マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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萱森・N家の先祖さん迎え

2017年03月30日 09時26分15秒 | 桜井市へ
朝、仏壇に六斎念仏が祈祷した塔婆を立てる。

2本の藁の松明を門口で焚く。

その場で家の鉦を打ち叩く。

そのとき、家族全員が揃って「先祖さん かえなはれ」と云って先祖さんを迎える。

迎えの日は早く戻ってもらうから午後5時にはすると話していた桜井市萱森に住むN夫妻。

今月の7日にはラントバさんの塔参りを取材させていただいた。

ラントバさんのお参りはお盆はじめと彼岸のときだ。

春に秋に参る墓地はツチバカ(土墓)。

正月前に松竹梅を立てる。

12月31日は仏壇にお供えもする。

ナンテンの実もお餅もするが、参ったら持って帰ると話す。

この日は先祖さん迎えの日。

一週間が経つのが早い。

萱森の山林道を登っていく。

奈良市北部の方角は黒い雲に覆われだした。

もうすぐ雨が降ってくるだろうと思った午後5時直前。

夏も終わりかけになったのかカナカナカナカナ・・と侘しく鳴くヒグラシセミが時期の到来を告げていた。



ガキサンに供える準備をしていた門屋を潜ってお声をかけるN家。

先祖さんを迎える仏間に仏壇がある。

その前に組んだ祭壇の敷物は昔から使っているゴザである。

お盆が終われば来年のために干して乾燥しておく。

昭和41年に嫁入りした奥さんが云うには、それ以前からあったと云うから年代物のゴザである。

午後5時も10分過ぎたころに当主が動き出した。

予め立てていた先祖さんを迎える藁は2束。

それぞれに細い竹に挿す。

地面に押し込んで立てた先祖さん迎えの藁束に火を点ける。

下に点けた火は上に燃えていく。

メラメラと燃え上がる松明の火。

火が落ち着くようになれば家の鉦を打ち続ける。

その音を聞いて家族が集まってきた。



孫さんも一緒になって並ぶ姉妹家族は「先祖さん かえなはれ」。

「先祖さん かえなはれ」を繰り返す家族たちの声が届いたのか煙に乗ってやってきた。

「先祖さん かえなはれ」は「先祖さん 帰りなはれ」である。

燃え尽きたころを見届けて自宅に戻る。

そのときも鉦は打ち続ける。

キーン、キーンの音が山間に響き渡る。

それが合図になったのか隣近所でも鉦を打つ音が聞こえてきた。

戻る際に振りだした雨。

そのころの空は真っ黒けになっていた。

これは雷雲である。

今にもどっと降りそうな雨が肩にあたる。



急いで母屋に上がらせてもらったとたんに激しい雨になった。

仏壇の前に並べたお供えは今にも落ちそうなぐらいの盛りだくさん。



ゴザの上に敷いたハスの葉は何枚もある。

それはお皿代わりでもない。

敷物のように思えたハスの葉である。

なぜかハスの葉は裏側を表に敷いている。

それで色合いが違うことがわかる柿の葉。

一枚ごとにミソハギの軸茎で作ったお箸。

そこに少量の白ご飯や漬物キュウリ。

もう一枚の葉はおかずが違う。

ヒユやダイコン葉にナスビの味噌和えである。

また、もう一枚にはご飯ではなく茹でたソーメンもある。

それぞれに添えたミソハギの箸の数は何人前になるのだろうか。

柿の葉に乗せたミソハギの箸は先祖さんが食べるためにある。

花はどうするのか。

咲いたミソハギの花は墓参りに使うと云う。

そういえばラントバさんの塔参りにあったと思う。

中央に置いた黒っぽいスイカがどでーんと座っている。

トマトに丸々肥えたナスビもあれば黄マッカもある。

果物は赤いリンゴ。

桜井の和菓子屋さん、吉方庵で買って来たいろんな和菓子も供えて燭台に立てたローソクに火を灯す。

和菓子はハクセンコウも要るのだが、この年はハクセンコウ代わりのモナカにしたという。

ここ萱森では他所で見られた線香で先祖さんを迎えるのではなく、燃やした松明の火によって発生する煙に乗って家に帰ってくるが、仏壇の線香は普段と同様に火を点けてくゆらす。

写真ではわかり難いが当主が鉦を打つ位置の前にある。

大きなスイカの前に平たい椀鉢がある。

これはオチツキダンゴと呼ばれる団子である。

前日の13日にも供えたオチツキダンゴは先祖さんを迎えるこの日の昼にも供えていたという。

スイカの右横は乾物のソーメン。

早めに供えていたので水分を含んでだらりと垂れ下がってきた。

鉦を打って唱える念仏は西国三十三番ご詠歌だ。



当主の後ろに並んで座った家族も一緒になって唱えるご詠歌。

7日のラントバさんの塔参りは般若心経。

そのときも家族一緒になって唱えていた。

孫さんも一緒になって唱えていた。

先祖さん迎えのこの日も一緒になって唱える。

信仰も所作も親から子供へ。

育って家族をもった子供は孫とともに・・である。

ご詠歌が始まって3番目辺りだった。

家の周りは真っ暗になっていた。

そこに光った閃光。

光った瞬間にドドーン。

心臓が震えるぐらいの光と音が饗宴する雷などものともせずにご詠歌を唱え続けるご家族。

後に聞いたこのときの落ちた雷に「おっとろしかった」と振り返っていた。

隣近所の被害は停電で済んだようだが、同家では何事もなかったかのように唱えていた。

ご詠歌が始まってから10分経過。

お椀をもった奥さんが祭壇に供えた。



大鉢に盛ったのはサトイモのコイモとゴボウの汁椀である。

おつゆみないなもので、“しゅる”、と呼んだのは奥さんだ。

“しゅる”は“汁”が訛ったのであろう。

この汁椀はご詠歌を唱えている最中に供える。

湯気がまわって温いうちに供えると云った奥さんはここでようやく席につく。



なにかと忙しく動き回る奥さんは先祖迎えの松明火焚きにはおられなかった。

炊事場で先祖さんに食べてもらうお供え料理を作っていったから仕方がない。

ご詠歌は三十三番まで一挙に唱えるのではなく、24番で一息つける。



その間に拝見したカド庭に供えたガキンドサン(餓鬼さん)。

先祖さんと同じように裏向けたハスの葉の上に柿の葉に供えた白ご飯や漬物キュウリ、ヒユやダイコン葉にナスビの味噌和え、ソーメンがある。

もちろんであるがミソハギ軸で作った箸もある。

ガキンドサンにも食べてもらうというお供えである。

ナスビも黄マッカもトマトもある。

お茶もある。



カド庭には石仏のミョウケンさんもある。

ミョウケンさんは妙見さん。

大阪能勢の妙見さんであるのか聞きそびれた。

先ほど降った雷雨にあたった滴が垂れていた。

10分ほど休憩したら続きのご詠歌を再開する。

後半は25番からはじめて番外の善光寺。

これを3回唱えた。

休憩を挟んだご詠歌長丁場。



1時間にも亘った最後に「なむだいし~そくしんじょうぶつ」を3回唱えて「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」を。

10回ぐらい、鉦を打って先祖さん迎えの念仏を終えた。

迎えの14日のアサハン(朝飯)はミソハギの箸を添えた味噌付けキュウリにシラカユ(白粥)。

ヒルハン(昼飯)は同じくミソハギの箸にヒユとダイコン葉にナスビを味噌和えしたおかずに白ご飯。

晩は竹の箸に替わってソーメンにする。

ミソハギから竹の箸に替えるのはソーメンが滑るからである。

なるほどと思った。

供える数は多い。

かつては15人前も供えていた。

少しはすくなくして10人前。

それが8人前に。

いっぱいいらんから減らしたという。

晩ご飯を食べていきと云われたがここは遠慮して退席する。

見送りに出てくれた夫妻が指を挿した場にもお供えがある。



ガキンドサンは裏にもあった。

(H28. 8.14 EOS40D撮影)