【駒形城】こまがたじょう
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】長野県佐久市塚原上塚原 地図
駒形城は、耳取の大井氏の砦のひとつと考えられており、耳取城の大井政継が再建したと言われています。
城跡を利用して、後に神社仏閣が建てられることが多いのですが、こちらの駒形神社は
神社の方が先にあり、境内を砦化したと考えられています。
しかし、城暦につては多くのことはわかっていません。
参道
駒形神社の参道です。
駒形神社は牧場を守るために再建されており、望月の御牧のものとされています。
祭神は騎乗の男女二神像で、一間社流れ造りの柿葺きの本殿は
室町時代のもので国の重要文化財に指定されています。
堀
橋の上から見た川は、自然の地形を利用した堀です。
案内看板
駒形神社についての説明文です。
道祖神の奥には、とても気になる防空壕のような穴が開いています。
階段を登ると境内に到着。
駒形神社
一見何の変哲もの無い建物に見えますが、
この建物の中に重要文化財に指定されている本殿が祀られています。
1486年(文明18年)に築かれたものとされ、
棟札から寛永11年、延宝4年、元禄12年、宝永元年、寛保2年、寛政4年、昭和43年に修理がされており、
宝暦8年、安永7年、寛政10年、文政8年、万延元年に屋根の葺き替えが行われています。
社務所
社務所内に祀られている道祖神と猿田彦大神。
堀切
境内と畑のあいだにある堀切があります。
堀切と言っても、現在は浅くなっていて境内への小道になっています。
堀切は小河川に向かって落ちています。
二の郭
もうひとつあったであろう郭と堀切は畑となって消えています。
塚原地区処理場
この台地一帯は、根井氏の牧場があったとされています。
堀跡(推定)
ここから川に向かってもう一条堀があったのではないかと推定されます。
神社仏閣のある場所ならば、サクッと行って来られるであろうと思い
思い付きで寄ってみました。
近くには中山道小田井宿が通っているため、陣屋などの立派な古民家などの建物も見られます。
令和3年1月3日登城
今回の参考本
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】長野県佐久市塚原上塚原 地図
駒形城は、耳取の大井氏の砦のひとつと考えられており、耳取城の大井政継が再建したと言われています。
城跡を利用して、後に神社仏閣が建てられることが多いのですが、こちらの駒形神社は
神社の方が先にあり、境内を砦化したと考えられています。
しかし、城暦につては多くのことはわかっていません。
参道
駒形神社の参道です。
駒形神社は牧場を守るために再建されており、望月の御牧のものとされています。
祭神は騎乗の男女二神像で、一間社流れ造りの柿葺きの本殿は
室町時代のもので国の重要文化財に指定されています。
堀
橋の上から見た川は、自然の地形を利用した堀です。
案内看板
駒形神社についての説明文です。
道祖神の奥には、とても気になる防空壕のような穴が開いています。
階段を登ると境内に到着。
駒形神社
一見何の変哲もの無い建物に見えますが、
この建物の中に重要文化財に指定されている本殿が祀られています。
1486年(文明18年)に築かれたものとされ、
棟札から寛永11年、延宝4年、元禄12年、宝永元年、寛保2年、寛政4年、昭和43年に修理がされており、
宝暦8年、安永7年、寛政10年、文政8年、万延元年に屋根の葺き替えが行われています。
社務所
社務所内に祀られている道祖神と猿田彦大神。
堀切
境内と畑のあいだにある堀切があります。
堀切と言っても、現在は浅くなっていて境内への小道になっています。
堀切は小河川に向かって落ちています。
二の郭
もうひとつあったであろう郭と堀切は畑となって消えています。
塚原地区処理場
この台地一帯は、根井氏の牧場があったとされています。
堀跡(推定)
ここから川に向かってもう一条堀があったのではないかと推定されます。
神社仏閣のある場所ならば、サクッと行って来られるであろうと思い
思い付きで寄ってみました。
近くには中山道小田井宿が通っているため、陣屋などの立派な古民家などの建物も見られます。
令和3年1月3日登城
今回の参考本