・ 肥料を与えてはいけない時期 ・・・
★ 植え替え後 :植え替え後・1ヶ月間
★ 開花時期 :2月~4月頃
★ 超高温の夏季 :35℃以上
★ 花屋から購入した後 :花屋さんの説明書には「最初の植え替えから1年間~2年間は肥料を与えなくて良い」と書いていましたが、新しい葉が出て来る様になったら、肥料を与えています。

(注記 :ハイポネックス) 『ハイポネックス』は(株)ハイポネックスジャパンがアメリカのハイポネックス社(現在は、スコッツ・ミラクル・グロー社)から輸入して販売している商品です。粉末と液体が有り、液体には原液(薄めて使用する)タイプとストレート・タイプが有ります。私は、洋ラン用原液タイプを『2000倍以上』に薄めて使用しています。

 ハイポネックスには洋ラン用(N-P-K:6-6-6 ビタミン等)、一般植物用(6-10-5)、観葉植物用(7-4-4)、野菜・ハーブ用(6-6-6)等の種類があります。

【増やし方】
 花が終わって(散って)も花茎を(切らないで)其の儘(そのまま)にしておくと、花茎に『葉と根』が出て来る事が有る様で、これを『高芽』と呼ぶ様です。 胡蝶蘭は高芽を水苔に植えて増やす様です。

 私はまだ高芽の経験が無いのですが、今年は挑戦したいと考えています。上手く育てられたら、後日報告します。

 胡蝶蘭を受粉させて、『果実(種子)』を得るのは素人でも出来る様ですが、種子が養分を蓄えていないので、『ラン菌』に助けて貰わないと発芽出来ないと言われています。 種子から育てるのは、私には無理だと思います。

【私の教え子】
 十年ほど前に、時々我が家に遊びに来る近所の奥さん(Sさん)が胡蝶蘭・3株が入った鉢を娘さんから頂きました。 私が1株づつ分けて鉢植えしているのを見ておられたので、植え替えを頼まれました。 6号の鉢、水苔を買って来てもらって、我が家で、Sさんの目の前で私流のやり方で植え替えました。

 Sさんが頂いた胡蝶蘭は、1株は正常でしたが、2株の葉に病気が出ていたのですが、Sさんの強い要望で全て植え替えました。病気の2株は離して置くようにして貰いましたが、結局枯れてしまいました。Sさんは、花屋で2株買ってきて、私の目の前で植え替えました。以来、毎年・花を咲かせています。

 それから数年後にSさんの胡蝶蘭の茎が伸び過ぎて→→安定性が悪くなったので、「茎の下部を切り捨てて、植え替える要領」を伝授しました。

 数年前に、Sさんの友人(Mさん)の家に胡蝶蘭が届き、SさんがMさんに植え替え方を教えた様です。以来、Sさん、Mさん、そして私の妻の三人で競争して育てています。

(余談 :胡蝶蘭の病気) 私は、2株・根腐れで枯らした事が有りますが、害虫と病気の経験は有りません。(上述のSさんの発病した株は、手の施しようが無い状態で、枯れてしまいました。)