これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

小企業・N社の話し (1)

2023-08-27 09:36:21 | 工業技術
【はじめに】
 私は、50歳から4年強と60歳から4年強、合計9年弱、製紙機械を設計製造する小さな会社(N社)で働きました。N社は優れた点も有りましたが、問題点も沢山有りました。今回と次回は、N社の話しです。

 二代目の社長(N2氏)は、技術志向の優良企業にする事が夢でしたが、ボンクラ息子に会社を譲ったので、N社は12年程で立ち行かなくなり、社員数を半分ほどに減らして、大手製紙会社の子会社になってしまいました。

【N社の歴史】
 戦前に初代社長(N1氏)が某製紙工場の敷地内に事務所を設けて、その工場の機械をメンテナンスする会社を起こしました。 20年ほど後に、広い敷地を入手して工場を建てて、製紙機械を製造するN社を設立しました。N社は、最盛期に社員が200人程いた様です。

 N1氏は、工場の直ぐ近くに自宅を建てました。 N1氏は女性好きで、工場の近くに二号さんを囲って、自宅には殆ど帰らなくなった様です。 正妻さん(N1Wさん)には男の子(N2氏)がいました。 二号さんにも、N2氏と殆ど年の違わない男の子(N2B氏)がいました。

 N1氏は、工場の敷地内に減速機等を製造する別会社(NS社)を設立して、その経営は奥さん(N1Wさん)に任せました。 (NS社は、後に整理されました。)

 N1氏が亡くなった後、奥さん(N1Wさん)がN社を引き継ぎ→→後に、大手鉄鋼会社勤務だった息子(N2氏)を社長にしました。 二号さんが生んだ子供(N2B氏)が、「N社の経営権の一部を渡せ!」と訴訟を起こしました。この訴訟は、私がN社に出向した時点(1996年)では、まだ決着がついていませんでした。

 1980年頃に入社したA氏が、独学でシーケンサー制御を勉強して、早くからデジタル制御を導入した事で、煩雑な制御が必要な新製品の開発が出来、顧客の信用を勝ち取ったのだと思います。

 1993年に建設した新工場は、沢山金を掛けて、結構細かい配慮が施された、中小企業ではめったに見られない立派な工場でした。沼地の様な場所だった様ですが、重たい機械が組み立てられる様に、しっかりした基礎工事が施され、床はレール定盤になっていました。(レール定盤 :工場の床の水平度を高め、維持する為に、鉄道のレール状の金具を床に敷いたもの。)

・・・ N社の歴史 ・・・
★ 1938年 :N社創業
★ 1956年 :N社設立 ・・・田原義則氏がN社に入社されて、3年間ほど活躍された。
★ 1975年頃 :N2氏が会社を引き継ぐ
★ 1980年頃 :A氏が入社
★ 1993年 :新工場建設
★ 1996年~2000年 :私がN社に出向
★ 1998年 :M氏が入社
★ 2006年~09年 :私がN社に就職
★ 2010年頃 :N2氏が会長になられ→→ボンクラ息子のN3氏が社長に就任
★ 2012年頃 :N2氏が逝去された。
★ 2022年 :大手製紙会社がN社を買収

(余談 :故・田原義則氏) 明産(株)の創業者で、黄綬褒章を受章された故・田原義則氏の話です。 田原氏は旧制の工専(大阪工業専門学校→現在は大阪府立大学)を卒業された後→→N社に就職して、3年間ほど活躍された様です。

 N1氏の自宅(本宅)は会社の直ぐ近くに有って、二号さんを囲っていた家も歩ける距離にだったそうです。父親が遊んでくれないN2氏を可哀そうに思ったので、田原氏が時々遊んでやった様です。明産(株)の社長になられた後も、関西に出張したらN社に様子を見に来ていた様です。

 私は、N社に出向して直ぐに、(20歳ほど年上の)田原氏と親しく接して頂く様になりました。田原氏が顧客を訪問される時、何回か同行しました。 車中で技術/開発の話を夢中になってしました。

【N社の転機】
 1996年出向前に、私がN社の社長(N2氏)と面談したおり、「当社は技術志向の会社です」と自慢げに話されましたが、現実は程遠い状態でした。

(余談 :技術志向とは?!) N2氏の考える技術志向は、「新製品を開発して、不具合の発生しない機械を製造する」事だと考えている様でした。 私は、「先ず第一に、技術者を大切にして、適正に評価する」事だと思います。 社員が素晴らしいアイディアを出したら→→真摯(しんし)に検討して→→成果が得られたら→→昇給させたり、昇格させるのです。 そうしたら、会社は活性化して→→おのずから「技術志向の会社だ!」と世の中で認められる様になります。

 私がN社の財務状況を調べてみると、出向する数年前から、毎年・三千万円ほど赤字を出して、債務超過になる寸前の状態でした。 出向していた4年強の間に、赤字体質から脱却して→→内部留保が1億円以上貯まりました。

 社長(N2氏)は、「自分の力で会社を立て直せた」と考えていた様でしたが、社員の努力と以下に述べる様な、会社にとってラッキーな事が積み重なって黒字体質に変われたのだと私は思いました。

《転機❶ :新製品の開発》
 私が出向する二、三年前から実験装置を作って、社長(N2氏)とA氏がアイディアを出してリワインダー(巻取機)の開発をしていました。出向した時、ほぼ完成していました。私は、製造原価を計算して、某大手製紙会社(R社)に売り込む仕事を引き受けました。

 R社の某工場では一番規模の大きい製紙ラインを大改造して、生産能力を大幅にアップする計画を進めていました。N社が開発したリワインダーに自動化装置を加える案を作成しました。処理能力(生産量)がアップするだけでなく、大幅に作業員が減らせる案になりました。それまでは、4直✕4人=16人で操業していたのを→→4直✕2人=8人にする案でした。更に、製品の品質を向上出来る可能性が有りました。

 予想製造原価を計算して、売値を14,000万円にしようと考えました。R社の予算とピッタリだと分かりました。 R社では、作業員を一人減らせると、『1,000万円/年』の削減になる事が判明したので、R社の担当課長に「24,000万円で買って欲しい」と申し入れしました。彼は、「そんな美味い話が有るわけが無い!」、「重役に直接説明してくれ」と言いました。

 重役に説明すると、「君の言う様に作業員が8人削減出来たら、1億円追加で支払う」と言ってくれました。社長(N2氏)に報告したら、「14,000万円で良い。1億円も余分に儲かったら会社が駄目になる」と言われました。

 試運転で、2人で余裕をもって操業出来る事が確認できました。それ以来、重役、N2氏と私の三人で、技術の話しを肴にして時々呑む様になりました。

 この新型リワインダーと省力化/自動化機械によって、N社は黒字体質になりました。省力化/自動化のアイディアが次々に出て、製品化しました。

《転機❷ :社長が長年温めてきたアイディア》
 2008年頃に、某製紙会社(M社)から設備診断の依頼があり、社長(N2氏)と私が行きました。大正時代に製造された機械で、何時壊れても不思議で無い状態でした。「特急で見積書を提出して欲しい」と依頼されました。

 M社には金が有りそうに思えなかったので、三千万円値引き要求が有っても、十分利益が得られる見積金額にして、N2氏と二人で説明に行きました。 何と!「この金額で良いから、直ぐ設計に着手して下さい」と言うのです。

 設計に着手して→→1ヶ月ほど後に、関係者を集めて→→N2氏が機能を追加すると言い出しました。 客先は要求していなかったので、社員全員反対しましたが、社長命令だと言って押し切りました。 私は、M社が、そんな機能が活用できる紙種を製造していない事を知っていたのですが、反対しませんでした。

 新仕様での製造原価を計算してみると、ちょうど三千万円アップになったので、適正利益は確保出来ると判断しました。

 追加した仕様は、N2氏が全国の製紙ラインを見学して「N社で一度作ってみたい!」と考えていた機構だったのです。(N社では、実績が全く無い機構だったのです。)

 私の予想通り、M社では追加した機能は全く使って貰えませんでした。 大手製紙会社から依頼が有った設備診断で、M社で追加した機構で問題が解決すると考えるケースが有りました。 「実績が有るか?」と言われたので、「M社に見学させて頂けないか?」とダメもとで電話すると、了解して貰えました。

 そんなケースが何件か有って、「N社は技術志向の会社」だと認められる様になって行ったのです。

《転機❸ :M氏の入社》
 某重機械メーカーの子会社(T社)が製紙機械を手掛けていました。T社は赤字続きだったので、倒産すると噂されていました。T社の設計課長(M氏)とN2氏は昔から昵懇(じっこん)の関係だった様です。1998年に、M氏が機械設計課長としてN社に入社する事になりました。

 M氏は私と同い年で、家が埼玉県に有り、1年間単身赴任したら→→N社が家の近くに事務所を設ける約束で入社しました。社長は約束を守らず、私がN社を辞めた2009年時点でも単身赴任のままでした。 T社は倒産寸前だったので、T社でのM氏の給料は安かったので→→社長は足元を見て→→M氏の給料を、気の毒なほど安く設定しました。 「社長の冷たい性格を見てしまった」様に思いました。

 M氏は、製紙会社に顔が広くて、勉強家で、製紙機械の経験/知識が豊富でした。 社長が舌足らずの説明をしても、アイディアを具体化(図面化)出来ました。

 M氏は、明るくて、人格者で、思いやりの有る方だったので、設計室の雰囲気を良くしました。この点でも、貢献は大だったと私は思いました。

《転機❹ :大企業の撤退》
 世界の製紙機械メーカーとしては、『バルメット』と『フォイト』と言う巨大企業が有ります。 かって日本では、三菱重工、住友重機械工業が製紙機械も手掛けていましたが、2社とも撤退しています。 現在、大手企業では、フォイトと提携しているIHIだけが頑張っています。

 難しい工学計算やシミュレーション計算が必要になるケースでは、大手製紙会社からN社に引き合いが来る様になりました。

【エピローグ】
 2009年頃に、「三菱重工で製紙機械の設計を担当されていた方をヘッドハンティングしては?」と言う話が来ました。私は大賛成しました。トントン拍子に話が進み→→入社が決定した時→→社長(N2氏)が私に、「給料を捻出出来ない」と言い出しました。N社の財務状況を、私はN2氏以上に把握していたので、「二人は要らない」と言う事だと判断して、辞める事にしました。(私は年金を満額貰える年になっていました。)

 N2氏が、「二、三年後に会社を誰かに譲るつもりだから、その時は電話する。君と二人で機械の開発をやりたい」と言われました。 2012年に電話が有って、「今入院しているが、3ヶ月ほどしたら退院できる。君と開発をするのを楽しみにしている」と言われました。

 半年ほど待っても電話が無かったので、N社に電話すると、「亡くなられました」とのことでした。 私は、「A氏か、三菱重工から引き抜いた方を社長にされてのでは?」と考えていたのですが、ボンクラ息子(N3氏)が社長になっていました。

 数年でN社は倒産すると予想していたのですが、社員が頑張ったのか? 2022年まで持ちこたえましたが、大手製紙会社から金と社長を出して貰って、何とか現在も生き残っています。

中小企業で必要な人材の育成 (2)

2023-08-21 07:44:35 | 会社の活性化
【はじめに】
 『習うより慣れよ』と言う”ことわざ”が有ります。難しい仕事でも、若い時から日常的に取り組むので有れば、普通の人間でも出来る様になります。 逆に、優秀な人間でも、学校を卒業して10年とか、20年後に難しい仕事に取り組むのは苦痛になります。 私は70歳を過ぎて、「それが、人間の本質だ!」と思うようになりました。

 大企業では、めったに必要にならない仕事を担当する専門の社員を雇う余裕が有ります。 然し、中小企業には余裕が有りません。

 日本には沢山中小企業が有り、日本の産業を支えています。 中小企業で時々必要になる仕事を手伝う機構を国が設けるべきだと考えています。

『シルバー人材センター』は、庭の草引き、買い物や賄い等の分野で活躍する様になています。 『ダイヤモンド人材センター』と言う機構を作って、貴重な人材にリタイヤ後にも活躍してもらうと、中小企業が活性化出来ると思います。

★★★ 中小企業と数学 ★★★
【中小企業で数学が必要になって来た背景】
 需要が少ない分野(ニッチ市場)でも、昔は大手企業が何とか(細々と)頑張っていましたが→→ドンドン撤退して→→現在は中小企業だけが残っています。 製造ラインに必要不可欠な機械/装置でも、数年に一回しか注文が無い装置では、中小企業さえも撤退してしまったケースも有ります。

 ニッチ市場では、技術的に難しいと思われる機械/装置は、多少高くても大企業に発注していましたが、今では中小企業で作って貰わざるを得なくなっています。→→その為に、時々ですが中小企業で工学計算(強度計算など)やシミュレーションプログラムが必要になって来ているのです。

【鉄は熱いうちに打て】
 私の経験では、東大や京大の工学部卒の社員でも、入社後数年間、数学やプログラム作成が必要で無い部署に配属されていると、プログラム作成は”言わずもがな”で、計算でも少し難しいと四苦八苦していました。

 大抵の大手企業には『研究所』が有るので、大学を出て直ぐに計算やプログラム作成が不可欠な仕事に付く事が出来ます。 私の様に特別優秀で無い人間でも、最初から研究所に配属されると計算やプログラム作成が好きになります。

 技術志向の中小企業でも、工学計算が必要になるのは年に何回しか有りません。 従って、数学が得意な大卒を雇っても、難しい計算が出来る様に育てるのが難しいのです。

【某社の対策】
 社員百数十名の精密加工企業(M社)では、年に数回、幾何学を用いた計算が必要でした。M社は、高校で幾何学を教えていた先生を定年退職後に顧問になって貰っていました。先生が年老いると→→定年間近(まぢか)の先生を紹介して貰っていました。

余談) M社はヨーロッパ製の高価な工作機械を結構沢山所有していました。工作機械の輸入商社のOBを顧問に雇って、日本で開催される工作機械の展示会に持ち込んだヨーロッパ製の工作機械を格安で入手していました。 工作機械メーカとしては、展示品をヨーロッパに持ち帰る費用を考えると、安い値段で売った方が得なのです。


★★ ダイヤモンド人材センター ★★★
 冒頭に『ダイヤモンド人材センター』の設立を提案しましたが、私が考えているセンターの役割を以下に書いておきます。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ①】
 多分、大手企業で騒音と振動対策の仕事をされていた方だと思うのですが、定年後に高速フーリエ変換器(FFTアナライザー)等々の騒音/振動測定器を一式買い揃え→→ワゴン車を買って→→奥さんを助手にして→→遠方まで騒音と振動を測定に行く方がおられました。

 M重工の研究所が、騒音と振動を測定し、原因究明をする商売をしていました。日本で一番権威が有ると言われていました。顧客からM重工の報告書を見せて貰った事が有りますが、原因の特定は出来ていませんでした。

 原因を究明するには、問題になっている機械装置の特性を十二分に把握する必要が有るのです。単に測定するだけで無く、想像を逞しくして考察しながらデーターを採取しなければなりません。ある特定の運転条件の時だけ振動や騒音が大きくなるケースが多々有ります。運転条件によって、ドンナ違った事が起こるのか?

 高熱が出ても風邪とは限りません。医者は問診、尿検査、血液検査等々して、場合によっては大きな病院でX線CT検査やMIR検査を受ける様にアドバイスします。

 私は昔、大きな振動を発生している製紙ラインの診断を依頼された事が有ります。(私の前に、M重工が振動を測定していましたが、原因究明は出来ていませんでした。) 何日も掛けて各部の振動を測定しました。私が出した結論は「建物の強度不足」でした。一級建築士を呼んでもらって、建物の補強について検討しました。1億円を優に超える工事が必要と言う結論になりました。工事完了後に運転を再開した時、振動が大幅に低下していたので胸をなで下ろしました。

 ダイヤモンド人材センターが、騒音/振動測定者に当該の機械に詳しい人を紹介して、コンビで仕事をして貰ったら、原因を究明出来るケースが増えると思います。

(余談) 私は若い頃から、騒音と振動が問題になる何種類もの機械の仕事をして来たので、高速フーリエ変換器の扱いには慣れていました。最初に出向した会社で、高速フーリエ変換器を買って貰って、製紙工場で騒音/振動対策をアドバイスする仕事もやりました。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ②】
 直線状の鉄や木材を組み合わせた構造物が有ります。 これを『骨組構造(トラス構造/ラーメン構造)』と呼びます。

 三次元CADと、有限要素法と言う計算ソフトを使って骨組構造物の設計を請け負う個人設計事務所が有ります。 十数年前に設計事務所を立ち上げた時、「やって行けるのか?」と思いましたが、今でも頑張っています。 ダイヤモンド人材センターが、特殊な仕事が出来る会社を調査して→→インターネット上で紹介したら→→中小企業を活性化出来ると思います。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ③】
 機械製造の中小企業に出入りしている設計事務所の社長が、工学計算が必要と思われるケースで、計算が出来る人を紹介する商売を始めようとしました。私も2回依頼された事が有ります。

 2回とも結構難しい計算が必要でした。 計算書を持参して、設計事務所の社長と顧客に説明に行ったのですが、2社とも計算内容が全く理解出来ませんでした。「こんな難しい計算が必要なら、開発は断念する」と言って、結局一銭も払って貰えませんでした→→商売にはならなかったのです。

 「難しい計算が必要になったら、ダイヤモンド人材センターに相談したら何時でも優秀な人を紹介して貰える」体制が整ったら、中小企業の社長さんは、難しい機械の開発に取り組む様になると思います。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ④】
 金属が破断すると→→原因によって異なる模様が現れます。走査型電子顕微鏡と言う極めて高価な装置で写真を撮って原因を究明します。原因究明には知識と経験が必要です。

 機械の部品が破断するトラブルが発生すると→→人身事故が発生する恐れが有るので→→徹底的に原因を究明して→→対策を講じる必要が有ります。昔は、大手企業には破断面の模様に詳しい専門の社員が一人か二人いました。大企業でも破断トラブルは、年に2~3回起こるか?どうか?です。専門社員を置く余裕が無くなった会社も出て来ているので、非破壊検査を行う会社が、「破断原因の究明」を行う様になっています。

 ダイヤモンド人材センターが、定年退職した金属の破断に詳しい人に、キーエンスの電子顕微鏡などのコンパクトな機器を貸し出して、自宅で仕事を続けて貰う様にすべきだと思います。 頭さえしっかりしていたら、体力が低下しても、この仕事は続けられます。

(余談) 2010年頃に連結社員が5,000人以上いる東証一部上場の企業(T社)が製造した機械が破断し→→重さが50kgほど有る部品が、作業員の直ぐ近くに落下した様です。T社には破断面模様の専門社員がいなかったので、別の会社に原因究明が依頼されました。 私は、破断面の写真を見せて貰ったのですが、疲労破壊した時に現れる典型的な模様(ビーチマーク)でした。 乗用車や食品で不具合が発生すると、『リコール』が行われますが、この時、T社は内密に処理して、リコールはやりませんでした! ”くわばらくわばら”

(余談 :キーエンスの電子顕微鏡) 1995年頃、キーエンスの営業マンが、「電子顕微鏡を使って見て、感想を聞かせて欲しい」と言って来ました。当時、私は『紙』に関連した研究開発をしていたので、種々の紙の表面を観察して見ました。 光学顕微鏡では見えない、繊維の絡まり方が、紙の種類で違う事が分かりました。

 「種々の分野の研究で使用出来る」と思い、是非とも購入したかったのですが、非常に高価(700万円ほど?)だったので、断念せざるを得ませんでした。

 キーエンスの電子顕微鏡は沢山売れている様で、現在は、中古品市場が出来ているので中古品を300万円以下で入手出来ます。破断面の観察/写真撮影にも利用されている様です。

【私の工学計算の経験】
 私は大企業に就職したので、専門書を沢山所蔵した図書館が有り、研究所に支援を依頼する事が出来、国立の研究所や大学の支援も得る事が出来ました。 出向して中小企業で働く様になると、専門書が殆ど無く、JISハンドブックも有りませんでした。 小遣いで専門書を買い揃えました。欲しい本は大抵絶版になっていたので、日本で唯一残っている自然科学系古書専門店『明倫館書店』に探求書として依頼して入手しました。10年間ほどで、100万円以上使いました。

 JISなどの規格は、国はインターネット上に公開して無償で読める様にすべきだと思います。印刷する前にデジタル化されますから、手間と金はそんなに掛からないと思われます。 (日本規格協会は猛反対すると予想します。)

 中小企業で仕事をする様になって、一番困ったのは❶材料の機械的性質、❷物性値等のデータを集める事でした。通商産業省に外郭団体を作って、工学計算に必要なデーターを収集/整理して、インターネット上に公開して欲しいです!

★ JIS(日本産業規格)等の規格を、インターネットで無料で読める様にする。
★ 材料の機械的性質や物性値等のデータを整理して→→インターネット上に公開する。

(余談 :関西国立国会図書館) 国会議事堂の近くに国立国会図書館が有ります。 2002年に『関西国立国会図書館』が出来ましたが、トンデモナク交通が不便な所に有ります。友人が所有する一戸建ての草引きに行った時、近所を探索しようと歩いていたら、関西国立国会図書館を見付けました。一番近い駅は、近鉄の木津川台駅だと思いますが、駅の近くには一軒も店が無く、タクシー乗り場も有りません。駅からだと、1.5kmほど有ります。

 法律で、日本で出版される図書は全て国会図書館に納入しなければなりません→→納入されると→→蔵書印と(年月日の入った)受入登録印が押されます。 特許が出願されたとします。その発明が、出願年月日前に出版された図書に記載されていると、特許権を得る事が出来ません。 この時、図書に記載された『発行年月日』では無く、国会図書館の受入登録印の年月日が判断基準になります。


★★★ 余談 :中小企業診断士は活躍出来るか? ★★★
 1982年頃、私は東京勤務でした。事務所から数百メートルほどのビルに、中小企業診断士の教室が有りました。ポケットマネーを出して、定時後に何か月か通いました。私は大学で機械工学を学んだので『財務/会計に関する知識』が乏しかったので、極めて多忙でしたが中小企業診断士の教室で勉強したのです。

 中小企業診断士は、個々の中小企業の問題点を抽出して、アドバイスするのが仕事です。

 私は、それまでに沢山中小企業と取引していて、昵懇(じっこん)になった社長も十人以上いました。私が付き合った全ての中小企業の財務状況は良好でしたが、「ここを改善したら、もっと良くなると思われる点」が多々有りました。

 問題が沢山有る会社の社長は、中小企業診断士は雇は無いと思います。 問題意識を持った社員が、実践して見せたら、彼のアイディアを採用するかも知れません。「勝手な事はするな!」と言う可能性の方が高いです。

 中小企業診断士の資格を持っていても、それで食べて行くのは難しいのが現状です。 大手企業に勤務している間に資格を取って、定年後に中小企業のコンサルタントをして小遣い稼ぎをしている方が多いい様です。 そんな人を含めても、資格を持っている方で、資格を活用しているのは30%以下と言われています。

(余談の余談 :一国一城の主) 私は、昔2年間ほど農業機械の開発をしました。その時、数県の(大規模な)専業農家を訪ねて意見を聞いて回った事が有りました。

 専業農家の主人と中小企業の社長には沢山共通点が有ります。その一つは、『一国一城の主(あるじ)』だと言う事です。

 仕事が好きで、日々工夫する農家の主人と会社の社長さん達と話す機会が有りました。 

❶ ハウス栽培農家 : 一町歩(≒10,000平方メートル≒3,000坪)の稲作農家の年収は100万円ほどですが、野菜農家の場合は400万円~500万円ほどです。 某JA(農業協同組合)で最も成功しているハウス栽培農家を紹介して貰いました。「僕は、今年高く売れそうな野菜を予想して、栽培面積を増減させているだけです」と言っていました。 彼のハウスの面積は一町歩以下でしたが、「毎年の売り上げは3,000万円以上有る」とJAの担当者は言っていました。

❷ 細穴加工業者 :2000年頃、私は長さが2m~4m、外径が200mm~400mm、肉厚が30mm~40mm程のパイプ状の鉄に、軸方向に20mm~30mmの穴を沢山開ける必要が有りました。10社程の工場を見学させて貰って、同じ図面と同じ素材で3社に試作を依頼しました。 一番納期が短くて、安かった会社(S社)の加工精度が最も高かったです。

 S社に定期的に依頼する様になりました。近くに出張した時は、S社を訪問して、社長(S氏)と雑談しました。S氏は頭を使うのが好きで、市販の加工機械を種々改良して、素材毎に送り速度を変える等の工夫をしていました。

 S氏と信用金庫の担当者が話している時に、何回か行った事が有ります。 当時、S社は、それぞれ200坪程の汚い工場・3か所で操業していました。信用金庫の担当者は、「貯金が十分有るから、1,000坪の敷地を買って、工場を集約した方が良い」と奨めていました。S氏は、「仕事が多過ぎて、新工場を考える余裕が無い」、「私に新工場を建設して欲しい」と言うのです。


★★★ 気が滅入ってしまいました! ★★★
 古い古い友人の誤解で絶交状態になってしまい、気が滅入ってしまいました! そんな分けで筆が進まず、一週間ブログを休んでしまいました!

中小企業で必要な人材の育成 (1)

2023-08-06 12:45:11 | 中小企業の活性化
【はじめに】
 今回と次回は、「製造業の中小企業で最も必要と思われる人材をドウ育てるか」と言う問題について書きます。

 私は若い頃から、沢山の中小企業と付き合いました。 ちょうど50歳になった時から、製造業の小企業・数社に出向し→→60歳から小企業に再就職して働きました。

 中小企業には種々の問題点が有りますが、共通しているのは、❶コスト計算が苦手、❷工学計算(強度計算やシミュレーション・プログラムの作成等々)が出来ない、❸人間関係が難しい等の問題を抱えている事でした。❸の問題はさておいて、❶と❷の問題は国が支援したら、改善出来ると私は考えています。

 ニッチ市場(需要の少ない分野)では、大手企業は撤退しているので、中小企業が活躍する様になっています。 日本には大小の商社が有るので、海外からも中小企業に引き合い/注文が入る時代になっています。

【余談 :ビーター】
 現在でもスピーカーの一部に『コーン紙』が使用されています。コーン紙は種々の紙の原料を混ぜ合わせて製造されます。 コーン紙の原料を混ぜ合わせる機械を『ビーター』と呼びます。

 昔、コーン紙の多くは日本で製造されていました。そんな時代には、ビーターを製造する会社が日本にも何社か有った様ですが、コーン紙の製造拠点が日本→→台湾→→韓国に移ったので、日本のビーター製造会社は(全て?)撤退してしまいました。一社が会社を閉める時、(次回に紹介する)N社に図面を渡しました。

 私はN社で、韓国の某社から依頼されてビーターを2台製作した事が有ります。ビーターは原始的な機械ですが、チョットしたノウハウが必要です。ビーターの需要は世界で数年に一台くらいしか無いと思われるので、商売としては成り立ちません。

【コスト計算の出来る人材育成】
 私の経験では、何かを製造する(作る)中小企業では、作った物を『いくらで売ったら、いくら儲かるか?』が計算出来る社員が極めて少ないのが現状です。

 「美味いと評判で、繁盛していた新規ラーメン・チェーン店が倒産するのは何故か?」と(京セラの創業者)稲盛和夫氏に問うたら、「コストを計算しないで売るから、売れば売るほど赤字が膨らむからだ!」と言う様な回答をされたそうです。

 パソコン(PC)が安価になり、中小企業でもPCは必需品になっています。サーバーも安価になっていますので、社内ネットワークを構築した中小企業も増加しています。

 購入金額、支払い金額などを中小企業の一部では、PCを活用してデジタル化しています。そんなデータを活用して、その会社の状況を踏まえた原価計算プログラムを作成したら、経理担当者が見積積算が出来る様になると、私は考えています。

 然し、中小企業で原価計算プログラムを作成出来る社員を育てるのは、至難の業(ほぼ不可能)だと思います。

 中小企業診断士の様な、『原価計算士』認定制度を国は設置すべきだと考えます。法律に、(弁護士と同様に)「原価計算士は守秘義務を負う」と明記しておく事がポイントです。 『原価計算士』だったら、ラーメン・チェーン店の製造原価を簡単に算出出来ると思います。

 中小企業にも色々有り、それぞれ歴史と事情を抱えています。『原価計算士』は中小企業で実際に働きながら、その会社に最適な原価計算プログラムを作成すべきです。完成したら→→別の会社に移って→→その会社専用の原価計算プログラムを作る・・・

【製造業のコスト計算の難しさ】
 小売業の場合は、「幾らで売れば儲かるか?」比較的簡単に計算出来ますが、人手と機械を掛けて物を作って売る商売では、製造原価を計算するのは難しいです。物作りには興味が有っても、製造原価計算を疎かにする社長が現在でも結構沢山いると思います。

 1セットの販売価格が数千万円以上になる機械装置の製造原価(工場出荷コスト)を見積もるのは、パソコンを使用しても、手間が掛かり/難しいです。

 社長の『勘』で見積金額を決めている会社へのアドバイスです! 先ず、1セットの販売価格が数百万円以下の案件で、ザックっとした(見積精度10%を目標に)積算で見積金額を求めてみて下さい。受注後に、「見積に『抜け』が無かったか?」と言う問題意識を持って、進捗状況をチェックして下さい。

 先ずは、購入品の型番と金額を集計する『エクセル・ブック』を作りましょう! 加工外注品の支払い金額もエクセルでデータ化しましょう! 『原価計算士』が誕生したら、自社用の原価計算プログラムを作って貰いましょう!

【私のコスト計算の経験】
 私は1971年に大企業(K社)に入社後、10年間ほど顧客の要求仕様で一々設計する機械装置(非汎用機械装置)の設計を担当しました。1セットの価格が数千万円~3億円ほどしました。

 K社では、既にIBM社製の大型コンピューターを導入し、電話回線を利用して本社/各営業所/各工場を結んだ社内ネットワーク・システムを構築していました。

 見積/予算管理/工程管理などに使用する『生産管理プログラム』が有り、大型コンピューターに入っていました。 このプログラムへのアクセス権が設定されていました。 設計部の主担当者と見積部署の担当者は、このプログラムのほぼ全てのデータを見る事が出来ましたが、その他の社員は限定された範囲のデータしか見れなくなっていました。何年も前に終了した工事(ジョブ)のデータも取り出す事が出来ました。 (製造原価は極秘情報ですから、『生産管理プログラム』へのアクセス権設定は不可欠です!)

 数千万円以上になる装置でも、10日以内に見積金額を出す必要が有りました。『生産管理プログラム』が無かったら、そんな短時間には出来ません。

 設計が作成する図面は、①現地据付け図、②組立図、③部分組立図、④部品図で、それぞれの図番で(人件費を除いた)製作原価が把握出来る様になっていました。 他社から購入する部品/機器を全て図面化したので、その図番を『生産管理プログラム』にインプットすると購入価格が分かりました。

 新規の見積を始める時→→よく似た過去の案件を探して→→『生産管理プログラム』で実績原価を調べ→→今回の相違点を加味して→→予想工場出荷価格を計算していたのです。

・・・ 生産管理プログラムの概要 ・・・
ステップ❶ :顧客から営業部に見積依頼が入る→→営業部から設計部に見積依頼依頼書を発行する。
 この時、営業部は見積番号(Eナンバー)を大型コンピューターにインプットし→→予想工場出荷価格が欲しい日時、積算の精度(3%~10%)もインプットしました。

ステップ❷ :設計部で見積が出来る資料を作成し→→見積課で『予想工場出荷価格リスト』を算出し→→コンピューターにインプットし→→営業部で営業経費、利益などを加味して見積書を作成し→→顧客に提出しました。
 見積課が作成する資料には、設計と現場に許される作業時間(人件費)、購入品毎の注文金額、加工外注費などが細かく記載されていました。
 見積書提出時に、技術説明が要求されるケースが多々有り、設計担当者が同席しました。

ステップ❸ :顧客から営業部に注文が入る→→営業部で工事番号(Oナンバー)をインプットすると→→前述の見積課がインプットしていた『予想工場出荷価格リスト』が→→ジョブの『予算リスト』になりました。

ステップ❹ :設計部が図面や購入機器の仕様書を作成する→→資材課が仕入先や外注先を検討し→→金額が決定すると→→金額/発注先/納入予定日をインプットしました。
 資材課は、一品毎に予算内だったか?をチェックし→→オーバーした場合は『異常』とインプットしました。

ステップ❺ :購入した機器や部品が入荷すると→→受け入れ検査をして、『入荷済み』とインプットし→→自動倉庫などに保管し、保管場所をインプットし→→資材課が金を支払い/日にちをインプットしました。

ステップ❻ :組立作業が開始されると、機器や部品を取りに行って→→倉庫の担当者が、受け取った社員の氏名と日時をインプットしました。

ステップ❼ :設計部の主担当者が、『生産管理プログラム』にインプットされた情報をチェックして→→毎月一度、進捗報告書を作成しました。
 主担当者は、「①予算内に収める、②顧客が要求する納期を守る」責任を負わされていました。

(注記 :作業日報) 『作業日報』と言う用紙が有って、設計と現場社員が毎日、どの『Oナンバー』で何時間働いたか記入し、『生産管理プログラム』に担当の女性社員がインプットしていました。 然し、『Oナンバー』に各部署のトータル作業時間が決められていたので、超過した分はインプットしませんでした。 換言すると、『生産管理プログラム』のデータから必要な作業時間は把握出来なかったのです。