荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『八日目の蝉』 成島出

2011-05-13 04:23:05 | 映画
 『キッズ・オールライト』のリサ・チョロデンコが、レズビアン家庭という作者の分身的な環境を作品内に持ちこみ、さらにそれをホーム・コメディの鋳型に入れることによって、母系社会のティピカルな未来像を提示しようとしたとするなら、成島出は前作『孤高のメス』(2010)に引き続き、母子家庭の濃密な関係性に寄り添うことにこだわりつつ、単性生殖的なミクロコスモスを流離譚のなかに発見している。
 誘拐された女児(井上真央)、誘拐犯(永作博美)、誘拐された女児の母親(森口瑤子)の3者のあいだに、単性生殖の正統性をめぐる峻烈なサスペンスが生じている。そしてその周縁に、誘拐犯を守護する女たち(市川実和子、余貴美子、風吹ジュン)が順ぐりに出現して、単性生殖の系譜をささえる。そして、大人になった井上真央の守護者(小池栄子)。この女は最初、誘拐事件の後日談を書こうとするジャーナリストとして登場するのだけれど、だんだんその立場はあいまいなものとなって、井上真央を守護すること自体が目的化していくのは、たいへん不気味な状態というか、呪術的な様相さえ呈しているように思える。

 男たちの存在がますます稀薄となり、『キッズ・オールライト』と同様、単なる精子ドナーと化していくかのようだ。この、新興宗教にも似かよった単性生殖的な映画にあって、存在が許されている男性が、写真館の主人(田中泯)ただひとりであるというのは、なにかの符牒なのだろうか? 「おいで…」と田中泯がくぐもった声でつぶやいて、現像室に入っていく。井上真央は一瞬ためらったのち、後を追う。幼少期の自分と自分を誘拐した犯人の記念写真が、トレーの液体の中でゆらめきながら像を結んだとき、小さな悲鳴を上げつつ写真館を飛び出す。
 井上真央がしめした過剰なリアクションは、埋もれていたすべての記憶(皮肉にも、彼女が最も幸福に育った日々の記憶)が、ついに白日のもとにさらされたことへの衝撃のためではもちろんあるだろう。しかし、それだけではなく、今、ゆらめきながら像を結ぼうとする1枚の記念写真のなかに、彼女が「何か」を見てしまったからではないのか? 禁忌に近い「何か」を。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町)ほか、全国で上映中
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