【津久田城】つくだじょう
【別名】ー
【構造】崖端城
【築城者】狩野氏
【築城年代】室町時代後期
【指定史跡】ー
【場所】群馬県渋川市赤城町津久田 地図
津久田城は、加沢記によると代々狩野氏の居城であったと考えられます。
白井城の支城で、「つなぎの城」として利根川沿いに侵攻する敵に対しての守備の役割を果していました。
元亀・天正の戦乱期には上杉・武田・北条の戦乱の渦に巻込まれ、
天正18年、豊臣秀吉の配下にある前田利家・上杉景勝による白井城攻略に際し、
本城の白井城とともに落城し、廃城となりました。
看板を探してみたのですが、どうやら本丸にある住宅の裏手の方にあるらしく
Googleマップでは住宅の裏の方にそれらしきものが見えるのですが、到底入って行けない…。
残念ですけどここで暮らす方々の身になってみると、それは致し方ないことです。
ちなみに、写真は城域の外側で撮影しているので、本丸はこの墓地より北側全体が城域となります。
今回資料は渋川歴史資料館で購入した「文化財関係資料集」を参考にしています。
令和4年10月15日登城
【別名】ー
【構造】崖端城
【築城者】狩野氏
【築城年代】室町時代後期
【指定史跡】ー
【場所】群馬県渋川市赤城町津久田 地図
津久田城は、加沢記によると代々狩野氏の居城であったと考えられます。
白井城の支城で、「つなぎの城」として利根川沿いに侵攻する敵に対しての守備の役割を果していました。
元亀・天正の戦乱期には上杉・武田・北条の戦乱の渦に巻込まれ、
天正18年、豊臣秀吉の配下にある前田利家・上杉景勝による白井城攻略に際し、
本城の白井城とともに落城し、廃城となりました。
看板を探してみたのですが、どうやら本丸にある住宅の裏手の方にあるらしく
Googleマップでは住宅の裏の方にそれらしきものが見えるのですが、到底入って行けない…。
残念ですけどここで暮らす方々の身になってみると、それは致し方ないことです。
ちなみに、写真は城域の外側で撮影しているので、本丸はこの墓地より北側全体が城域となります。
今回資料は渋川歴史資料館で購入した「文化財関係資料集」を参考にしています。
令和4年10月15日登城