荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『レッドクリフ Part I』 ジョン・ウー

2008-11-05 00:55:00 | 映画
 ジョン・ウー(呉宇森)はもう、かつてのような切れと輝きを見せてくれないのか。豪放にして様式的なバイオレンスが連続していくあたりは、紛れもなくジョン・ウー映画であったが、なにか釈然としないものが残る。3世紀の赤壁の英雄たちを〈英雄本色〉のように撮り上げて行こうという意図はよくわかるのだが、ここには肝心の赤壁も長江も写っていない。ジャ・ジャンクーと違って、ここには本当に何も写っていないのだ。私が『三国志』の愛読者ではないことが、本作への私的評価に影響を与えているのだろうか。しかし、漫画でも小説でもよいが、世の中の〈原作ファン〉なる存在が、映画の敵でなかったためしなどないではないか。

 本作を味わうための知識を著しく欠いている私ではあるが、かつてテレビで放送された赤壁の紀行映像で紹介された曹操の四言古詩『短歌行』(西暦208年)には、強い印象を持ったことがあり、それがいま筆写できる状態にある。

対酒當歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多 慨當以慷 幽思難忘 何以解憂 唯有杜康 青青子衿 悠悠我心 但為君故 沈吟至今

(意味) 酒にむかって歌うべし。人の命には限りがあり、朝露のようなものに過ぎない。過去を思い出すと苦いことばかりだ。高まる胸中は声に出そう。物思いは忘れがたく、何をもってこの憂いを解けばよいものか。あるのはただ杜康(酒のこと)のみ。青衿を身につけた人たち(若き有望な人たち)よ、私はずっと君たちを欲してきたし、酒を静かに酌み交わして、今に至ったのだ。

 赤壁の決戦前夜、曹操は思いつめて、このように詠んだ。しかし、それは本作では描かれなかった。漢王朝を乗っ取り、広大な中原および華北を支配する悪役・曹操に対するレジスタンス物語としての『三国志』。劉備を助け、曹操軍を迎え撃つ呉の側から、長江の俯瞰ショットが示される。それは、広東生まれで香港育ちのジョン・ウーにとっての華南的心情が乗り移った結果ではあるまいか。オリンピックの開会式などで繰り広げられた北京(華北)支配を象徴する映像に対する、華南側からの換喩的なレジスタンス映画なのではないか。…と、ここまで考えて、私自身もまた、〈原作ファン〉と変わらない悪弊を映画にもたらしていることに気づいた。


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