【高梨子代官所】たかなしだいかんしょ
【別名】ー
【構造】代官所
【築城者】井伊直政
【築城年代】1590年(天正18年)
【指定史跡】ー
【場所】群馬県安中市松井田町高梨子 地図
松井田城の大手道にあったとされる安中藩の代官所は、
井伊直政が12万石をもって箕輪に入り代官所をこの地に置かれました。
代官所としての遺構は井戸跡だけで、現在は宅地となり代官所であった範囲も
はっきりとしたことはわかっていません。
井戸跡
唯一の遺構である代官井戸と称される井戸が集落の中にあります。
代官井戸を中心に、小板橋守氏宅を正門と推定し、
代官所があったものと考えられていますが、はっきりとした範囲はわかっていません。
井戸は現在は使用されていませんが、今も水が湛えられています。
かつては、「百人町」や「与力町」「横町」といった
呼びで城下町が形成され、松井田城の大手道が通る総郭となっていました。
小田原の役の後、徳川家康が関東へ転封となると井伊直政が箕輪へ12万石で入り、
安中藩を立藩、代官所が置かれることとなりました。
城下町があった高梨子側が松井田城の表玄関、大手となります。
今はちょっと寂しい感じがしますが、城下町があった当時は賑わっていたことでしょう。
辺りを見てもどこが代官所だったのかはわからないし、資料も残っていないので
その縄張は明らかではないのですが、井戸が残っているということで
見に来てみました。
令和3年5月23日訪問
今回の参考本
【別名】ー
【構造】代官所
【築城者】井伊直政
【築城年代】1590年(天正18年)
【指定史跡】ー
【場所】群馬県安中市松井田町高梨子 地図
松井田城の大手道にあったとされる安中藩の代官所は、
井伊直政が12万石をもって箕輪に入り代官所をこの地に置かれました。
代官所としての遺構は井戸跡だけで、現在は宅地となり代官所であった範囲も
はっきりとしたことはわかっていません。
井戸跡
唯一の遺構である代官井戸と称される井戸が集落の中にあります。
代官井戸を中心に、小板橋守氏宅を正門と推定し、
代官所があったものと考えられていますが、はっきりとした範囲はわかっていません。
井戸は現在は使用されていませんが、今も水が湛えられています。
かつては、「百人町」や「与力町」「横町」といった
呼びで城下町が形成され、松井田城の大手道が通る総郭となっていました。
小田原の役の後、徳川家康が関東へ転封となると井伊直政が箕輪へ12万石で入り、
安中藩を立藩、代官所が置かれることとなりました。
城下町があった高梨子側が松井田城の表玄関、大手となります。
今はちょっと寂しい感じがしますが、城下町があった当時は賑わっていたことでしょう。
辺りを見てもどこが代官所だったのかはわからないし、資料も残っていないので
その縄張は明らかではないのですが、井戸が残っているということで
見に来てみました。
令和3年5月23日訪問
今回の参考本