これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

敷布団に掃除機を掛けてみませんか!

2018-05-26 16:03:45 | 掃除
 敷布団を掃除機で吸引してみると、もの凄いホコリが出ました。その晩は、天気の良い日に布団干した時の様に気持ちよく寝れました。まだ、やった事の無い方にはお勧めです!

 私は、ホコリの量が目視で確認出来る、ダイソン製ハンディタイプの掃除機を使用しています。布団を吸引する時は『ミニモーターヘッド』を装着しています。

 私は掃除を始める前に、掃除機の内部に溜まったゴミを捨ておき、何処から、どれだけホコリが出るか確認しながら掃除しています。 絨毯からも予想以上のホコリが出ます。孫が来てくれる前には、絨毯に念入りに掃除機を掛ける様にしています。

 なお、最近はダイソン以外にも数社からハンディタイプのサイクロン掃除機が(手ごろな価格で)販売されています。

 息子の嫁に、「敷布団を掃除機で吸引して見たら、想像以上にホコリが出た!」と話したら、「私も、何時もビックリしています!」と言われた。「なんだ!皆さんやっているのか。」と思ったのですが、「まだ、知らない方がおられるのでは?」と考え、この記事を書きました。



【余談】
 私は、種々の分野の機械・装置の開発に携わってきました。サイクロンを組み込んだ装置も3機種手掛けました。(いずれもサイクロンの胴の直径が2メートルほどある大きな物でした。)
 そんな訳でダイソンのサイクロン掃除機を買ってみたいと前から思っていました。近年、安価な製品が出ましたので、私も手に入れる事が出来ました。
 良く出来ています! 内部構造が見えるので、サイクロンを設計している方にとっては参考になると思います。

父と母と南高梅

2018-05-20 12:26:00 | 果樹
 十年ほど前に、コーナンで南高梅の苗木を見付け、我が家の庭に一本植えました。大事に!大事に!育ててきたので、三年程前から食べきれない程、沢山実を付けます。
 添付の写真は10日ほど前に撮った我が家の南高梅です。毎年、6月の20日頃にほとんど青梅で収穫しています。

 南高梅の本場は和歌山県の南部町ですが、本格的に植え始めたのは(私の故郷)龍神村だったのではないかと、私は思います。

 戦後、帰還兵や都会に移住していた人達が村(当時は合併前で下山路村)に帰ってきて、人口が急増しました。村の旦那衆が数人で、開墾の検討や現金収入の方策などを話あっていました。

 最初は、山の裾野を開墾して畑を造り薩摩芋やじゃが芋などの食糧を作り、現金を得るために杉や檜の苗を育てました。次の手段は確実なものが無く、それぞれ旦那衆が自分のアイディアを試して見る事になりました。『花き』の苗や球根、『林檎』の栽培など。

 私の父は、『村の梅は、南部町が不作の年にも多数実を付ける』と昔から言われていることを思い出し、南部高校の竹中勝太郎教諭に相談に行きました。「花が咲いた後に霜が来ると不作になる、あなたの村の開花は遅いから霜の被害が少ないのかも?」と言われたそうです。「これから始めるのなら、『高田梅』を推奨する」と言われ、苗木を手配してくれました。

 当時はまだ『高田梅』で、『南高梅』とは呼ばれていませんでした!

 最初は我が家の小さな畑、数面に十本ほど南高梅を植えました。姉達が巣立って行くと必要な食糧が減って、残りの畑にも植えていきました。1958年頃には殆どの畑と、栗畑が梅畑になっていました。

 1960年代の初め頃には沢山収穫出来る様になりましたが、梅のお金の話は母が亡くなる年まで私には一切言いませんでした。母は病床で、「近所の人達とトラック一台分の収穫が得られる様になった時、大阪の市場に出荷したけど、一粒も売れないでトラックが帰ってきた。次の年も全く売れなかった。3年目になってやっと、(完売した)トラックが空で帰って来た時は、涙が出た」と話しました。

 父は、村の人達に『南高梅』を推奨していましたので、売れなかった2年間は辛かったと思います!

 その後、龍神村でも沢山『南高梅』が植えられましたが、高齢化が進んで、近年は殆ど手入れのされていない梅畑が増えて来ています。残念です!


今年も芍薬の花が咲きました。

2018-05-12 10:45:58 | 園芸
 先月、プログで紹介しました『牡丹』と同時(三十数年前)に、山奥の実家の庭から芍薬も移植しました。今年も沢山花が咲き、今日最後の花芽が開き始めました。

 この芍薬も、田舎の庭に植えたのは明治時代の様ですから、100才を超えています。

 田舎では施肥、水やり、その他の一切の手入をしなかったので、繁茂し過ぎる事も無く、毎年十輪ほどの花を咲かせていました。

 我が家の庭に移植する時、日当たりの良い場所を選んで、腐葉土などの有機物を沢山入れて植えました。そのためか、とても100才を超えているとは思えない程、元気はつらつです。

 毎年春になると芍薬は、全部成長したら葉を広げるスペースが無いほど多くの芽を出します。適当な間隔になるように、私は芽を摘んでやります。

 今年、芍薬の芽を摘みながら思ったのですが、人間は何故か豊かになったら『子供は要らない!』とか『子供は二人しかいらない!』とか考える様になる。

 人間にも『子孫を増やしたい!』と言う本能があるのに、『遊びたい!』とか『〇〇も××も欲しい!』とか考えるのですね? 自分で『芽摘み』をしているわけです。

 自分の子供や孫は可愛いと思い、他人の子供はそれ程には思わないのは、多分本能だと思うのですが! 人間の脳細胞は、その人(主人)に内緒で本能の一部を蹴散らしているんですね!

添付の写真は、我が家の芍薬です。


ブラック企業(その4)

2018-05-08 16:20:06 | 社会問題
 今回は、私が務めていた企業であった、恥ずかしい話しです。
 大学で技術系の学科を卒業したのに、技術とは縁遠いい部署で過ごし、偉くなって工場長に就任した方の話しです。 私は、この工場長は刑事訴追をされるべきだったと考えています。

 この工場の勤務時間は8am~5pm(1時間休憩)でしたが、この工場長は就任直後から一時間以上前に出社して、9pm以降に帰宅されていました。

 設計部のフロアーの一角にガラス張りの工場室が有ったため、設計の監視が自分の使命の様に考えていたと思われます。勿論、設計部長は別におられました。

【工場長が決めた設計部の勤務時間】
 着任後しばらくして設計部の管理職を集め、「設計の勤務時間は8am~8pmとする、8pm前に帰宅する者がいる課は”暇な部署”と見なす。人員削減も有りうる!」と言い渡しました。

 各課では、女性以外の社員に「暇な時でも8pmまでは残ってくれ」と口頭の指示が出ました。
 この設計部は昔から『残業代は、一律に月3時間』と決まっていました。勿論、この都合の良い慣習はそのままでした。

 この会社では、印刷された用紙に、どの仕事に何時間、会議に何時間、その日の合計勤務時間などを書く『日報』を毎日提出させていました。工場長は『日報』のデータをエクセルにインプットさせ一か月毎の表にして、各担当者の勤務状況を把握する資料にしていました。

 勿論、この資料は秘密にされていましたが、工場長が出張された時に、工場長室に忍び込んでコピーを取った人がいました。そのコピーを見せてもらったのですが、1か月に1日か2日しか休みを取っていない社員もいました。設計部の男性社員の平均残業時間は優に100時間を超えていました。

 労働組合は『日報』の存在は知っていましたが、無視していました。労働基準監督署は『日報』を書かせていることは知っていた様で、『残業代が、一律・月3時間』は少なすぎると抗議してくれ、月5時間か月6時間になり皆で喜びました。

 テレビでサービス残業が取り上げられる度に、妻は「残業代が全部貰えていたらもう一軒家が建てられたのに!」と言います。 私が妻に内緒で計算してみたら、三軒は建てられている事になりました。

【工場長による机の上の書類チェック】
 始業時間の一時間以上前に出社して、新工場長は何をされていたか? 座席表を持って、設計部の机の上の書類をチェックして、記録を取っていたのです。

 設計では、外部に計算や検討を依頼し、その結果を待っている等々の理由で保留にしている図面や計画書などがあります。各担当者は、それらの書類を、机の目立つ位置に置いて忘れないようにしていました。

 同じ書類が一週間も机の上にあったら、『仕事が全然進んでいない』=『仕事をしてい無い』と工場長は判断されたわけです。管理職の会議で、仕事をしていないと判断した担当者の名前をあげて、「〇〇は設計には不向きだ」等々まくし立てたようです。

 各課では口頭で、「机のうえの書類は、帰る時に上の物を下にするように」と指示が有りました。長期出張する時は、書類は全て机の中に入れるか、大きな図面は倉庫に持って行く事になりました。

 人間ですから、つい忘れます。その都度、工場長は上司の課長に「管理がなっていない! ◎◎は仕事をしていない!」と大声で怒鳴り付けていました。工場長が離任されるまで、ずっと机の上の書類のチェックは続けられました。

【最低の社員を課長に昇格させた】
 品質保証課に全く仕事の出来ない社員がいました。彼が車通勤だったのが、この話のポイントです。

 品質保証課は6pmには店じまいして、部屋に鍵を掛けるのが常でした。彼は、新工場長が赴任した直後から、6pm頃、設計部に来て新工場長が退社されるまで(2時間以上)無言で待っていました。 設計のほぼ全員が、仕事で彼から痛い目に合っていましたから、誰も話し掛けませんでした。

 彼は、朝も自分の車で駅まで工場長を迎えに行き、夜は帰られるまで待って駅まで送っていたのです!

 一年ほどして、なんと!彼を品質保証課の課長に昇格させてしまったのです!

 工場長は彼に実績を付けさせるために、重要な案件の据え付け工事と検収試験を仕切らせようとしました。どの顧客からも必ず、「代わりの人を派遣して欲しい」と要請が来ました。工場長は、その都度、優秀な担当者を派遣しましたが、彼を引き揚げさせませんでした。課長の彼が最後までやり遂げた様に装いたかったのだと思います。

 工場長は3年程で栄転されましたが、その後数年間、品質保証課の課長は彼のままでした。 何よりも残念だったのは、設計部の先輩達が長年・地道に進めてきた『技術志向の風土」をズタズタにして去られた事でした。

道端のバラ

2018-05-04 17:36:15 | 園芸
 私は、古い街並みを散歩するのが好きです。10日ほど前、そんな街を散歩していたら、道端に咲きかけのバラを見付けました。

 今日は、好天でしたのでカメラを持って、バラに会いにいきました。残念なことに少し盛りを過ぎてしまっていました。そのバラの写真を添付します。赤い方は、直径10センチ以上の大輪でした。

 この道は、(多分戦前からある、)片側二車線の広い道です。元は街路樹が植えられていた場所に、草花やバラ等々が勝手に植えられています。余り手入れはしていない様ですが、通行の邪魔にはならない程度には管理されています。 公共の土地でも、この程度なら許してあげましょう!

 よく耕された畑の様な個所もあり、野菜が植えられていました。公共の土地ですから、いくらなんでも野菜はダメだと私は思うのですが!

 路地に入ると、どの家の前にも堂々と鉢植えが並べられていました。大抵はろくに手入れもしていない、雑草の生えた鉢ですが、一軒だけ良く手入れした鉢を並べていました。赤と黄色の綺麗なシンビジュームが満開で、写真を撮りたかったのですが、奥様達の井戸端会議の邪魔をしてはと考え、断念しました。

 「通行の邪魔をするのだから、鉢植えを少しは手入れをしろ!」と言いたいです。余り目くじらを立ててはいけませんか⁉