マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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別所町六社権現の宵宮祭

2014年02月26日 07時25分43秒 | 奈良市(東部)へ
奈良県庁の『宮座調』によれば、奈良市別所町は添上郡東山村にあり、宮座があった。

大字に居住する氏子の17歳以上の男のなかで最年長者が神主を勤め、次の年長者二人とともに神事を行うとある。

當人は氏子の年長者が歳の順に4人がなる。

座中の親父さんが亡くなれば、一旦は座を外して出当(でとう)となる。

服忌期間を空けてあらためて座に入る入当(いりとう)に儀式を伴う。

そういう作法をして座につく(参列する)ことができる別所町のマツリ。

数年前に二老から伺っていた六社権現のヨイミヤマツリは宵宮祭とも呼んでいる。

大当家家で氏子がヨバレをしてからお渡りすると話していたが、摂待がたいそうになったことから当家家ではなく、金刀比羅神社の社務所に場を替えた。

別所町の戸数は22戸。

以前は25戸もあったが、少なくなったと云う。

注連縄を張った笹竹を立てた神社社務所。

場は替ったが大当家の印しに氏子たちを迎える在り方は替らない。

日が暮れた時間帯は一段と気温が下がる。

境内にはとんどの場を設けていた。

宵宮祭の座に出仕するのは4人の当家。

一番当が大当家で、二番当・三番当・四番当の3人がつく。

年齢順の一番当、二番当、三番当、四番当である。

時間ともなれば社務所にやってきた氏子たち。

二日後に百歳を迎える長老は上座に腰かけた。

座席は一老を筆頭に二老、三老・・交互の席は年齢順。

氏子たちも座についた。

宵宮祭の座は小・中・大の盃に酒を並々と注ぐ三献の儀だ。

座についた人たちに酒を注ぐのは4人の当家たち。

献の始めに一番当が「よばれてください」と口上を述べる。



「献をする」と云う三献の儀の始めに差し出される二本のゴンボ。

摂待役の当家たちは席についた座中の小皿に盛っていく。

お酒を注いだ小盃でいただく一献である。

酒盃は黒の塗り盃。

並々と注がれたお酒を飲み干す。

料亭並みに酢でしめたゴンボを肴に飲み干す一献である。

しばらくすれば二献に移った。



献の料理は三角に切ったコンニャクだ。

酒盃はやや深めの中盃に替った。

注ぐ酒の量が少しずつ増えていく。

徐々に酔いが回ってきた二献である。



見た目はそうでもないが、トンガラシが入ったコンニャクは酒がすすむ味。

これなら「なんぼでも食べられるから、来年は三角にしなくてもいいんじゃないか」と座中は口々に云う。



「ハシヤスメ」と云って、座の中盤に配膳されたドロイモ・ニンジン・ダイコンの煮ものも座に回す当家たち。

座が始まってから30分後、早くも三献目となるニシンも配膳される。



かつてはカンカンに干したニシンだった。

年寄りには口に合わんという意見がでて今では半生干の焼きニシンになった。

「これが美味いんじゃ」と座中は揃って美味しさを伝える。

ゴンボ、コンニャク、ニシンを差し出す献立、「なんでそのようなものであるのか判らん」と話す座中たち。

思い出したのが桜井市脇本の座の献である。

座中が云うには「ゴボウは男で、コンニャクは女。できた子どもがカズノコだ」と話していた。

座中の子孫繁栄を願う座の「食」である。

別所町においてもほぼ同じであったゴボウ、コンニャク、ニシンの順。カズノコはニシンの子。

成魚の親と子である卵の違いがあっても同じ在り方である。

遠く離れた地域であるが、別所町の座も子孫繁栄を願った「食」に違わない。

県内各地で拝聴した祝詞奏上には必ずといっていいほど子孫繁栄の詞がある。

また、旧暦閏年に行われている庚申講が奉る庚申杖には子孫繁栄の祈願文がある。

いずれも詞や文字である。

「食」に子孫繁栄が込められていることを知った脇本と別所の座の献に感動した夜である。

三献の酒はさらに大きく深めの盃。

酒量が増えていく三献の座に酔いがまわって口も軽やかになっていく。



翌日のマツリでは中盃から始まって大盃。

三献目の盃は飯椀になるので大酒にぶっつぶれるとも話す座中。

三献に出される飯椀の酒を飲み干せば頭の上に揚げて空っぽになった状態を座中に示す。

それで座が終わりの〆の作法。

酒宴では相当な量の酒を飲む。

〆に大量の酒を飲むのがたいへんだ。

助っ人に頼むこともあるが、すべてではないから、ベロンベロンになってしまう〆の作法だと話す。



1時間半も経過した三献の儀の締めはマツタケご飯と手作りの香物が配膳される。

あれほど飲んだお酒であるが、美味しい料理に何度もおかわりをされて三献の座食を終えた夜八時。



当屋接待を支えてきた下働きの家族たちはほっとして笑顔をみせる。

境内に設えたとんどに火を点ければ灯りと暖の場になった。



「とんどは篝火であったのでは」と話すのは一番当の長老だ。

座の接待役を終えた4人の当家は黒紋付袴姿に着替えてきた。

これより始まるのは氏子たちのお渡りだ。



竹で作った金刀比羅神社の高張提灯を掲げて先頭を歩く一人の当家。

何年か前までの提灯の火はローソクだった。

高張提灯を斜めにした際に燃えてしまった。

安全を期してペンライト風の灯りに替えたと云うから電源は電池だ。

お渡りは村外れの家まで歩いていく。

そこからUターンして鳥居を潜って神社に参進する。

出発するときから始まった氏子たちの掛け声は「ホォーーイ ホイ ホイ ホイ ホイ ホーイ」だ。

一人が大声を挙げて「ホォーーイ ホイ ホイ ホイ ホイ ホーイ」と発声すれば、後続の氏子たちは揃って「ホォーーイ ホイ ホイ ホイ ホイ ホーイ」と叫ぶ。

神社に参進する道中はずっと「ホォーーイ ホイ ホイ ホイ ホイ ホーイ」である。

暗闇になった別所にこだまする掛け声が山々に響き渡る。

最初の「ホォーーイッ」の詞章がとてもよく似ている奈良豆比古神社のスモウ

詞章は「ホォーオイッ」である。

もしかとすれば同意語ではないか。

この掛け声に思い出した2事例。

大和郡山市の小林町の「トリオイ(鳥追)」と馬司町の「トリオイの唄」である。

小林町の詞章は「ホーイ」、馬司町の詞章は「オーー」である。

両地区ではどちらも「トリオイ」と呼んでいる作法に発する詞章は、実った稲田にやってきて稲穂を喰い荒らすスズメを追い払う作法に発せられる。

「なんでこんな掛け声を発するのか判らなかったが、意味は通じるな」と話す座中であった。



神社に辿りついた座中は高張提灯を鳥居に括りつけて真っ暗ななかで神事を執り行う。

今年の5月に亡くなった神主のあとを継いだ俄神主が祝詞を奏上する。



お供えは前日にモチ搗きをした二段のコモチと枝付きのエダマメ、味噌和えのダイコバ(大根の葉)だ。

神事を終えた座中はとんどの周りに集まって暖をとる。



当家が座中に配られるエダマメと味噌和えのダイコバ。

特にダイコバはおつな味である。

(H25.10.13 EOS40D撮影)