先の大震災に際して、今上天皇による異例のビデオスピーチが発表されたことは、記憶に新しい。父の昭和天皇にも、あの玉音放送があった。アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』(2005)は、玉音放送の収録を担当した録音技師が自害したことを、侍従長から聞かされた昭和天皇が、ショックを受ける場面で終わっていた。
またスティーヴン・フリアーズの『クィーン』(2006)では、ダイアナに対して冷淡な態度を崩さない女王が、息子の元妻の非業の死を悼むスピーチを引き受けるか否かが、物語の焦点となっていた。このように、国家元首とそのスピーチの如何は、映画作家に少なからぬ霊感を与えてきたわけだけれども、『英国王のスピーチ』はまさに、スピーチそのものが主題となっている。
この『英国王のスピーチ』については、見る以前に友人Hから感想コメントをe-mailでもらっていた。ラスト近くのシーンで、対独宣戦布告を国民に告げるラジオ演説を終えたばかりのジョージ6世(コリン・ファース)が、紅潮した顔でバッキンガム宮殿のバルコニーに出て、市民の歓呼に応える後ろ姿を、セラピスト(ジェフリー・ラッシュ)が、複雑な表情を浮かべながら見つめるカットがあって、その点について「吃音症の治療が最終的に、戦争への参加を鼓舞する愛国演説を呼んだということへの皮肉か?」と、Hは問題提起をしてくれていた。
しかし私としては、監督のトム・フーパーがそこまで考慮して演出したかどうか、どうも疑わしく思える。せいぜい、教え子の成長ぶりに目を細める恩師の、身分の違いを改めて意識したことによる距離の測定、とかそんなところではないだろうか。
それと、ジェフリー・ラッシュ演じるこのセラピストが、どうにも芝居がかった、狭量で思わせぶりな余裕とでもいうのか、見ていてあまり愉快になる登場人物ではない。このような人物と生涯の友情を結んだ、などとエンドクレジットで記載されてしまったジョージ6世の方が、気の毒に思える。アカデミー賞受賞作というのは、わずかな例外をのぞいて、どうしてこうも。
TOHOシネマズシャンテなど全国にて続映
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