荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ホームレス中学生』 古厩智之

2008-11-16 02:44:00 | 映画
 主人公(原作者)役の小池徹平、その兄姉となった西野亮廣、池脇千鶴をはじめ、全体的に演者の実年齢が役よりもかなり高めである違和感は、製作陣に何がしか特別な意図があってのことだろう。とにかく登場人物のことごとくがやけに分別くさいというか、説教くさいというか。稚拙な精神と分別くささの混合、そして登場人物たちを見つめるカメラのクレーンやら横移動やらの過剰さが、〈映画〉そのものから遠いものにしているように私には思えた。遠いにもかかわらず、積極的な離反でもないのである。
 しかし、破産と一家離散によって始まる、主人公のホームレス体験を、作者はひと夏の珍体験という位置づけのみに終始させてはいない。作品の後半あたりから、主人公がまだ幼い頃に病死した母に対する喪の作業が、主人公の内部で完遂されていないがゆえに、現在に至って過度の思慕が高じ、それが孤独癖の突出という描写へと橋渡しされていく。この橋渡しは、本作が如何ともしがたく宿らせた幼子の精神を、辛うじて救っている。

 最近WOWOWで、同じく阪神地区を舞台にしつつ、ひとりの少女が「イエ」を喪失していく物語『浪華悲歌』(1936 溝口健二)を再見し、主人公がカメラ正面をするどく見据えつつ前進し、最終的にはレンズに触れんばかりとなるラストカットに、とめどない感動を覚えたばかりであったため、むやみに辛い目で見てしまったかもしれない。


ピカデリーSHINJUKUなど、全国で上映中
http://homeless-movie.jp/

『容疑者Xの献身』 西谷弘

2008-11-12 20:00:00 | 映画
 中原俊監督の新作『魔法遣いに大切なこと』の公開を来月に控えているプロデューサー尾西要一郎と10数年ぶりに会って、愉しく食事を共にした。深川のどじょう屋のあと、日本橋小網町で飲み直す。歩いて移動したため、小名木川と隅田川、2つの川を渡る。
 これはほぼ、『容疑者Xの献身』で堤真一が演じる主人公の数学教師の通勤路を辿る形となる。彼は、深川を東西に流れる小名木川の畔にある安アパートに住んでいる設定だ。アパートを出るとすぐに橋を渡り、清洲橋に向かう。昨夜の私たちはそのまま人形町方面まで直進したのだが、堤真一は清洲橋を渡ると橋桁から河岸に下りて、居並ぶ “ブルーマンション” を横目で見やりつつ浜町河岸をとぼとぼと歩いていた。さらに浜町公園を突っ切って、明治座前に出ると左に折れる。10数メートルほど行くと、江戸小間物を扱う店「高虎」が右手にある。この路地を右折するとすぐに、手作りコロッケが人気の弁当屋「モントレー」がある。この「モントレー」こそ、悲劇のヒロイン松雪泰子が経営する弁当屋のロケ地である。この道程の中のどこかしらが、なんどもなんども本作で切り取られる。まあ、大川水景のご当地映画と言えるだろう。

 果たして、松雪泰子のような弁当屋が実際に存在するのかどうか、疑問だが。いないとも断言できまい。

『アキレスと亀』 北野武

2008-11-08 18:58:00 | 映画
 たけしの映画はむき出しの自意識の突出ゆえに、気恥ずかしさや苛立ちを受け手に抱かせるが、思い思いの感情に揺さぶってくる画面の連鎖にはどうにも抗しがたく、前作『監督・ばんざい!』を見た際には、この人が生きている限り新作を見続けていこうと心に決めたのだ。新作『アキレスと亀』は、いわば『監督・ばんざい!』のリメイクと言ってよく、これほど早期にリメイクを作る映画作家も珍しいが、たけし自身の分身たる主人公の映画監督を、今度は画家に置換しただけである。

 本作で画家の妻役を好演している樋口可南子は、以前はやくざの姐さん役で啖呵を切ったり、何度もヌードになったり、大ダコと絡んだりといろいろと試みてはきたのだが、どうも決定打に欠ける女優であった。ところが最近、携帯電話のコマーシャルや大河ドラマなどでの成功で、すっかり当代随一のお内儀女優として名を馳せた感がある。報われぬ努力に精を出す本作主人公のパートナーとして、まさに適役であった。
 ギャラリーの嫌らしいオーナーから「もっと芸術というものは、命を賭けなくてはならない」などと吹聴されて帰宅した夫が、生命の危険を感じる緊張感から創造の源泉を得ようと、水を張ったバスタブに自分を沈めるよう、妻に命じる。この馬鹿げた命令に、初めは躊躇したものの、やがて夫のためならと必死になってバスタブの中に首根っこを押しつけるシーンは、じつに秀逸であった。


11月14日(金)までテアトル新宿などで続映
http://www.office-kitano.co.jp/akiresu/

『レッドクリフ Part I』 ジョン・ウー

2008-11-05 00:55:00 | 映画
 ジョン・ウー(呉宇森)はもう、かつてのような切れと輝きを見せてくれないのか。豪放にして様式的なバイオレンスが連続していくあたりは、紛れもなくジョン・ウー映画であったが、なにか釈然としないものが残る。3世紀の赤壁の英雄たちを〈英雄本色〉のように撮り上げて行こうという意図はよくわかるのだが、ここには肝心の赤壁も長江も写っていない。ジャ・ジャンクーと違って、ここには本当に何も写っていないのだ。私が『三国志』の愛読者ではないことが、本作への私的評価に影響を与えているのだろうか。しかし、漫画でも小説でもよいが、世の中の〈原作ファン〉なる存在が、映画の敵でなかったためしなどないではないか。

 本作を味わうための知識を著しく欠いている私ではあるが、かつてテレビで放送された赤壁の紀行映像で紹介された曹操の四言古詩『短歌行』(西暦208年)には、強い印象を持ったことがあり、それがいま筆写できる状態にある。

対酒當歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多 慨當以慷 幽思難忘 何以解憂 唯有杜康 青青子衿 悠悠我心 但為君故 沈吟至今

(意味) 酒にむかって歌うべし。人の命には限りがあり、朝露のようなものに過ぎない。過去を思い出すと苦いことばかりだ。高まる胸中は声に出そう。物思いは忘れがたく、何をもってこの憂いを解けばよいものか。あるのはただ杜康(酒のこと)のみ。青衿を身につけた人たち(若き有望な人たち)よ、私はずっと君たちを欲してきたし、酒を静かに酌み交わして、今に至ったのだ。

 赤壁の決戦前夜、曹操は思いつめて、このように詠んだ。しかし、それは本作では描かれなかった。漢王朝を乗っ取り、広大な中原および華北を支配する悪役・曹操に対するレジスタンス物語としての『三国志』。劉備を助け、曹操軍を迎え撃つ呉の側から、長江の俯瞰ショットが示される。それは、広東生まれで香港育ちのジョン・ウーにとっての華南的心情が乗り移った結果ではあるまいか。オリンピックの開会式などで繰り広げられた北京(華北)支配を象徴する映像に対する、華南側からの換喩的なレジスタンス映画なのではないか。…と、ここまで考えて、私自身もまた、〈原作ファン〉と変わらない悪弊を映画にもたらしていることに気づいた。


日劇PLEXなど、全国で上映中
http://redcliff.jp/

《ULTRA 001》

2008-11-02 12:32:00 | アート
 スパイラルガーデン1階で29日水曜より開催されているエマージング・ディレクターズ・アートフェア《ULTRA 001》を訪れて、なかなかいいモノに出会った。中京を本拠地とする造形作家、ふるかはひでたかによるオブジェ4点である。波打ち際で拾った新旧の漂着陶片を、金継ぎで呼び継いで、新たな器が再-誕生している。焼成された窯も時代も様式も異なるバラバラの陶片は、おのがじし物質的記憶を潜在的に匿いつつも、作家の繊細な作業を通しバロック的調和を見出し、まったく別の記憶、まったく別の存在ルールを紡ぎ始めていくかのようだ。
 実は古美術の世界では、こうした技法は珍しいものではない。しかし、それらがめざすものはあくまで関係の修復であり、再現であり、消息伺いである。これに対して、ふるかはの作品において、それは別の存在ルールの提示なのである。

 この、ふるかはひでたかの新作展《風景画/地図の旅》が来月、名古屋のAIN SOPH DISPATCH(アイン・ソフ・ディスパッチ)で開催されるらしい。その頃の私はおそらくスペインに出張しており、新作を見るために新幹線に乗り込む贅沢は許されそうもない。残念である。愛知近県の方はぜひご覧下さい。


エマージング・ディレクターズ・アートフェア《ULTRA 001》は、東京・表参道のスパイラルガーデン1階にて、11月3日(月・祝)まで
http://www.spiral.co.jp/

ふるかはひでたか個展《風景画/地図の旅》は、名古屋・円頓寺のAIN SOPH DISPATCHにて、12月6日(土)より20日(土)まで
http://ainsophdispatch.org/