SMILES@LA

シェルターからやってきたミックス犬のニコとデカピンのニヤ。どちらの名前もSMILEの犬姉妹の思い出を綴ります。

おなじみのアレ

2014-09-30 21:54:14 | ニコとニヤの日常
(旧ブログhttp://smilesatla.blogspot.com/2014/10/blog-post.htmlより転載)


「なになに~?おかーさんそれなに~?」

これは梨だよ。こちらではアジアンペアーという名前で売られています。普通のペアーは日本で言う洋梨ですね。
アジアンペアーは日本で売ってる梨に比べると小ぶりでジューシーさではちょっと劣りますが、ちゃんと甘くて美味しいです。



「おいしいの早くください。」

はいはい。じゃおなじみのアレね。

「はいっ!バクウゥゥゥゥゥッ!」

はい、じゃあニヤにもね。

「早く早く!ワクワク。」


「バクーーーッ!」

それじゃニコ、ちょっと応用編行ってみようか。

「はい。ニコなんでもやります。ナシ大好きです。」


じゃ投げるからね。ジャンピングキャッチするんだよ。それっ!

「はいっ!キャーッチ!バクウッ!」

ニコはジャンピングキャッチが大の得意。すごい集中力で最初から最後まで絶対にターゲットから目を離しません。


そしてニヤはと言えば・・・。

「パクッ・・・・あれ?」

ニヤはすぐにターゲットから視線がそれるので、ジャンピングキャッチの成功率は半分くらい。


「ニヤこうするんだよ、ほら、パクッ!」「いいもん、別にそんなことできなくたって。」

それでは皆さま、引き続きSMILES@LAよろしくお願い申し上げます。

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CLUB WAG 保護犬写真展

2014-09-29 22:30:52 | ごあいさつ/お知らせ
(旧ブログ http://nikologla.blog27.fc2.com/blog-entry-2563.htmlより転載)

今までにも何度か写真展のお知らせをしてきたCLUB WAGさん。10月21日~26日、京都で保護犬の写真展が開かれます。
京都で初めての写真展が開催されたのが去年の9月、その後東京や神戸、軽井沢などたくさんの場所を巡ってまた京都での開催となりました。

様々な出身の保護犬達の現在の幸せな笑顔の写真展。今回は重要文化財に指定されている京都の町家での写真展です。



展示会場となるのは江戸時代からの大店の店構えそのままの杉本家住宅。普段は保存会会員さんしか入ることのできない建物ですが、
秋の特別一般公開『暮らしをつむぐ』展が開催され、会期中に無料公開される『店の間』が写真展会場となります。
写真展は無料ですが『暮らしをつむぐ』展は入場料1500円。自分だけの和綴じ本を作ったり、茶葉の焙じ体験などのワークショップも開催されます。
まるでタイムスリップしたかのような貴重な体験となる機会かと思います。

興味のある方はこちらをご覧ください。 
奈良屋記念杉本家保存会 催し物のご案内


「宣伝担当柴田部長です。詳細は下記のリンクをクリックしてください。」

CLUB WAG主催「保護犬写真展」ひとつの命ーそれからー


「保護犬ってなに?っていう人でも、すんなりと楽しめるんだって。」

そう。CLUB WAGさんの写真展のいいところは悲しくなったり、腹立たしくなったりしないところ。
だから動物の保護なんて全然縁がないという人も気軽に誘って出かけられます。


「ニコもニヤも元保護犬だからね~。」

関西までは足を伸ばせないという方はこちらを。
10月11日~25日の日程でアニマルレフュージ関西(ARK)さんの写真展がヤナセ目黒支店ショールームにて開催されます。
ARK写真展『犬生、猫生、人生』インフォメーション

お近くの方、ぜひお運びくださいね~。
関東と関西以外の方ごめんなさい。
また機会がありましたらお知らせいたします。


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ビーグルのでんちゃんが走った日1

2014-09-28 23:20:27 | 犬のおはなし
(旧ブログ http://nikologla.blog27.fc2.com/blog-entry-2565.htmlより転載)

お待たせいたしました。
今週のでんちゃんストーリーです。

前回までのお話はこちらです。
ビーグルのでんちゃん 出会い1
ビーグルのでんちゃん 出会い2


「僕17kgもあったんだよ~。」 ビーグルなのにニコより重い(笑

我が家に来たとき、でんちゃんは17kg超え、でした。
ビーグルにはあるまじき体重。
夫が密かに「ブルドッグ入ってないかな。
もし入ってたら、ビーグルじゃなくて、ブーグルだね」と呟いたほど。
これを、療法食とキャベツで絞っていきます。
おやつは、本当にぽっちりでした。
犬用ビスケットを包丁で何等分にも分け、
ただでさえ少ないドライフードを少し取り分けておいて、
ほんの一粒ずつ、おやつとして与えたりしていたのでした。

当時通っていた小さな動物病院の、
K先生というハゲちゃびんのキューピーみたいな院長は、
その頃でさえ70歳を超えていらっしゃいました。
ハゲキューピーが「もっと絞れ」「まだ痩せられる」と、
毎度笑いながら励ましてくれたおかげで、
かれこれ2年ほども経つと13kg前後まで落ちました。
足取りもだいぶしっかりしてきて、
散歩中に「のたのた」ではなく「スタスタ」と歩くことも!



「ハゲちゃびんキューピー先生とママとパパのおかげです~。」

私達は「今日のでんちゃんはスタスタビーグルだった」と、
わざわざ日記にまで書き留めるほど、その姿を喜びました。



「でんちゃんやったね!」


スタスタビーグル、略してスタビーの日々は、実に幸せで、
そして実に短かったなぁ・・。
でもね、ボールを投げると、咥えて戻ってくる、
ということもできるようになったのです。
戻ってくる時が可笑しかった。
おやつを目当てに、一所懸命走って戻ってくる。
どすどすどす!どすどすどす!
重たいながらも、確かに走って戻って来た。
不覚にも、涙がこぼれちゃいました。
ああ、ようやく走れるようになった。ようやく犬らしくなった!



「ボールと僕♪走っちゃったよ~、へへへ。」

フロントラインかなにかで、病院に行った折、私は自慢しました。
でんちゃんは、お座りだって待てだって伏せだって、
ボールの「持って来い」だって、教えればすぐにできちゃう。
この犬、天才かもしれません!
ハゲキューピーは、笑いを噛み殺しながら、
「うーん、それはね、お宅に来る前に、全部できたんじゃないのかな」
と、誠に理屈の通ったことを言いました。

・・・・そ、そ、そうかもしんない・・。


でんちゃんは、本当は既にできることを、
小出しに披露していただけかもしれませんね。
そんなことにも気づかなかった。間抜けで可笑しい思い出です。

我が家に来る前、数年間は別のお家で暮らしていた。
どんなものを食べ、どんな病気にかかっていたのか、
わからないことだらけなのです。
我が家の車はハッチバックのコンパクトカーですが、
でんちゃんは、散歩中にスライドドアのワゴン車を見ると、
必ず近寄って行きました。
運良くスライドドアが開いていれば、ずんずん乗り込もうとします。
私はまたハゲキューピーに訴えました。
たぶん、前の飼い主は、そういう車に乗ってたんだ。
自分を捨てた飼い主の車に、でんちゃんは乗り込もうとするんだ。
なんででんちゃんは、そんなことをするんだろう。
「ひどい飼い方をされていたでんちゃんだけれど、
少なくとも車に乗って、楽しい思いをしたことがあるのかもしれない。
楽しい思い出もあったんだと、喜んであげようよ」
ハゲキューピーは、そう言って笑ってくれました。



「えへん!僕はそういう律儀な犬なんだよ!」

ダイエットにまずまず成功し、去勢手術も無事に済ませたでんちゃんは、
ある日、散歩の途中、「きゃん!」と鳴いてうずくまりました。
前脚の付け根(肩のあたり)が痛かったらしい。
その後も、平坦な道で転んでしまったり、
日によっては歩きたがらなかったり・・・。
ハゲキューピーがレントゲンを撮ってくれて、
関節の石灰化が進んでいる、前脚の関節には痛みがある、
と教えてくれました。
だから、散歩はほどほどに。走らせてはダメ。
痛がるようなら、痛み止めを飲ませ、養生すること。

そのように心がけていても、でんちゃんの関節痛は、
日を追うごとにひどくなっていくようでした。

そんなある日、買い物に行こうと自転車で走っていたら、
対岸の歩道に、犬を乗せたバギーを押す人が!
急いで車道を渡り、追いすがりました。
それは犬用のバギーですか?どこでお買い求めになりましたか?
心臓病のフレンチブルドッグを乗せた飼い主さんは、
インターネットショップで買った、と教えてくれました。
忘れないようにそのお店の名前を唱えながら帰宅し、
早速そのショップで犬用のバギーを購入。
届いてすぐ、でんちゃんを乗せてみたら、
あらまぁ!でんちゃん、かなりご満悦でした。
真っ赤な可愛らしいバギーを押して、
私とでんちゃんは「子連れおおかみ」の父ちゃんと大五郎みたいに、
公園や野原まで出かけることになったのです。
野原に着いたら、でんちゃんを地面に下ろす。
帰りはまた、子連れおおかみで。
雨の日は、ビニールカバーをかけて、静々と出かけます。




こうして養生したおかげか、でんちゃんは再び、
ほんの一時でしたが「スタビー」に戻ったのです。
二度と自力では行けないと思っていた公園に歩いて行けた日も。
駅まで自力で歩いて夫を迎えに行った日も。
数えるほどではありますが、そういう「復活の日」もあったんですよ。
でも、我が家で過ごした5年と10ヵ月とちょっぴりの間の、
およそ半分・・・3年弱を、でんちゃんはバギーとともに過ごしました。
折りたたんで車に積んでおけば、ぱたっと組み立ててすぐ乗せられる。
ホームセンターや、ドッグカフェにも、「マイバギー」で乗りつけました。
本当は、自分の足で歩いて欲しかったけれど、
バギーに乗っかったでんちゃんは、それはそれで愛らしくて、
中に敷くタオルを選んだり、虫除けをセットしてみたりと、
バギー生活をも楽しみました。



「あたしもバギー乗ってみたいな♪続きはまた来週でーす。」


続き→ビーグルのでんちゃんが走った日2
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ビーグルのでんちゃん 出会い2

2014-09-21 21:12:19 | 犬のおはなし
(旧ブログ http://nikologla.blog27.fc2.com/blog-entry-2558.htmlより転載)

先週から連載形式で始めたビートママさんの愛犬「ビーグルのでんちゃん」
前回はでんちゃんが預かってもらっていた八ヶ岳のお家から、正式にビートママさんご夫妻に家族として迎えられたところまででした。

前回のお話ははこちら
ビーグルのでんちゃん 出会い1


初めて出会った日のでんちゃん

こうして我が家の犬となったでんちゃんですが、
最初から問題はあれこれあったのです。
獣医師に見せたら、先生がため息をついたもん。
肥満していて、関節が悲鳴をあげているとのこと。
人間の食べ物をもらっていたせいか、血液検査でも問題ありあり。
先生によれば散歩もろくにしていない(筋肉が全然ないから)とのこと、
要するに「マンションかなにかで、室内だけで飼い殺しになってたんだよ」
というのが先生の診立てでした。
もう飼えないからと、保健所に連れて行かれかかってたぐらいだもん。
相当ひどい飼い方をされていたのでしょうね。
それは、今でも腹の立つことです。



「その頃の僕は17kg以上あったんです。」

ともかくも、私達は初めての「我が家の犬」と、
手探りで向かい合うことになりました。
去勢手術もされていなくて、
だけどここまで肥満していては麻酔の分量が多くなりすぎ、
心臓がもたないかもしれない、ということ。
食欲の鬼で、ゴミ箱でもなんでもあさってしまうこと。
絶対に室内トイレを使えないこと→病気の時はどうすんの、
という問題、などなどなどなど。
おまけに目元には涙線がくっきり、耳の中は真っ黒け。
まずは毎朝毎晩、ぬるま湯に浸したガーゼで、
「でんちゃん、お顔拭きましょう」と辛抱強く涙線をぬぐい、
耳は数日置きに病院に通って洗ってもらい、
療法食にしてキャベツでかさ増しをして減量に取り組み、
すぐに休みたがるでんちゃんのお尻を押して散歩を続け、
ともかく夢中で世話をしたのでした。
当時、推定年齢は6歳とも8歳とも言われました。
後に狂犬病の注射をする際、
市の職員の方が「平成8年8月8日生まれ」と決めてくれて(笑)、
一応ね、来た時が6歳半ぐらい、ということになっています。



「でんちゃん、あたしが初めておうちに来た時よりうんとたいへんだったんだ。」


犬と暮らすのは初めての夫でしたが、
こちらもまた、日々大変貌を遂げていったのが面白かった。
ゴミ箱をあさった日、私がでんちゃんを叱ろうとしたら、
「簡単にあされる場所にゴミ箱を置いた人間の方が悪い。
絶対に開けられないゴミ箱を買って来よう」と夫が言うんですよ。
「え~、犬ぅぅ~?」と言ったくせに、
夫はみるみるうちにでんちゃんのトリコに(大笑)。
可愛い可愛いと連呼し、「このあたりじゃ一番だな」を皮切りに、
「日本で一番可愛いんじゃないか」「世界で一番かも」
そしてついに「宇宙で一番可愛いかも」とまで。
アンタは世界中の犬を見たことがあるんかい、とつっこみたくなる。



「パパに可愛い可愛いって言われたよ~。」


ふと気づくと、あれほど夢見た「ピンクの耳」になっていました。
タレ耳を引っくり返すとね、でんちゃんは耳の中が真っ黒だったの。
コールタールでも流し込んだみたいに、真っ黒だったのです。
よそんちの犬は、耳の中がピンクだったの。
だから「ピンクの耳」が憧れだったの。
今、改めて写真を並べてみると、いつしか涙線も消えている。
涙線も、耳も、1年半ぐらいはかかったと思う。
だけどその1年半が、あっと言う間だったのです。
ともかく気づいたら、ピンクの耳と、可愛い目元の犬になっていた。
ほとんど思いつきで飼い始めた私達でしたが、
いつの間にかでんちゃんに夢中になっていたのですね。
だから、私達とでんちゃんは、本当に幸福な出会いをしたのだと思う。
病気の要因をどっさり抱えたシニア犬ではあったけれど、
それでもなお、私達は「幸せな出会いだった」と強く思っています。



「涙線も消えてスッキリ目元になったんだ。」

だから、でんちゃんの誕生日は仮に8月8日となっているけれど、
私達にとっては「12月31日」が、でんちゃんが来た記念日、なの。
毎年大晦日に、でんちゃんに犬ケーキを買ってあげて、
盛大にお祝いしたことを懐かしく思い出します。
これが、でんちゃんと私達の「出会い編」です。
次回は「でんちゃんが走った日」かな(笑)。



「続きはまた来週~」


続き→ビーグルのでんちゃんが走った日1
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ビーグルのでんちゃん 出会い1

2014-09-15 22:13:58 | 犬のおはなし
(旧ブログ http://nikologla.blog27.fc2.com/blog-entry-2553.htmlより転載)
先日書いた「さよならのシェア」の最後の部分でチラリと「ご縁があって思い出をシェアして頂く機会がありましたので近いうちに紹介します。」と書いた件、
今日から週に1回くらいのペースで10回程度の連載形式で書いて行きたいと思います。

タイトルで気づいた方もいらっしゃるかもしれないですね。
そう、先日マグわんズ2014のモデルの1匹になって頂いたビートママさんの愛犬のでんちゃんです。
メールでお写真を頂いたりしてやり取りをする中で、以前にでんちゃんの思い出を書き留めていらした文章を読ませて頂くことになったんです。
それが私だけが読ませて頂くにはもったいない、たくさんの人に読んで頂きたいと思ったので、お願いしてブログに掲載させて頂くことになりました。


「今日は僕とママとが出会うきっかけのお話です。」

でんちゃんとビートママさんとの出会いにはお二人の重要人物がいます。
まずはその重要人物との出会いのお話から。

私の父は床屋が嫌いで、だから私の母が風呂場で切っていました。
父の散髪が終わると、私も呼ばれる。
風呂場に置いた丸椅子に座り、風呂敷をすっぱりかぶって、
母親の「ともかく短く!」という思想のもとに、
ざっくりまっつぐ、ワカメちゃん。
実に高校時代まで、そんな有様でした。
浪人時代、都心の予備校に通うようになってみて「これはまずい」と思いました。
クラスメイトに「ヘルメットみたいな髪型だね」と笑われた。
そこで、初めて駅前の美容室に行きました。
大きな美容室で「ご指名は?」などと聞かれて動揺し、
そんなのわかんないから、ちょうど手すきだった人に切ってもらった。
それが「馬場さん」という、まだ若い男性美容師でした。
その後もなりゆきで、行くたびに馬場さんを指名した。

馬場さんは、職場結婚をし、夫婦で店を構えました。
私はその間に結婚し、実家を離れ、
都内のアパートやマンションで暮らしました。
都下のお店までは遠かったけれど、
私はバカの一つ覚えで馬場さんのお店に通いました。
いっときは奥さんのアケミさんも一緒にいたけれど、
アケミさんもやがて、別の場所にお店を構えました。
彼らはビーグルを飼い始めた。
ルーシーという女の子ビーグルは、馬場さんとアケミさんの店の、
いずれかに同伴出勤していました。
仔犬はやがてレディになり、アウトドア好きの馬場夫婦に連れられ、
あちこちの山に登ったりしたのでした。

やがて馬場夫婦は、八ヶ岳に自分らの山小屋を作り始めました。
山小屋ったって、立派な一戸建て住宅、というオモムキ。
違うのは、水道管に熱線を巻きつけて凍結防止をしていたり、
大きな薪ストーブが家じゅうを温める特殊な作りになっていたりするだけで、
ほかはもう、立派な「新築一戸建て」という風情です。
週に1回、休みの日には八ヶ岳で作業。
都合のいいことに、客の中には土建屋もタイル屋も建具屋も居る。
こつこつ作り続けて、10年目にようやく山小屋は完成しました。
別荘地ではあるけれど、彼らはそこに定住することにした。
夏は美容室を開けるけれど、冬は雪の中にこもってひっそり暮らす。
食べ物は、米に至るまで自給自足。
夏の終わりには、冬のための保存食作りに忙しい。
庭には石窯をしつらえ、パンも焼く。ピザも焼く。そんな生活。

かくして2000年頃、彼らは都下の店をを引き払い、八ヶ岳へ。
私ら夫婦は、今度は月に1回、八ヶ岳に通いました。
つくづく、ほかの美容室に行く気がないらしい(笑)。
高速料金使って、びゅーんと行くのね。
行ったら散髪してもらって、畑仕事手伝わされて、
「石窯に火を入れて」と言われれば4時間も火の番をして、
そのかわり、山の空気の中で、美味しいランチをご馳走になる。
夫が転職しても、私の勤務先が倒産しても(倒産ですよ、ひどいでしょ)、
この習慣は変わりませんでした。
お婆ちゃんになったビーグルのルーシーは、ここで亡くなりました。
八ヶ岳の馬場さんちの庭には、ルーシーのお墓があります。



「それで?でんちゃんはまだ?」

そして2002年の年の瀬のことです。
雪深い八ヶ岳に、到底我が家の車では行けないから、
冬場には中央本線で小淵沢まで行き、
馬場さんのジープで迎えに来てもらうことになっていました。
ジープに乗り込むと、馬場さんが
「今ね、うちにぶっさいくな犬がいるんだよー」と笑いました。
行ってみると、果たしてうさんくさい顔をしたおっちゃんビーグルが。
人懐こいわけでもなく、かといって攻撃的でもなく、
ただもっそりと、そこに居る。そんなビーグルでした。



初めて出会った頃のでんちゃんです。

ある美容室で、お客が「明日犬を保健所に連れて行く」
と言ったのだそうです。もう飼えないから、保健所に連れて行く、と。
美容師は「それはいけない」と思って、とりあえず自分が引き取った。
だけど彼女のアパートはペット禁止。
そこで美容師仲間や、そこに来るお客さんまでが
「我が家で2日間なら」「うち、3日だけなら」と善意のたらい回し、
それでも新しい飼い主が見つからなくて、
ビーグルはとうとう八ヶ岳の馬場夫婦のもとに流れ着きました。
たらい回しになっている間に、正確な歳も名前もわからなくなった。
馬場さんの山小屋に流れ着いた時には、
ぼろっちーひざ掛けと、きっつきつの首輪に胴輪、
そしてうんこを拾うためのスコップだけを手土産に、
「どうやらでんちゃん、と呼ばれていたらしい」という、
曖昧な情報だけが頼り、という状態になっていました。

馬場さんは、その犬を「あなた達の家で飼ってみない?」と言い出しました。
その頃の私達は、都下のぼろっちー一軒家で暮らしていたから、
確かに犬と暮らすこともできるわけです。
金魚と小鳥しか飼ったことのない夫は、「えー・・?」と躊躇し、
私は「いやー、うちは無理だよ。だって仕事が・・」と言いかけて、はったと止まりました。
私の勤務先は倒産しちゃったんだった・・。もう仕事、してないんだった・・。
名刺を持たなくなり、電車にも乗らなくなり、
なんだか鬱々とこもりがちな生活になって1年ほどが経っていました。
私は実家で犬、猫ともに何匹も一緒に暮らしたけれど、
こちらは子供、自分で面倒をみた、とは言い難い。
やっぱりちょっと自信がないなぁ・・。
そうだよ。ルーシーを見送ったばかりの馬場さん夫婦じゃん。
馬場さんだって、飼えるじゃん?
「でんちゃんは、穏やかで飼いやすい犬だと思うよ。
だからはじめての人でも大丈夫だと思う。
もしでんちゃんを引き取ってくれたら、
オレ達は、他の犬を預かってやれるようになる」
別荘地では、置き去りにされる犬がいるのだそうです。
あるいは、繁忙期に、お店をしている人達の飼い犬が、
お世話が行き届かなくて困ったことになっていたりするケースも。
馬場さん達は、そういう「困った状況にある犬」を、
自分のお家で引き取って世話をする、
いわばボランティア活動みたいなことをしようとしていたのでした。
ともかく、最初の出会いは2002年の12月29日。
髪の毛を切ってもらって、私達は電車で東京に戻りました。

帰りの車中、私達夫婦はあれこれ話し合いました。
犬、飼えるかな。あの犬、なついてくれるかな。
あの犬、何歳なんだろう。犬って何を食べるのかな。
・・・・ともかくまぁ、来ちゃえばなんとかなるんじゃない?
尻込みする夫を押し切り、私は飼おう、と思いました。
勤め人時代、仕事に追われていた私の夢は、
「いつか犬と暮らしたい」ということだったのに、それをすっかり忘れてた。
帰宅してすぐに馬場さんに電話をし、
翌日の30日にはあれこれ支度をし
(よくわからなくて、デパートで純毛の毛布なんか買っちゃったんです!)、
12月31日にはでんちゃんが我が家にやって来たのでした。
馬場さんの家にも2週間以上いたわけですが、
馬場さん達が車で去る時にも、
でんちゃんはさほど追いかけたり鳴いたりしなかった。
今思えば、なんだかもう、諦めきっていたのかも。
今度はこの家ですか、そーですか、ぐらいの気持ちだったのかも。
もっそりと毛布の上に乗っかって、うさんくさそうな顔をしていました。



「続きはまた来週。次回はお家に来てからのでんちゃんです。」


続き→ビーグルのでんちゃん 出会い2
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