荻野洋一 映画等覚書ブログ

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テネシー・ウィリアムズ 作『欲望という名の電車』(PARCO劇場)

2011-05-05 01:25:29 | 演劇
 新国立劇場の『やけたトタン屋根の上の猫』につづき、今回の松尾スズキ演出版『欲望という名の電車』(PARCO劇場)は、テネシー・ウィリアムズの東京都内での上演としては、ここ半年で2本目となるはずである。この戯曲を、彼自身俳優でもある松尾スズキが演出したことによる効果は、微に入り細に入り大きい。登場人物の一挙手一投足にこまやかな演出がほどこされ、また台詞の出し方ひとつとっても、かなりの懲りようだった。
 今回の演出については、たびたび笑いをとるやり取りがパロディ的で、この戯曲に似つかわしくない、とする評価が多い。しかしあくまで私個人の解釈だが、テネシー・ウィリアムズ作品は、虚勢を張った人間どもの滑稽さを強く出す必要がある。ただしコミカル描写に、ドメスティックな色がわずかでも現れたら台無しなので、その点では、場面転換の暗闇に映し出される、風刺的なイメージ映像が、あまりにもケラリーノ・サンドロヴィッチ的すぎるのはどうなのだろう。

 『欲望という名の電車』は、1953年の3月に文学座が国内初演して以来、フランス系の上流南部人ブランチ・デュボワ役は、杉村春子の当たり役となった。鏡に向かっての化粧シーンなどの所作に新派的な味つけをほどこした杉村の演技法によって、初演当初からいわば高度にローカライズされたブランチ・デュボワという存在について、その後のブランチを演じた女優たちは、ときに偉大な杉村に倣い、ときにこれに逆らって、南部的オーセンティシティを標榜する、というふうに悪戦苦闘してきたわけである。そうした歴史の上に、今回の松尾の演出があり、秋山菜津子のたいへんみごとな新ブランチがあったのだ。