荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『スケッチ・オブ・ミャーク』 大西功一

2012-12-14 02:00:51 | 映画
 宮古島(ミャーク)の失われつつある歌、現在も脈々と受け継がれる祭祀の模様をカメラにおさめた『スケッチ・オブ・ミャーク』は、ドキュメンタリー映画に必須と思われたりもする作者の視点やら、訴えるべきテーマ性やらはどうでもよくなるほどの素材それそのもののきらめきが圧倒的である。
 一応本作にも、視点もテーマ性もあるにはある。歌から浮かび上がってくる島の歴史は、ブルースのアメリカ、レゲエのジャマイカに匹敵する痛恨の記憶だ。薩摩藩傘下の琉球王朝から島民に100年以上のあいだ課された理不尽極まる「人頭税」がミャークの歌の背景にあることは、本作を通してよく理解できた。
 にもかかわらず、本作は素材のきらめきに対する敗北を記録するドキュメンタリーなのである。すべてのカット、すべてのシーンがぶつ切りである本作は、あたかもその素材の豊饒さと、興業作品としての上映時間の限界とのあいだで打ちひしがれた作者のエクスキューズである。エクスキューズの無念を受けとめる作品である。
 エクスキューズがやがて喜ばしい無責任へ、いかがわしさへと傾斜していくとき、私たち受け手と作者の呼吸がついにシンクロする。そもそも冒頭から、意味も分からず熊野の山道を、あやしい足取りで徘徊しながらミャークの歌に衝撃を受けた体験を語る久保田真琴(本作のナビゲーター的な役割を担っている)が、相当にいかがわしい。しかし、このいかがわしさを甘受すると、本作のぽんぽん行く編集に自然と苛立ちを感じなくなる。かつての島の歌の名手・嵩原清さん(大正9年生まれ)の病床を訪ねた久保田真琴が、嵩原さんの歌の古い録音素材に自分のエスニック風なアレンジをほどこしたバージョンを笠原さんの枕元で大音量で再生してみせ、「あんたの歌は最高だ!」とかなんとかがなっているシーンは、日本映画史上まれに見る身勝手かつ不埒なシーンとして特筆に値し、この音楽家という生き物のナルシズムには感動をおぼえた。


逗子シネマアミーゴ、京都みなみ会館、沖縄市民小劇場あしびなー他、全国各地で続映中
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