むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

松井田西城(群馬県)

2021年05月28日 | 百名城以外の城
松井田西城まついだにしじょう
別名諏訪城・西城小屋
構造山城
築城者安中忠親
築城年代1487年(長享元年)
指定史跡
場所群馬県安中市松井田町新堀 地図

松井田西城は、金剛寺のある場所にあったと伝わります。
安中出羽守忠親が越後国新発田からこの地へ移り居城としました。
忠親の子、忠清が1525年(大永5年)に
榎下城へ移るまでの38年間をこの地で過ごしました。
鬼門の方角には信濃国諏訪湖より勧請した諏訪神社が祀られています。



駐車場

金剛寺の駐車場を拝借して松井田西城の散策へ。


金剛寺略縁起

仁王門の横には金剛寺の略縁起の碑があります。
残念ながら、ここには城についての記述はありませんでした。



とりあえず、本堂目指して上の段へ登ってみよう。


山門

「碓氷山」の扁額が掲げられている山門です。


本堂

まずは参拝をしてからの散策です。
金剛寺は碓氷定光が長元年間(1028~1037年)に建立したことが
仁王門横の略縁起の碑に書かれています。
…ということは松井田西城よりも古くから金剛寺があったことになります。
松井田西城は別名「諏訪城」と呼ばれていたことから、
金剛寺とは別の諏訪神社のある場所にあったのでしょうか。


鐘楼堂

鐘の真下に石像(観音様)があるのがものすご~く気になったのですが、
なぜこのような場所にいらっしゃるのか云われを知りたい。


鳥居

諏訪神社は金剛寺の西側に別の参道がありました。



しかし…諏訪神社には参拝する人がいないのでしょうか。
寺院のすぐ隣にあるというのにこの荒れようです。
途中まで登ってはみたものの、その先も草が生い茂り草をかき分けて進む気になれず断念。
また冬にでも来るとしよう。



土塁のように見える場所もありますが、城があった当時のものかはわかりません。
しかし、段状であったり地形的になんとなく名残を感じ取ることが出来ます。



この日はお寺の周囲を整備されている方がおり、挨拶がてら諏訪神社のある場所を尋ねてみると
親切にお寺の西側にある諏訪神社の行き方を教えてくれました。
松井田城人見城は行ったことあるかい?と聞かれ、この方も周辺城址を
少々御存知の方と見受けられました。
あるいは、この日と同じように寺院や城跡の整備なんかもされている方だったのでしょうか…。
ともあれどこの城へ行ってもこれからの時期草刈りをされている方を見ると、
ほんと、感謝です。
今度は草の無い時期を狙って諏訪神社へ参拝に行って来ようと思います。


令和3年5月23日登城


今回の参考本