【漆窪城】うるくぼじょう
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】長尾氏
【築城年代】1558年~1570年(永禄年間)
【指定史跡】ー
【場所】群馬県前橋市富士見町漆窪 地図
漆窪城は、舌状台地の先端に築かれた城です。
永禄年代に長尾大膳が居城したと伝わり、現在も遺構が良好に残っています。
大膳は石倉城主である長尾景善の弟で、
大膳の養子となって石倉から移住して大膳を襲名したと伝わります。
道になっている部分が堀跡になります。
櫓台のような高まりのあった場所に城址碑と看板が立っています。
堀跡
再び城址碑のところまで戻って来ました。
城址碑の西側にある道もまた堀跡です。
舌状台地の先端の方へと延びる二の郭。
城域にあるソーラー。
主郭
頂上ではなく、中間に位置しています。
追手虎口
一番長い堀の東先端に着く追手の虎口。
三の郭を覗きに行って見ましょう。
三の郭
三の郭は、奥の方が少し藪化が進んでいるようです。
最初、「うるしくぼ」と呼んでいたら「うるくぼ」と言うのだということを攻城団の団員さんに教わりました。
やはり地元の方でないとわからない地名や名前ってありますよね。
若かりし頃、埼玉の嵐山(らんざん)を「あらしやま」と読んでいて地元の方に
笑われたことがありました。
今思い返すと、恥ずかしいエピソードです(^^;
でも、あるあるですよね!
令和4年10月15日登城
今回の参考本
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】長尾氏
【築城年代】1558年~1570年(永禄年間)
【指定史跡】ー
【場所】群馬県前橋市富士見町漆窪 地図
漆窪城は、舌状台地の先端に築かれた城です。
永禄年代に長尾大膳が居城したと伝わり、現在も遺構が良好に残っています。
大膳は石倉城主である長尾景善の弟で、
大膳の養子となって石倉から移住して大膳を襲名したと伝わります。
道になっている部分が堀跡になります。
櫓台のような高まりのあった場所に城址碑と看板が立っています。
堀跡
再び城址碑のところまで戻って来ました。
城址碑の西側にある道もまた堀跡です。
舌状台地の先端の方へと延びる二の郭。
城域にあるソーラー。
主郭
頂上ではなく、中間に位置しています。
追手虎口
一番長い堀の東先端に着く追手の虎口。
三の郭を覗きに行って見ましょう。
三の郭
三の郭は、奥の方が少し藪化が進んでいるようです。
最初、「うるしくぼ」と呼んでいたら「うるくぼ」と言うのだということを攻城団の団員さんに教わりました。
やはり地元の方でないとわからない地名や名前ってありますよね。
若かりし頃、埼玉の嵐山(らんざん)を「あらしやま」と読んでいて地元の方に
笑われたことがありました。
今思い返すと、恥ずかしいエピソードです(^^;
でも、あるあるですよね!
令和4年10月15日登城
今回の参考本